優れた人間を束ねて結果を出す プロマネの世界に生きる――第296回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/12/10 00:00

宮田一雄

宮田一雄

ハンブル・マネジメント 代表

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2021年12月13日付 vol.1903掲載

【内神田発】宮田さんにはつらい思い出があるそうだ。課長になった頃、とても優秀で性格も明るい部下がいて、難航しているあるプロジェクトを途中から担当してもらうことにした。ところが、ある月曜日、前の週末は仲間と楽しく過ごしていたにもかかわらず、彼は自ら命を絶ってしまう。原因は、いわゆる「パワハラ顧客」の存在だった。ソフト開発の仕組みを改め、そうした悲劇を繰り返してはならないと宮田さんは語る。今回の対談では、開発現場が抱える問題についても改めて認識することとなった。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.10.26/東京都千代田区のBCN会議室にて

ウォーターフォール開発は 分業を前提とした製造業モデル

奥田 前編では野中郁次郎先生のSECI(セキ)モデルについて説明していただきましたが、なぜ「ジョブ型」がウォーターフォール的な弊害につながっていくのでしょうか。

宮田 ウォーターフォール開発では膨大なドキュメントの指示によってプログラミングが行われるわけですが、ジョブ型によって設計者と現場のワーカーとの間の直接的なコミュニケーションが分断されていると、作業指示はすべてドキュメントによることになります。すると時間がかかるうえ、現場の作業者にやりがいも生まれず、品質向上も見込めません。

 ところが、当時の日本の製造業は、いまでいう「スクラム」の手法によって、圧倒的なスピードで高品質な製品を次々に生み出し、顧客の要望にもフレキシブルに対応しました。つまり、設計変更にも迅速に対応できたのです。

奥田 それは、ソフトウェアのアジャイル開発と同じと考えていいですか。

宮田 そうですね。いまはそれがアジャイルと呼ばれるようになっています。

奥田 最近は、ウォーターフォール開発からアジャイル開発へという動きがありますが、これについてはどう思われますか。

宮田 例えば家を建てる場合、はじめに設計図というドキュメントをつくって仕様を確定し、現場の大工さんがそれにしたがって作業を行い、そのとおりに完成させるわけです。これはまさにウォーターフォール開発であり、家に限らず、ハードウェアをつくる場合の基本的な手順といえるでしょう。分業を前提とした製造業モデルですね。

 ところがソフトウェア開発の場合、開発中の仕様変更はめずらしいことではありません。先ほどお話ししたように、ウォーターフォール開発はドキュメントベースでの合意が必要ですから、どこかを変更すると、次々に修正しなければいけない箇所が発生し、時間も費用も膨れ上がることになります。実は、私は新人の頃から製造業モデルであるウォーターフォールはソフト開発にそぐわないのではないかと感じていました。

奥田 ということは、昨日今日の問題ではなく、以前からウォーターフォール開発には問題があったというわけですね。ならば、短い期間で少しずつリリースすることができ、仕様変更にも対応しやすいアジャイルに移行すればいいと考えてしまいますが、いまの日本での開発状況はどうなっているのでしょうか。

宮田 日本におけるアジャイル開発の割合は、現在も全体の1割にも至っていません。

奥田 まだ、そんなに少ないのですね。

宮田 それに対してアメリカでは、2000年以降、シリコンバレーでアジャイル開発が活発化し、10年頃からそうしたソフトウェア企業が世界を席巻するようになったのです。そして、この時期からクラウド環境やテクノロジーが飛躍的に進化し、クラウド上に自由に使えるツールも増えました。しかし日本では、ことに大きなプロジェクトの場合、契約上の問題でウォーターフォール開発をせざるを得ないケースがまだまだ多いのです。

新たなイノベーションを生み出し ノーベル賞を目指す

奥田 ところで宮田さんご自身は、SEとしてキャリアをスタートし、その後プロジェクトマネージャーとして長く活躍されています。

宮田 25歳のときにはじめてプロジェクトマネージャーを任され、部下を1人つけてもらいました。その部下に口頭でプログラムの仕様を伝えたのですが、驚くことにその翌朝、出社してみると完成していたんです。話を聞いてみると「面白くなって、会社に泊まってしまいました」と。

 私は、その仕事に1週間はかかると見込んでおり、もしプログラミングで戦ったら、一晩で完成させた彼にはとてもかなわないと悟ったんですね。そこで、自分はSEとして勝負するのではなく、彼のような優れた人間を束ねて結果を出すマネジメントの世界でやっていこうと思ったわけです。

奥田 優秀な部下が現われたことで、軸足をマネジメントに移されたのですね。現在の肩書は「ハンブル・マネジメント代表」とありますが「ハンブル」とはどんなことを意味するのですか。

宮田 「謙虚」という意味です。一般にコンサルタントというと、過去の成功事例などを示してアドバイスするものの、実際に行動するのは顧客であるというスタンスですが、心理学者のエドガー・シャインは、自らの経験も踏まえ、それではダメだと考えて「ハンブル・コンサルティング」を提唱しました。謙虚なコンサルティングとは、顧客の抱える複雑で面倒な問題を一緒になって解決するというスタンスをとるものです。

