満身創痍の会社を救ったのは みんなが「大切にしてきたもの」――387人目(下)

千人回峰(対談連載)

2026/02/06 08:00

石川貴也

石川貴也

側島製罐 代表取締役

構成・文/道越一郎
撮影/道越一郎
2025.10.3/愛知県・海部郡の側島製罐オフィスにて

週刊BCN 2026年2月9・16日付 vol.2092掲載

【愛知県・海部郡発】「父は昔ながらの経営者で、ある意味保守的なんです。僕は可能性を追求するのが好き。あきらめずにやるというプロセスに価値があると思っています」と石川さん。その父から経営をバトンタッチして事業を担うことになった。しかし状況は待ったなし。営業、総務、人事部を経て専務と段階を踏んでいる時間はない。社員のみんなが心から大事にしていることは何だろう?心健やかに働ける環境とは何だろう?いまここで僕たちが働いている意味とは……。時に社員に“ブチギレ”られても、自身に問い続けながら、父と交わした「挑戦には反対しない」との念書を胸に、再生に立ち向かった。
(本紙主幹・奥田芳恵)

2025.10.3/愛知県・海部郡の側島製罐オフィスにて

最悪の状態で引き継いだ老舗立て直しに、あえて選んだ遠回り

奥田 2026年で創業120周年という製缶会社をお父様から引き継がれたわけですが、最初はとても大変だったとか。

石川 父が体を壊して、急きょ、継ぐことになったんです。ところが、会社の中は悪口の言い合いばかりで空中分解目前。業績も最悪でした。売り上げが4億9000万円で赤字が4000万円。赤字は3期連続です。00年には15億円あった売り上げは20年連続の減で、20年で3分の1以下です。追い打ちをかけるようにコロナ禍となり、「この会社大丈夫なのかな…?」みたいな感じでした。

奥田 胃がキリキリします。やるべきことは山積みだったと思いますが、どこから着手したんですか。

石川 まずはデジタル環境を整えるところから始めました。実は、給与も経費精算も、金庫からお金を出して現金で支払っていたんです。

奥田 本当ですか。時が止まっているような……。

石川 令和の実話です(笑)。営業の人は始業から10分くらいボーっとしている。PCが立ち上がるのを待っているんですね。10年選手の古いロースペックのPCだったんです。とりあえず、PCを買って、スマートフォンを貸与して。「Slack」やクラウド経費みたいなシステムも入れて。手書きだった見積書も「Excel」を使って自動化し、環境を変えていきました。

奥田 社員の方々も仕事が楽になって喜ばれたでしょうね。

石川 普通なら「便利になってうれしい」だと思うんですが、今までのやり方が楽だった、という声もあったんです。世の中的にいいと言われる先端システムを入れても、結局、軸がないんです。何をやってもパッチワーク。必ずしも、みんなにとっていい人生につながるわけじゃないんですね。

奥田 歴史のある会社ですから、軸になる経営理念はしっかりお持ちだったんじゃないんですか。

石川 ないみたいなんです。めっちゃ頑張ってみんなに聞いて回ったんですが、結局見つからなかった。「速く安くたくさんつくれ」以外のことは言われたことがない、と。それから「正当に評価されていない」という声もかなりありました。ならばと、人事制度をつくり直そうとしたんですが、軸がないので全然いいものができそうになかった。それで、いったん人事制度は棚上げにして「そもそも、うちの会社の軸ってなんだっけ?」というところから見直すことにしました。

奥田 会社は切羽詰まった状況なわけでしょう?1円でも多く利益をあげなきゃならない。遠回りするには勇気が必要だったのではないですか。

石川 そうなんですが、みんな毎日一生懸命仕事をしていても、どんどん業況が悪化する。昔と同じように、目の前のことを毎日こなしていても報われない。時代に置いて行かれた状態です。給与が減り、ボーナスが減り、犯人捜しで悪口を言いあって。それで溜飲を下げて自分の心を何とか納得させて働く、これでは前に進めません。

奥田 それは何とかしなければいけませんね。

石川 ちゃんと現実を受け止め、自分たちで大事にしているものを自分たちでしっかり言語化したら、もっといい会社になるんじゃないか、と考えたんです。そこで、まずミッション、ビジョン、バリューをつくって軸を定めることにしました。

