しっかりした基礎があれば学生の潜在力は自在に引き出せる――第222回

千人回峰(対談連載)

2018/11/22 00:00

劉 方愛

劉 方愛

山東師範大学 情報システム室 室長

構成・文/道越一郎
撮影/道越一郎

週刊BCN 2018年11月19日付 vol.1752掲載

 山東師範大学。師範大学の名が示すとおり、教員養成の総合大学だ。師範大学は済南に本社を構える中国有数のサーバーメーカー「Insper」などの企業と連携して、創造型の人材や、応用型の人材を育成している。市中心部に位置する千仏山キャンパスは、正門を入ると正面には大きな毛沢東像が立っていて、とても印象的だ。市の南西にある新しくできた長清湖キャンパスと比べると、歴史を感じさせる建物が多い。このキャンパスで、元データ科学と工程学院院長の劉方愛先生にコンピューター教育についてうかがった。(本紙主幹・奥田喜久男)

2018.7.25 中国・山東省済南市の山東師範大学にて

大学院で学んでいた頃に銀行のシステム開発を経験

奥田 劉先生のコンピューターとの出会いはいつ頃ですか。

 私はこの山東師範大学の卒業生です。1979年に入学し、数学を専攻していました。その頃に出会った中国産の「DJS130」というシリーズのコンピューターが最初です。まだパンチカードでデータ入力するタイプのマシンでした。83年に卒業し、上海の華東師範大学の大学院に進みました。その頃、モトローラの68000系CPUの超小型のパソコンに出会いました。

奥田 どこの何というコンピューターでしたか。

 残念ながらメーカーや型番は忘れてしまいましたが、とても効率が良くてびっくりしたのを今でも鮮明に覚えています。

奥田 どんなふうに使っておられたのですか。

 ある銀行と大学が開発契約を結び、大学院生が勉強を兼ねて研究課題の一環として、BASIC言語を使った銀行の管理システムの開発を受け持っていました。

奥田 実際に動きましたか。

 私が関わったのはそのごく一部で、しかも私が卒業する時はまだ開発中でした。だから、実際に動いたかどうかは知らないです(笑)。その後、86年に母校の山東師範大学に教師として戻り、インテルの8088が載ったIBMのPCを使っていました。そういえば、DECのミニコンPDPも2台使っていましたね。ミニコン一台当たりに端末12個、全部で24個の端末を繋ぎました。これは学生向けです。

奥田 ところで、山東師範大学にコンピューターの専門学科ができたのはいつですか。

 84年です。

奥田 当初はどんな学科構成で、どれくらい学生がいましたか。

 コンピューター科学学科の一つだけでした。主にパソコンの基礎理論と応用技術について教えました。学生は1学年で80人くらい。本科と専科に分かれていて、それぞれ40人ずつという構成でした。

奥田 本科と専科の違いは何ですか。

 基本部分は同じですが、本科は、技術者としての勉強も含め4年間深く学びます。専科は3年制で、社会に出て通用するようなスキルの習得を重視していました。現在では専科はなくなり、本科だけになりました。

奥田 その頃から32年間にわたって教えてこられたわけですが、教え子の数は何人くらいになりますか。

 ちょっと多すぎて、すぐには計算できないですね(笑)。博士を含めた大学院生という範囲に絞れば、およそ80人です。一番年かさの卒業生だと、もう40代になっていますね。すべて中国人です。いまでは米国や日本、イタリアなど海外で活躍している教え子も多いですよ。

奥田 皆さんどんな仕事をなさっているのでしょうか。

 博士号を取った人たちを筆頭に、教育に関する仕事をしている教え子が多いですね。ここ数年では銀行で活躍するような卒業生も増えてきました。

奥田 劉先生が学生にコンピューターを教えるにあたって、大切にされているのはどんなことなのでしょうか。

 一番力を入れてきたのは基礎理論教育です。基礎があれば、学生それぞれが持っている潜在力をフルに引き出せます。たとえあまり頭が良くなかったとしても、仕事や研究に役立ちます。努力やチームワークも大切だと教えています。

奥田 コンピューターの基礎とは、どんなことを指すのですか。もう少し詳しく教えてください。

 三つあります。一つは数学です。そしてコンピューターの理論とデータ構造、アルゴリズムなどですね。もう一つがハードウェアの構造、アーキテクチャーです。

奥田 それぞれどんなことを学べば、コンピューターの基礎として有効なのですか。

 まず数学は高等数学で、統計などです。ビッグデータの解析などで必要です。基礎理論で重要なのはデータの構造ですね。それからオペレーティングシステム、データベースの理論などです。ハードウェアについては、電気回路の部分と、コンピューターのハード的な構造そのもの。そしてインターフェースもその一部ですね。現在では、移動体通信やAIなど応用分野が広がってきましたが、インテルのCPU 8086の時代から、パソコンの基礎は変わりません。

