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すべてテレワークで完結する日本初の上場企業を目指す――第299回(下)

千人回峰(対談連載)

2022/02/04 00:00

佐藤 啓

佐藤 啓

ウチらめっちゃ細かいんで 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.12. 8/東京都中央区の同社月島オフィスにて

週刊BCN 2022年2月7・14日付 vol.1910掲載

【東京・月島発】「私、神社めぐりが好きなんですよ」と佐藤さん。起業前に四国八十八カ所霊場をめぐり、そのご利益で15年間会社を続けてこられたと語る。経歴を拝見する限り、理系エリートかつMBAホルダーで、「神頼み」をする感じではない。でも、神様の言葉を聞いたことがあるというのだ。神職の身近にいた私もいささか驚かされたが、お父さまの実家が北海道礼文島の礼文神社でお母さまの実家が小樽の住吉神社だという。そうしたルーツを聞けば妙に納得してしまう。神様は本当に降りてきたのだ…。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.12. 8/東京都中央区の同社月島オフィスにて

恒常的なIT人材不足を解決すべく ひきこもり者にアクセスする

奥田 佐藤さんは、ウチらめっちゃ細かいんで(以下、めちゃコマ)を設立する前に、すでに起業されていますが、その経緯を教えていただけますか。

佐藤 私はITエンジニア出身とお話ししましたが、セイコーエプソンで6年間ソフトウェア開発に従事した後、会社派遣による2年間の海外留学でMBAを取得し、帰国後は経営企画部門などで働いた後、2006年にフロンティアリンクを設立しました。めちゃコマの親会社ですが、社会人向けのビジネス・IT教育事業を行う会社としてスタートし、その事業は現在も続いています。

奥田 最初はビジネスパーソン向けのIT教育だったわけですね。

佐藤 17年のめちゃコマ設立の少し前に、ひきこもり者向け仕事保証付き在宅プログラミング講座を開始し、18年からは精神・発達障害者向けのプログラミング訓練校(就労移行支援事業所)を全国12都市で運営しています。

奥田 めちゃコマの設立前後に、親会社の事業内容にも、障害者やひきこもり者向けのものを付け加えていったということですね。

 めちゃコマ設立のきっかけについては前編でもお聞きしましたが、なぜこの時期にあえてひきこもりの方々にアクセスしようと思ったのですか。

佐藤 フロンティアリンクでは、講座カリキュラムはもちろんのこと、受講するためのシステムも自社で制作しています。システム開発にあたってはITエンジニアが必要ですが、エンジニアは常に不足気味で、当社でもなかなか採用できない状況にありました。そこで、ひきこもりの人はパソコン好きが多いのではないかというイメージから、プログラミングスキルを教えれば、当社への採用やその他のIT業界での仕事につなげることができるのではないかという仮説を立て、それに基づいて話を聞いてみようとひきこもり者のイベントに足を運んでみたのです。

奥田 ひきこもりの就労問題を単なる社会問題として捉えただけでなく、自社のIT人材確保という問題の解決にもつなげようとしたのですね。

佐藤 そのイベントに参加したことを通じて、まさに「めちゃくちゃ仕事のできる」ひきこもりの方々と出会うことができました。その後、めちゃコマの創業メンバーとなる彼らには、ホームページ制作やプログラミングに加え、ひきこもり者向け在宅プログラミング講座の講師も務めてもらえたのです。

奥田 それはすごいですね。

佐藤 このひきこもり者向けの講座を開こうとしたときに私がこだわったのは、「講師がひきこもり当事者・経験者である」ということでした。教えてくれる人もそうであるのなら、教わるほうも安心して受講できると考えたからです。

奥田 まさに佐藤さんのおっしゃる、能力を発揮できる仕組みができたということですね。現在のメンバーは何人くらいですか。

佐藤 フロンティアリンクが90名、めちゃコマが30名、19年に長崎県の五島列島に設立した障害者の在宅雇用を推進するニュータイプ・ラボに10名と、トータルで130名ほどですね。もっとも、フロンティアリンクが18年に障害者支援事業を始めて全国に12拠点を設ける前は、全社で10名ほどでした。ちなみに、めちゃコマでは私ともう一人の管理者を除いた全員がひきこもりの当事者や経験者です。

奥田 順調にメンバーも増加していったのですね。

佐藤 いいえ、とても順調とはいえませんでした。18年5月には11人中7人が辞めてしまうという、大量離職の危機があったんです。

大量離職の危機に見舞われ「社員第一」の発想に

奥田 大量離職ですか。その原因は?

