問題解決というニーズに応え続けることが企業の存続につながっていく――第288回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/08/20 08:00

秋山 勝

秋山 勝

ベーシック 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2021年8月23日付 vol.1887掲載

【東京・一番町発】ネットバブルの時代、秋山さんは個人資産が2000億円というIT長者に誘われてご馳走になったことが何度もあったそうだ。ところが、おいしいものを飲み食いできるのはいいが、その人が口にする話題は自身の妻に対する愚痴ばかりだったという。「このとき、お金の限界を見た気がしました」と秋山さんは語る。「お金の限界」とはなかなか言えない言葉だ。ある種の経営者に対するアンチテーゼとも受け取れるが、考えすぎだろうか。(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.5.25/東京都千代田区のベーシック本社にて

何も知らない自分が「おまえは将たる器だ」と評価される

奥田 秋山さんは高校卒業後、5年間のパチプロ生活を経て就職されますが、最初の会社はどんな業種だったのですか。

秋山 電話工事系の商社ですね。入社したときは社員5名ほどの小さな会社でした。ここが社会人としてのスタート地点で、商売の基礎を身につけさせてもらいました。

 この会社には4年半在籍したのですが、1年目を終えたある日、社長に呼ばれました。何か叱られるのではないかと思い、恐る恐る行ってみると、「おまえは将たる器なのだから、自覚を持て!」と言われたのです。

奥田 ほう、そんな若い社員にいきなり? 社長には先見の明があったのですね。

秋山 でも、この会社での私のあだ名は「バカくん」でした。

奥田 バカくん? そんなあだ名を面と向かって口にするのですか?

秋山 ええ、ふつうに呼ばれていました。実際、パチンコ以外何も知らず、社会常識も身についておらず、自分自身バカだと思っていましたから仕方ないと。だから、社長の言葉には信じがたいものがありました。

奥田 まだ、自己評価は低かったのですね。

秋山 私にとっては恩人なのですが、当時、私には自覚を持てと言う一方で、他の社員にはダメ出しばかりしていました。そのため、社員数は30名くらいまで拡大したのですが、辞めていく社員も少なくなかったのです。

奥田 社長としては、秋山さんを後継者にしたかったのかもしれませんね。

秋山 そういう雰囲気もあったかもしれません。でも、それはちょっとイヤでしたし、人事マネジメントの面で意見が衝突し、社長とはけんか別れのような形で会社を離れました。もちろん、転職の理由はそれだけでなく、新しい業界に身を置いてみたいという気持ちもありました。

奥田 次の世界へのステップですね。

秋山 1999年に転職したのはグッドウィル・コミュニケーションというアウトソーシング専門の会社で、アウトソーシングとインターネットの融合を目指した会社でした。ただ、この会社はネットバブルがはじけるとともに解散することになります。そのため、私は東証一部上場のIT企業であるトランス・コスモスから誘われて移るのですが、当初はそんな大手企業に入っても仕方ないと固辞していました。同世代が経営する会社からも誘われており、そこに入ろうと考えていたんです。ところが「おまえに足りないことは、大手企業の取引や組織の力学を知ることだ」と説得され、それも一理あると思い、トランス・コスモスに入社することにしました。それが2001年のことですね。

満たされていたからこそ 起業の決断をすることができた

奥田 トランス・コスモスでは、どんな仕事に就かれたのですか。

秋山 ちょうどインターネットの本格活用が始まるという時期で、新規事業の立ち上げメンバーになりました。プライベートでは結婚して子どももでき、仕事の面でも評価され、非常に充実した時期でしたね。でも、2年半ほどここで働いた後、ベーシックを設立することにしました。

奥田 それほど生活も仕事も充実していたのに、起業に踏み切ったのはどうしてですか。

秋山 一つは、挑戦したいテーマが見つかったからです。トランス・コスモスで提案した業界特化の情報サイトの企画が、事業計画の関係でお蔵入りしたことから、それを自身の手で実現したいと思いました。そしてもう一つの理由は、家庭でも仕事でも満たされていることに安住してしまっていいのかという思いでした。10年後の自分を想像したとき、守りに入る姿が浮かんで来て、これはまずいと。

奥田 あえて安定を捨てているように見えますが、奥さんの反応は?

秋山 起業の相談をしたら、「いいね」と(笑)。実は妻はグッドウィル時代の同期で、年齢は5歳下なのですが、当時、私に対して「あなたは、会議での発言の質が違うから大成する見込みがある」と言ったんです。

奥田 それはすごい! 先見の明という点では、最初に入った会社の社長さんと一緒ですね。

秋山 そう、だから私にとって妻も恩人の一人なんです。

奥田 起業時のテーマである、業界特化の情報サイトとはどんなものですか。

秋山 最初に手掛けたのが、引越業者の見積比較サイトです。そして留学やフランチャイズビジネスの比較サイトもつくりました。これらに共通するのは、誰に相談していいかわからないニッチな領域であることです。

奥田 どちらかというとマイナーなジャンルでの問題解決なのですね。

秋山 そうですね。最初に入った会社で営業をしていたとき、あるときを境に売れるようになったのですが、それはお客さんの課題を解決するということに自分が腹落ちしたタイミングでした。一見、誠実そうな「なんでもやります」という営業姿勢は、お客さんに問題を丸投げする態度であり、それではダメだということがわかったのです。

