逆風の中、父が創り上げた事業を再構築し新たな価値を提供する――第297回(上)

千人回峰(対談連載)

2021/12/31 00:00

北條裕子

北條裕子

SouGo 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/笠間 直
2021.11.23/長野県北安曇郡池田町の八寿恵荘にて

週刊BCN 2022年1月3日付 vol.1905掲載

【長野県池田町発】快晴の祝日、私たち取材クルーは晩秋の安曇野を目指した。長野駅から車でおよそ1時間半。北アルプスの山々は美しく色づき、稜線にはわずかに雪が認められる。池田町の中心街から外れ、つづら折りの急な山道をしばらく行くと「カミツレの里」に到着する。温かく迎えてくれた北條裕子さんは、創業経営者である父君の跡を継ぎ、コロナ禍の下でもマルチな活躍をされている。美しい自然の中で、ビジネスの厳しさと新たな事業展開についてじっくりと話を聞くことができた。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.11.23/長野県北安曇郡池田町の八寿恵荘にて

コロナ禍の下 印刷事業からの撤退を決断する

奥田 北條さんが社長を務めるSouGoは、国産・農薬不使用栽培のカモミールから抽出したカミツレエキスの入浴剤「華密恋(かみつれん)」の製造・販売など、複数の事業を展開されていますが、もともとは印刷業を営まれていたそうですね。

北條 ここ長野県池田町出身の父が上京して、昭和24年、24歳のときに中央区で友人たちと印刷業を始め、昭和34年に相互印刷工芸株式会社を設立しました。印刷業は当社の柱だったのですが、コロナ禍の影響が大きく、2021年3月末でこの事業からは撤退しました。

奥田 それは大変でしたね。

北條 大手企業さまからの印刷物を数多く任されていたのですが、大きな売上を占めていた得意先からの20年上期の発注はゼロで、これはいよいよ厳しいということで、印刷のほうは閉めようと決断しました。東京・東陽町にあった5階建ての自社ビルも同時に処分しました。

奥田 ちなみに、印刷部門には何人くらいの方が働いていたのですか。

北條 90人ほどですね。知り合いのつてをたどって、3割ほどは受け入れてもらい、得意先からの仕事も一緒に移す形をとりました。

奥田 経営者として、とても重い決断をされたのですね。

北條 創業者である父はすでに亡くなっていますが、天国で怒っているかもしれませんね(笑)。このコロナ禍で、あらためて経営の大変さを思い知らされました。

奥田 その後の事業構成は、どのようになっているのですか。

北條 国産カモミールにこだわったスキンケアブランド「華密恋」、その原料となるカモミールの栽培やカミツレエキスの製造、エキス抽出後の残渣を含めカモミールを活用した商品を創造・提案する「カミツレ研究所」、今日おいでいただいた「八寿恵荘」との三つのブランド展開を柱にしています。

奥田 祖業である印刷とはずいぶん雰囲気の異なる事業展開のように感じられますが、これらはお父さまではなく北條さんが考えられた事業なのですか。

北條 いいえ、ほとんど父が考えて実行した事業で、私はそれに少しアレンジを加えた程度なんです。

奥田 それはちょっと意外ですね。

父親のがん治療をきっかけにロングセラー商品が生まれた

北條 カミツレエキスというのは、ハーブの女王と呼ばれるジャーマンカモミール(和名:カミツレ)から独自の製法で抽出したエキスのことで、保湿力や消炎力にすぐれ、かつて医薬品として使われたこともありました。現在は、当社のスキンケア商品のすべてに配合しています。この八寿恵荘の建っている高地は「カミツレの里」と呼ばれ、宿の目の前は一面のカミツレ畑になっているんです。

奥田 ということは、お父さまがハーブに目をつけられたと。

北條 実はカミツレエキスを事業化したきっかけは、四十数年前に父が喉頭がんを患ったことでした。母が、治療してくださる先生を懸命に探して、そこで出会ったのが漢方の薬学博士でした。その先生の処方による漢方薬で、父の病気が完治してしまったのです。

奥田 それはすごいことですね。

北條 その効果に感銘を受けた父は漢方やハーブのことを学ぶようになり、そこでカミツレとの出会いがありました。そして、自身の経験からもこれを世に広めたいという思いからエキスを商品化し、カミツレエキス100%の入浴剤として発売したのが1982年のことです。22年で発売して満40年になります。

奥田 たいへんなロングセラー商品ですね。ところでお父さまは、もともとそうしたことに関心があったのでしょうか。

北條 そうですね。昔から健康を重要視するところがありました。私が小学生の頃、玄米を食べさせられたこともありますし、環境に対しても配慮するタイプだったと思います。

奥田 ある意味、時代を先取りした意識をもって事業を進められてきたのですね。いま、企業に求められているSDGsなどの発想にも合致しているように思えます。

北條 かつて行っていた印刷事業でも、持続可能な資材やインキなどを使用し、環境に配慮した印刷物を提案していました。そうしたことを振り返ると、健康を重視し環境を大切にするという父の発想は一貫していたのだと思います。

奥田 現在の事業の柱の一つであるカミツレエキスの製造工程について、簡単に説明していただけますか。

北條 カミツレの生産は、このカミツレの里にある自社農園をはじめ、18都道府県、31カ所で無農薬・無化学肥料での栽培を行っています。晩夏から秋にかけて種をまき、その後定植し、翌年の春から初夏にかけて収穫します。

奥田 ここだけではなく、全国各地の契約農家に生産を委託していると……。農薬を使わず有機肥料での栽培というだけで難しそうなのに、その生産ネットワークを広げていくのも簡単ではありませんね。

北條 そうですね。人づてに紹介していただいて、地道に広げていっています。生産農家さんの例を挙げると、生産量が最も多い岐阜県の大垣市薬草組合では、減反政策による休耕田を利用し、もう40年近くカミツレ栽培をしてもらっています。また、農家によっては米との二毛作にも取り組んでいて、最近、後継者不足で増加している耕作放棄地の利用も行われています。

奥田 なるほど、農地の有効活用という面にも貢献しているのですね。

 それで、収穫した後はどうなるのですか。

北條 各地で生産されたカミツレは、カミツレの里にあるエキス製造工場に送られてきます。

 まず原料を選別し、仕込み、熟成、ろ過、二度目の漬け込み(仕込み・ろ過)、充填というプロセスを経て完成します。入浴剤は100%カミツレエキスなので、その他の成分を加えたり薄めたりすることなくそのまま容器に詰められるのです。

 販路は自社通販サイトと卸しの2通りで、コスメセレクトショップやロフトなどのバラエティショップでも取り扱っていただいています。

奥田 原材料の調達から販路開拓まで、見事に一貫していますね。すごい!(つづく)

お父さまが使っていた小銭入れ

 お父さまは、この小銭入れを鍵のケースとして使っていたそうだ。若い頃、ときには反発したこともあったが、同時に尊敬し、いつかは越えたいと思う存在だったという。「創業者である父の考えを大切に継承しながら、会社を発展させようという思いから、この小銭入れを常に持ち歩いているんです」と北條さんは話してくれた。ちなみに、北條さんもお父さまと同じように鍵のケースにしているそうだ。 
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第297回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

北條裕子

(きたじょう ひろこ)
 1965年、東京都世田谷区生まれ。玉川学園女子短期大学卒業後、印刷の専門学校である日本プリンティングアカデミーに学ぶ。3年間の印刷企画会社勤務を経て、父・北條晴久氏が創業した相互印刷工芸(現SouGo)に入社。2015年、同社代表取締役社長に就任。一般社団法人深川アートパラ代表理事も務める。