佐藤 一言でいえば、私のマネジメント力不足ですね。一般社員と同じ扱いをしてしまったことで、仕事量や締切などの面で負荷がかかりすぎてしまったのです。その結果、「社長にはついていけません」と……。

 ひきこもりの人は、真面目で根がやさしいため、なんとか相手のリクエストに応えようとして無理をしてしまうわけです。そして、仕事の優先順位をつけるのが苦手で、細部が気になるタイプが多いため、そちらに気をとられて、結果として全体の進行が遅れてしまうということがありました。

 もちろん責任の大部分は私にあるのですが、全員が在宅勤務であるため、相手の顔色や様子を把握しにくかったこともその一因で、テレワークの難しい部分を感じましたね。

奥田 ひきこもりの人たちのことを理解しているはずの佐藤さんでも、つまずいてしまったのですね。

佐藤 それ以来「社員あってこその会社」と思うようになりました。正直なところ、以前は離職者が出ても去る者は追わずで、単に補充できればいいと思っていました。けれども、この大量離職以来、社員を幸せにすることを第一に考えるようになったんです。

奥田 ビジネスの展開として、いろいろ打ち手を持ってらっしゃるように感じますが、今後、どんなことを目指しておられますか。

佐藤 私はお酒が大好きなのですが、実はもう2年8カ月、お酒を飲んでいないんです。

奥田 何かの願掛けですか。

佐藤 はい。フロンティアリンクを上場させるまではお酒を断とうと。

奥田 上場のめどはいつ頃ですか。

佐藤 24年から26年くらいまでにはと考えています。実はフロンティアリンクには、ベンチャーキャピタルを入れていません。現在の株主は59名で、そのほとんどが知り合いからの小口の出資です。それだけに、早く上場してお返ししたいというモチベーションがあるんです。

奥田 ベンチャーキャピタルのように上場を急かすことはないけれど、資本の向こうに応援してくれた人たちの顔が見えると。

佐藤 そうですね。そうした方々の恩に報いたいと思うとともに、オフィスを持たず、テレワークですべての業務が行える日本初の上場企業になりたいと思っています。

奥田 前編で大学院生と経営者の二足の草鞋を履くというお話をうかがいましたが、佐藤さんは学究肌でもあり、経営センスも卓越されていると感じます。ご自身ではその点、どう思われますか。

佐藤 経営センスがいいかどうかはわかりませんが、研究も好きですし上場することも大切なことです。でも、それらはいずれも目的ではなく、世の中の人を幸せにする手段にすぎないと考えています。

奥田 いいですね。上場の暁には、ぜひ一杯やりたいものです。やるべきことが山積しているご様子ですが、ますますのご健闘をお祈りしています。

こぼれ話

 名刺を差し出して、(さて、どんな話から始めようか)と話題を探っていたら、ひきこもり×在宅×ITの会社を率いる佐藤啓さんから「神社の話をしていいですか」と投げかけられた。少しスピリチュアルな風味がする。守備範囲の話題だった。本文では触れていないが、そこまで言われるのならば今回の「こぼれ話」を書くにあたって、話に出てきた現地の神社に出向いてみなくてはいけないと思って、ブラリと高知県の須崎市に向かった。冷たい空気が舞う岡山駅はまだ眠っていた。「南風1号」、早朝7時8分発。ホームに降り始めると、通勤電車からの降車客で階段は溢れかえった。パワーをいただいて、さあ出発だ。小歩危・大歩危を左右に見ながら、列車は山あいを走る。山並みを見上げてから切りたった谷底をのぞく。快適な忙しさだ。新幹線では味わえない心持ちで高知駅に滑り込む。少しお尻が痛いが、ほど良くなった頃に同じホームで「あしずり1号」に乗り換える。海がチラチラ見えてくる。須崎駅に10時30分到着。春の気配が線路に漂っている。改札を数人が通り抜ける。この駅でいいんだよな、と心の声。念のため駅名を確認すると“すさき”とある。濁らないんだ。地域特有の呼び名に、旅を味わう。改札を出て、振り返って見た駅舎に、どビックリ。昨年12月18日にリニューアルしたばかり。なんと三角屋根の英国レトロ調で、ピッカピカ。駅前に観光案内所があって助かった。