奥田 言葉になっていなくても、会社を貫く何かはあるはずですよね。

石川 軸を探していく中で、お客様の思いに応えたいという「誠実さ」「真面目さ」「愚直さ」みたいなものがDNAだと分かりました。うちは中堅の缶メーカーなんですが、ちっちゃいからとか、かたちが面倒だからとかいう理由で、大手で断られたお客様が多いんです。難しい要望でも、しっかりとお応えしながら、できることを増やしてきました。結果的に設備も充実し、本当に何でもつくれるようにしたんです。そこから「世界にcanを」というミッションが生まれました。「缶」と「できる」のcanです。

みんなの思いを凝縮してできたミッション、ビジョン、バリュー

奥田 どんなプロセスでつくっていかれたんですか。

石川 最初は僕一人で考えて「これでどうだ」と発表したら「シラー」って感じ。誰にも響かず、全然だめでしたね。それから、とにかくみんなに聞きました。「うちの会社で大事にしているものってなに?」「なんでこんなに長く働いてくれているの?」「昔の人たちはどんなことを言っていたの?」とか。父にも聞きました。地元の図書館で古文書を調べたり、国会図書館で調べたり、過去の実績を調べたり。一言で集約すると何だろうと、何度もつくり直して。

奥田 全部お一人で?

石川 最初はそうなんですが、できたものはみんなに見せて意見をもらいました。そこで「あー、いいじゃん」ということになって、それを起点にみんなでバリューづくりです。みんなが大事にしている価値観とか行動規範を見えるようにしていきました。それを軸に仕事をしていこうということです。

奥田 主役は社員のみなさんということですね。

石川 僕はあくまでもファシリテーターとコピーライターのような役割に徹しました。素人なんですけどね。みんなが言っていることを、全部分解して組み立てるとこういうことだよね、と思いました。出来上がったバリューは、自分たちがつくったもの。だから大事にしなきゃという意識も芽生えてきました。

奥田 社員のみなさんとは、とてもフラットに接してらっしゃるようにお見受けします。

石川 僕はマスコットみたいなものです(笑)。登記上は代表取締役ですが、社長という肩書は一切使っていません。みんなからは、貴也くんとか貴也さんとか言われています。ビジネスでは自分のことを「私」と言わなきゃならないとか、よく言うじゃないですか。本当にそうですかね?「僕」でいいじゃん、と。僕のことをみんなが毎日社長と言い続けていると、あの人には逆らえないんだと勝手にマインドセットされていく。そういうことは一切ないように気を付けています。自然体です。朝出社した瞬間に仮面をかぶって、というのは歪んでいませんか?みんな、ありのままの自分でそのまま仕事に入れるほうが健康的ですよね。

奥田 社員のみなさんは、最初からウエルカムだったんですか。

石川 とんでもない。最初は超四面楚歌でした。「みんな嫌だって言っていますよ」と言われたこともあります。あれは辛かったなぁ。(つづく)

書籍『アートオブラビング』(愛するということ)/エーリッヒ・フロム 著

 愛とは信念の行為であって、愛し続ければ相手に愛が生まれるはずだ、という希望に全身を委ねること。この本にはこんな趣旨のくだりがある。石川さんの経営姿勢そのものだ。社員のことを「みんな」と呼ぶのにも何か関係がありそうだ。「みんなのことを信じて託す。時にうまくいかないこともある。でも立ち止まって振り返ると、相手のことより自分がどうありたいかが全てだ、と気付く。そういうヒントをたくさんもらった」。石川さんは穏やかなまなざしでそう語った。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
1000分の第387回(上)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

石川貴也

(いしかわ たかや)
 1986年愛知県・名古屋市生まれ。2011年、慶應義塾大学経済学部卒。同年、日本政策金融公庫に入社。国民生活事業本部に配属。浜松支店、千葉支店、審査企画部、内閣官房への出向を経て事業企画部に帰任。20年、実父が経営する側島製罐に入社。23年、36歳で同社6代目の代表取締役に就任。社員とともに、会社のミッション、ビジョン、バリューを策定。自社の在り方を再定義し、抜本的な経営改革を断行、業績を急回復させた。