奥田 コンサルタントもただペーパーを出してフィーを得るのではなく、もっと親身になって顧客の問題解決にあたる必要があるということですね。

 いま宮田さんは複数の企業の社外取締役や顧問を務められていますが、どのようなプロジェクトに関与されているのですか。

宮田 私が富士通に在籍していたとき、「心臓シミュレーター」の事業化に取り組んでいました。心臓シミュレーターとは、一人ひとりのCTスキャンデータから、バーチャル空間で血液や筋肉の分子レベルのシミュレーションを行うもので、もうその技術は確立しています。

 ただ、富士通では商用化するに至らず、現在は東大のスタートアップベンチャーと医療機器メーカーが協働し、開発を進めています。私はその事業化を担う会社の顧問を務めているのですが、この技術によって東大の先生にノーベル賞を取ってもらいたいと思っているんです。

奥田 ノーベル賞ですか!

宮田 これまでに医療機器でノーベル賞を受賞したのは、レントゲンとCTとMRIだけなんです。

奥田 いずれも現代の医学に欠くことのできない検査機器ですが、その延長線上に心臓シミュレーターがあるというわけですね。大きなニーズがあるように感じられますし、日本発の優れた技術が世界のマーケットを席巻するかもしれないという期待感もあります。

宮田 この技術については学会発表も済み、いまはNASDAQ上場を目指して動いています。

奥田 それはほんとうに楽しみですね。私も次代の人材育成と新たなイノベーションの創出が、日本の未来のカギを握ると思っています。宮田さんの次の一手を楽しみに期待しております。

こぼれ話

 取材をしていてとても“楽”な時がある。といっても、手を抜いているわけではない。しっかり、気を入れて聞き込んでいる。『千人回峰』は原則として、一対一の対面である。あとわずかで、300人の方との取材となる。実はこの『千人回峰』は相手のことを取材すると同時にインタビュアーの考え方も投げかけながら、その人の歴史と価値観を紡いでいる。私のお腹には『千人回峰』を始める時から「人とは何ぞや」の解を求めたいという意(おもい)が宿っている。この先、700人との対談を楽しみにしているが、300人を目前にしての“解”は「人とは同じである」ということだ。そこで「何が同じなのか」と問われたら「人なんですよ」と答えると思う。では「人とはなんぞや」と再び問われたら「人なんですよ」となる。いうならば、割り切れない循環小数とかに似た感覚だ。

 それでも、人には個体差がある。私はいずれであっても人は同じであると今の段階では思っている。宮田一雄さんは1000年前に生きていても、1000年先に生きていても自身が備えているコンピューターでいうOSの元に、時の環境に合わせた同じような生き方、社会での役割を果たしておられるのではないか、と思う。宮田さんは同質のOSをもつ人との関わりを大切にしておられる。それはOSレベルの“相性”という言葉に置き換えてもよいのではないか。人の価値観は、人の存在する分だけ存在する。無限かもしれない。しかし宮田さんの価値観は昔も今もこの先も同じだと考えている。インタビューで最初の質問をした時だ。瞬間、「その質問じゃないんだよ」のオーラが伝わってきた。対談の前から、話す準備をし、豊富な内容を用意しておられたのだ。それに気づいて、冒頭の“楽”なという状態に入った。聞き込んでいる間に、『千人回峰』の主テーマである「人とはなんぞや」を考え続け、今回の中間報告に至ったのである。

 個体と全体は常に考えさせられるテーマだ。経営判断においても、個別最適と全体最適は因果を考えるときには効果的な視点である。宮田さんにソフトウェアの開発手法であるウオーターフォールとアジャイルについての特徴と開発手法そのもの自体の進化を解説してもらった。話を聞くうちに、それは個体が備える能力と、開発する組織自体がもっている開発体制、国の開発文化によって異なり、学術的な要因での採用は無理だということだ。考えてみれば、何事もそうだとも言える。明治維新があったとしても何年かするうちに、徳川幕府のトレースが散見され、これが日本のOSとも言える文化と制度なんだと、安易な位置で納得してしまう自分がいる。宮田さんにはコロナ禍でも対面で継続できた『千人回峰』2021年のラストを飾っていただいた。それだけではなく、300人目の目前に「人とはなんぞや」の“解”の中間報告ができるきっかけをいただいたことに感謝したい。長老とは、こうした方を言うのかしら…。

 
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第296回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

宮田一雄

(みやた かずお)
 1954年、山口県生まれ。77年、大阪大学基礎工学部機械工学科卒業後、富士通入社。システムエンジニアの仕事に従事し、その後、数多くの案件でプロジェクトマネージャーを務める。2003年、同社通信ユーティリティーソリューション本部長。04年、同社経営執行役社会基盤ソリューションビジネス副グループ長。11年、富士通アドバンストソリューションズ代表取締役社長。15年、富士通システムズ・ウエスト代表取締役社長。16年、富士通執行役員常務グローバルサービスインテグレーション部西日本ビジネスグループ長。21年、ハンブル・マネジメント代表(現任)。

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