 ここで我にかえる。このコラムは旅日記ではないぞ。「おとなし神社はどこにありますか」「タクシーに乗って…」「遠いんですか」「その先に伊勢海老を出す店があるから、予約しましょうか」。どうも会話のテンポが噛み合わない。そこで、ギアチェンジする。30歩ほど歩きながら観光案内所の方にタクシー会社まで送っていただいた。車に乗る。「おとなし神社まで」。地名もそうだが、神社の名前も特有だ。のんびりした入江の狭い道をクネクネ走りながら、神社に着く。山の窪地の境内を見渡しながら、社殿を背に入江に向かって立ち並ぶ鳥居に目をやると、前方には、のたりとした凪ぎの海が布を敷いたように広がっている。そうなんだ。だから、“おと”が“なし”の神社(鳴無神社)なのだ。参拝をして屋根を見上げると、立派な社紋がある。須崎を後にして、高知市内の土佐神社に向かった。たまたま出向いたわけではない。東京・月島での佐藤さんとの対談を終え、写真撮影の間、邪魔にならないように部屋の隅に移動したら、キャビネットの上に土佐神社のお札が目に入った。場所を調べてみると、高知市内にある。鳴無神社の帰路に高知市に宿泊すると都合が良い。格式のある別表神社だ。

 高知城にも出向いた。藩主の山内一豊は“内助の功”で有名だ。その妻の千代は岐阜出身である。私も同郷だ。ちょっぴり親近感を覚える。城内を年長のボランティアの方に丁寧に案内していただいた。「これ山内の家紋ですか」「はい、そうです」「鳴無神社の社紋“土佐柏”と同じですね」。なぜ同じなのだろうか。そうだ。須崎と高知の直線距離は29キロとある。鳴無神社のある入江は荷揚げ場所あるいは軍港ではなかったか。旅はさまざまな刺激を与えてくれる。佐藤さんの話は礼文島、小樽、仙台、東京、和歌山、熊本、はるか南の島までが活動範囲。一つの街の旅でこれだけの時間を要する。それが全国に及ぶ。その謎は解けた。社員は全員が在宅だ。どこでもオフィスだ。そんな事業構造の経営者はインターネットにアクセスできれば場所を選ばない。わかってはいたが、佐藤さんはコロナ以前から全国を旅しながら仕事をしている。ネットがすみかか。凄い。勉強になりました。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第299回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

佐藤 啓

(さとう けい)
1973年、北海道札幌市生まれ。東京工業大学工学部電気・電子工学科卒業。96年、セイコーエプソン入社。ソフトウェア部門でエンジニアとして従事し、会社派遣による海外留学(米ワシントン大学経営大学院=MBA修了)を経て、経営企画部門で新事業育成等を担当。同時期に東京工業大学非常勤研究員も兼務。2006年、フロンティアリンク設立、代表取締役に就任。17年、日本初のひきこもり者主体の株式会社「ウチらめっちゃ細かいんで」を設立、代表取締役を兼務。19年、長崎県五島市に障害者の在宅雇用を推進するニュータイプ・ラボを設立し、20年、代表取締役に就任。著書に『株式会社ウチらめっちゃ細かいんで――ひきこもり×在宅×IT=可能性無限大!』(あさ出版)がある。