奥田 ということは、コンピューターの父とも呼ばれる英国の科学者、アラン・チューリングの理論は今も生きているということですね。

 そのとおりです。コンピューターが発明された頃の理論や知識は、今でもアルゴリズム設計に影響を与えています。

基礎から一歩一歩積み上げる人生も同じだ

奥田 それでは先生がお考えになる、人生における基礎とはどんなものですか

 何でも一歩一歩の積み重ね、ということを大事にしてきました。まず基礎があって、そこから積み上げていくということです。学生の勉強でも同じですが、時には浮き沈みもあります。しかし目先のことにとらわれず、今やっていることをまずしっかりやり遂げるということも大事ですね。それから、自分の好きなことを見つけて取り組むということも大事だと思っています。そして、自分の能力に見合った目標を立てて、それに集中するということが大事です。あれもこれもと、やりたいことに目移りしてしまうと、結局何もできません。大事なのはしっかりやり遂げることです。

奥田 学生と接する際に、心掛けておられることは何かありますか。

 一言で言えば、「偉そうにしない」ということでしょうか。上から目線ではなく、学生のなかに入って、コミュニケーションをよく取ることです。励ましながら自分で考えさせ、独立性を養いながら学生独自の考えを深めていくように後押ししていくわけです。時には厳しく接することもありますが、不思議と今でもつき合いのある卒業生は、学生時代に厳しく接した人たちが多いですね。

奥田 未来のことをうかがいます。コンピューターの重要性は将来どう変わり、どんな用途に広がっていくのでしょうか。

 IT技術が世界の隅々まで変えていくということは、もう確定している事実です。AIやその関連技術ともいえる自動運転は、社会に大きな影響を及ぼすことになるでしょう。いずれにしても、あらゆる場面でITが大きな影響力を持つようになると思います。中国では、キャッシュレス決済など、金融のIT化はとても進んでいます。しかし、IoT化などによる製造業の進化はこれからです。

奥田 ITは教育をどう変えていくのでしょうか。

 もちろん大きな変化が生まれるでしょう。教育の環境はすでに変わりつつあります。これまでは学校に行き、教室で椅子に座って授業を受けるという形態でした。これからはインターネットやテレビ会議、スマートフォンを使って授業を行うようになってきます。高機能IT機器を利用する環境が整いつつあり、教育の現場も大きく変わっていくでしょう。
 

こぼれ話

 クルマの往来が激しい車道からキャンパスに入る。そこは樹木の繁った落ち着いた空間で居心地が良い。しかし、大学が休みに入っていて、目指す研究室の場所を尋ねることもできない。学舎の風情は伝統を物語っている。街の南方には泰山があり、山東省は孔子の生まれ故郷で、学問の匂いがする。今回の訪問先、山東師範大学のある済南は中心街から北に15分も走ると大きな河がある。黄河だ。青海省の水源から5464kmを下り、渤海湾にそそぐ大河の最後の都市が済南なのである。

 研究室には階段を歩いた。重い扉を開けた途端に冷房の空気に包まれてホッとした。まもなくして劉先生が入室してこられた。これまでに会った人たちの登場の有様はさまざまで、その数秒間に人となりが凝縮しているのではないかとさえ思っている。劉先生は大柄だ。少し前かがみになって、「こんにちは。きょうは、ようこそ、ようこそ、おいでになりました」と第一声。腰を屈めながらの挨拶を受けて、肩の力がすっと抜ける思いがした。

 大学で会うのは今回が最初だが、劉先生とはこれまでに2度お会いしている。いつもニコニコと微笑みながら近づいてこられ、「お元気ですか?」と声を掛けていただく。この方が山東師範大学のコンピューター学部を立ち上げてこられたのだ。「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」というではないか。劉先生はそれを地で行っておられるのだろう、と勝手に思っていた。先生にそれらしき質問をしたら、私は「学生たちに対して偉ぶらないように努めています」と明快な言葉が返ってきた。これは教育者としての姿勢であり、劉先生の信条だったのだ。気を抜いて人に接してはいけないと、自らを戒めた。
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第222回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

劉 方愛

(Liu Fangai)
 1962年2月、中国・山東省青島市生まれ。山東師範大学数学科卒業。86年上海・華東師範大学 大学院卒業。卒業後に山東師範大学で教鞭を執る。2002年、中国科学技術学院でコンピューターシステムの構造で博士号を取得。専門領域は工学。