奥田 それで困りごとのターゲットを絞ったと。

秋山 起業して最初の事業が当たり、ある上場企業からM&Aの申し入れがありました。3億円で買いたいと。周囲に相談すると、みんな売ったほうがいいといいます。でも、その3億円をうまく使う自信がなく、お断りしたんです。

奥田 秋山さんは、目の前のご馳走に飛びつかないタイプなのかもしれませんね。ところで、企業の存続ということについてはどうお考えですか。

秋山 売上は社会からの評価であり、企業が存続していくためには社会のニーズに応え続けなければならないと考えています。当然、そのニーズをキャッチする努力を怠ることはできませんし、私自身、一次情報を大切にして、顧客へのインタビューも行っています。

奥田 今後10年を見据えたとき、どのように社会やマーケットは変わっていくと思いますか。

秋山 にわかには想像がつきませんが、例えば、ダイバーシティ、SDGs、LGBTQなどの動きを考えると、個の幸せの追求により目が向けられる社会になっていくのだろうと思います。

 私は、社会に生かされていると感じることが多々あります。だから、できるだけさまざまな問題解決のお手伝いをしていきたいと考えていますし、そうした役割を次の世代に引き継いでいきたいと思います。

奥田 今日は「人」にまつわる“いい話”をたくさん聞くことができました。さらなるご活躍を期待しています。

こぼれ話

 「秋山さん、本当ですか」と、数回、聞き返した。「そうですよ」。失礼とは思ったが、「本当ですか」と、ここでも数回、念を押した。「そうなんですよ」。そこまで言われるのならば、それを事実として話を進めよう。小学校4年生から中学3年生の間、試験問題には自分の名前だけ書いて提出する。でも登校は続ける。当然のごとく成績は“オール1”が続く。この話を聞きながら、とんでもない人に出会った、と思った。というのは、およそ6年の間、オール5よりもオール1を続ける意志のほうが、重いように感じたからである。オール1を貫くのは、家族はもとより、教員や学校を相手とする社会性を帯びた行動だからだ。自分の小中学生当時を重ねてみた。幾度反芻しても、及びもつかない考えであると思った。これは“勇気”といってもいいのではないか。秋山少年の心の中にもっと分け入ってみたかったが、今の私のインタビューの力では及ばないと感じた。いつか挑戦したいと思い、私の宿題とした。

 本題の「こぼれ話」はここから始まる。人とは何ぞや、という『千人回峰』で出会う人から得る“解”は、山の上で見上げる満天の星のように、それぞれが輝いている。それぞれが違った輝きを放っているのだ。同じように見えるのだけど、それぞれなのだ。じっと光を放っている人、キラキラ輝いている人、目を凝らしながら見ているとスッと姿を追えなくなる人。――これはいけない、当てはめる言葉を誤ってしまった。これは“星”の話である。72歳にもなると、少年期から眼鏡をかける生活習慣の私も、つい最近は外出してから眼鏡をかけていないことに気づくようになった。夜空を見上げると、見える星の数が減ったように思う。が、これでいいのだ。今見えているのが、私にとっての“満天の星”なのだ。年齢を重ねる喜びは、自分が見える風景、あるいは見えるがままの世界に納得できる自分がいることにある。眼鏡をかけて見る必要はないんだよ。

 クルマの運転をする人は交通ルールに従う必要がある。だけど、生きることって、クルマの運転をすることと同じなのだろうか。秋山夫人が独身で会社の同僚であった頃に、秋山さんに対して「あなたは人と違っている。会議の時の発言からそう思う」と。この話を聞いて思わず頬を緩めながら「ご馳走さま」と返した。が、心の中では秋山さんの見ている風景はこの人の立ち位置からしか見えないものなのだと思った。そういえば、私の場合も仲間と山に入って撮った風景の切り出しが、それぞれなのである。ここで突然思い出したことがある。中学1年生の絵の授業のシーンだ。かなり鮮明に思い出した。その人の名前まで思い出すほどだ。描き終えて先生の講評があった。彼の絵の番だ。先生が広げて見せた画用紙には、大きな屋根瓦が数枚描いてあるだけだった。おやっ!?と思った。独特なのだ。先生の講評の内容は控えておくこととする。が少年ながらに、不快に思った。秋山さんとの話を終え、2年先に再会したいと約束した。その間に変化する。いや、満天の星の姿が変わるのではなく、私が変わるのだ。いや、お互いが変化するのだ。考え続けよう。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第288回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

秋山 勝

(あきやま まさる)
 1972年、東京都葛飾区生まれ。91年、東京学館高等学校卒業後、5年間のパチプロ生活を経て、企画営業職として商社に入社。97年、グッドウィル・コミュニケーション入社。物流倉庫の立ち上げやEC事業のサービス企画を担当。2001年、トランス・コスモスに入社し、Webマーケティング関連の新規事業など数々の事業企画を手がける。04年、ベーシックを創業。オールインワン型BtoBマーケティングツール「ferret One」、フォーム作成管理ツール「formrun」、国内最大級のWebマーケティングメディア「ferret」を展開する。

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