2018年総集編 

千人回峰(対談連載)

2018/12/31 00:00

こぼれ話 番外編

構成・文/奥田喜久男

週刊BCN 2018年12月24・31日付 vol.1757掲載

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 

こぼれ話 番外編

 最後まで、何があるかわからない。12月16日の午後5時55分の出来事である。翌日の早朝には、成田空港から上海の浦東空港に出かける予定がある。いつものように、出張先の環境とスケジュールをイメージしながら旅先で必要なものをパッキングする。旅はこの段階から始まっている。毎回、この時間は旅先で起こる具体的なシーンを思い浮かべながら神経を集中する、至福の時でもある。小学生の頃に経験した、遠足前日のワクワクしながら不安もよぎる心地よさから抜け出せない私、といった図である。携行すべきものはほぼパッキングした。重量を確認しようと、キャリーケースを持ち上げた。その瞬間、「バキッ」と腰の辺りで音がしたような…。気のせいだったのかも分からないが、バキッの音とともに激痛が走って全身が硬直した。世に言うぎっくり腰だ。
 

 「あぁ、やっちゃった」。冷や汗が噴き出るとともに「明日、上海に行けるかなぁ。いや、行かないといけない」の交錯する思いが頭の中を駆け巡った。今回の旅は「何があっても上海に行く」と決めた瞬間から初体験の連続が始まった。もちろん逡巡はした。が、節目には外せないことがある。これは年が明けたら古希を迎える自分の前夜の課題だと思って、上海に行くための工程表を引いた。私は成田空港とアクセスのよい京成上野駅の辺りに住んでいる。まずは直通特急の切符のキャンセルからだ。次は成田空港までのタクシーを確保しなければならない。電話が繋がらない状態が続き、繋がっても予約はいっぱい。さて困ったぞ。そうこうするうちに、昔お世話になった日本交通の運転手の方の名前を思い出した。「では、明朝、お宅の前まで行きますよ」。ひと安心だ。

 成田空港に到着して車椅子を借りた。ああ、これが車椅子なんだ。身体に障がいのあるバスケットボールの選手が器用に扱っているな。ここに足を乗せるんだ。ブレーキもある。中国東方航空のカウンターで、ビジネスクラスにアップグレードした。1万円也。「空いていてよかった」。係りの方に車椅子を押してもらって手続きを終え、スイスイと搭乗口へ。そして飛行機のシートに座った。「これで上海まで行ける」。浦東空港に着いた。到着空港にはすでに連絡してあったようだ。ここでも優先通路を使い、係員に車椅子を押してもらってタクシー乗り場まで。やれやれ、何とか無事にホテルに着いた。

 翌日からは車椅子の世界を体感することになった。夜の食事会の場所に到着。2階席だ。エレベーターはない。どうしたものかと困っていたら、その日の仲間がやってきて、数人で車椅子を持ち上げた。帰りも“当たり前の顔”をして私を持ち上げて運んでくれた。人の優しさがしみじみ嬉しかった。照れ臭くもあった。明日は上海から東京に帰る。ワクワクしながら、不安もある。小学生の頃と同じ自分が頭の中にいる。「お~い」と声をかけたくなった。

 初めての体験は新鮮だ。国を越えて共通する人の思いやり、連携した世の中の仕組みに感動し、受けた恩恵のおかげで幸福感にも満ち溢れている。今回の出来事は、古希になっても緊張の糸を切らさぬよう日々を生きなさいという、神様からの贈り物かもしれない。