子どもの頃から「なぜ?」を追求し自らの生きる姿勢を確立する――第288回(上)

千人回峰(対談連載)

2021/08/06 08:00

秋山 勝

秋山 勝

ベーシック 代表取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2021年8月9・16日付 vol.1886掲載

【東京・一番町発】秋山さんの幼少期の話を聞くと、とても我の強い子どもだったのだろうと想像する。でも、「唯我独尊」タイプではなかったことが、ほどなくしてわかる。周囲の人々との関係性とそれに対する感謝、そして十代の頃から自分を客観視し、きちんと自省し、それを次の行動につなげる謙虚さがエピソードの端々から立ち現われてくるからだ。きれいごとではなく、経営者にとって、人生と仕事に誠実に向き合う姿勢は必須だと改めて感じる。
(本紙主幹・奥田喜久男)

パチプロになってパチンコ屋が潰れない理由をとことん分析

奥田 秋山さんの経歴を拝見すると、IT企業の経営者としては、かなりめずらしい道筋を歩まれていますね。

秋山 そうですね。高校を卒業してから進学せず、5年間パチンコで生計を立てていました。パチプロになったきっかけは、そもそも「なぜそうなるのか」と考えることが好きだったことにあります。

奥田 パチンコの「なぜ」ですか……。

秋山 多くのお客さんは運まかせで勝ったり負けたりしているわけですが、お客さんが儲けたことでパチンコ屋が潰れたという話は聞きません。ならば、その裏には店が必ず勝つための恣意的な秘密があるに違いないと考えたのです。

 もちろん、その要素は、台の特性、競合店との関係、釘の甘さの調整などさまざまですが、そこには法則性があるはずであり、そのなかで勝ちやすい状況を見つけようとしました。これをするとしないとでは、結果に雲泥の差が生じます。

奥田 パチンコにのめり込むのではなく、分析しようとしたのですね。

秋山 はい。PDCAを回して、検証しようとしました。20人以上の仲間と一緒にチームとして勝負し、まめに情報収集を行うことで、圧倒的なパフォーマンスを生み出したわけです。

奥田 ビジネスの戦略みたいですね。

秋山 このとき、私が行き着いた結論は、当たり前のことかもしれませんが、勝つためには射幸心を煽られず、自制するということでした。

 たとえば、18時まで打って2万円負けていたらその日は勝てないはずなので、そこで損切りするという対処のしかたをしていました。ふつう、そこまで負けていたら熱くなってもっと資金を投入してしまうことが多いものですが、そうした相手を利する状況を回避したのです。経済学でいうサンクコスト(埋没費用)の考え方ですね。

奥田 なるほど。「なぜ」と考え、冷静に相手と対峙すれば、それが勝ちにつながると。

秋山 そうですね。私は小さな頃から「なぜ」と考えることが好きでした。ところがその「なぜ」が、まったく勉強しなくなるきっかけになってしまったのです。

奥田 それはどういうことですか。

一切勉強しない子であっても決して否定しなかった両親

秋山 小学校4年生の頃、「なぜ、勉強しなければいけないのか」と担任の先生に何度もしつこく聞いたことがありました。あまりにしつこく聞いたからかもしれませんが、先生は「みんながやるからやるんだ!」と言って、私の頬を叩いたのです。「みんながやるから自分もやる」ということに納得できない私は、その後、一切勉強しないことにしました。

奥田 学校に行かなくなったのですか。

秋山 休んでしまうと負けた気がするので、学校には行きました。でも、学校では何もしません。テストのときは答案用紙に名前だけ書いて、後は寝ていました。だから成績のつけようもなく、ずっとオール1だったんです。

奥田 一本筋が通っているようですが、親御さんはだいぶ心配されたんじゃないですか。

秋山 ところが、両親は私の存在を否定したことが一度もありませんでした。

 そんな調子だったので、親は学校から何度も呼び出されたのですが、その帰りに母が「どうして勉強しないの」と問いかけてきました。私が「したくないんだ」と答えると、母は笑いながら「したくないんだったら、仕方ないね」と言ってくれたんです。父も「将来困ると思ったら勉強しろ。そう思わなければ、おまえの人生なのだから勝手にしろ」と。

奥田 ご両親は、秋山さんのことを信じていたのですね。

秋山 私には3人の子どもがいるのですが、この経験は大いに役立っています。子育ては、子どもの存在意義を認めることに尽きると。

奥田 それは大事なことですね。ところで、若き日の秋山さんの「勉強しない生活」はどこまで続いたのですか。

秋山 中学3年生になった頃、両親から「高校くらいは行ったほうがいいのではないか」と言われたことがありました。私は中卒で就職するつもりでいたのですが、ずっと私のことを認めてくれていた親があえてそう言うのだから、それなりの理由があるのだろうと思ったんです。

奥田 そこで「なぜ?」とは言わなかったのですね。

秋山 はい。ただ、高校を受験するにしてもそれまでまったく勉強してこなかったわけですから、簡単ではありません。そこで友人に紹介されて通った塾の先生が戦略を練ってくれました。当時の私は、英語はまったくダメ、国語は何とかなるレベル、数学は比較的得意という状態だったので、3教科で受けられる高校を選んで国語と数学で勝負しようと。その結果、中3の夏休み前から勉強を始めたのですが、2学期の期末テストでは国語と数学はクラスで一番をとりました。もちろん、高校にも合格しました。

奥田 もともとできる方なのでしょうが、それだけ勉強のブランクがあって、そこまで伸ばすのは並大抵ではないですね。自分に自信が持てたでしょう。

秋山 自分も少しはできるのかなとは思いました。ただ、自信ということではこの頃にダイエットしたことが大きかったですね。

奥田 ダイエット?

秋山 当時、私は肥満児で、ひどいいじめのターゲットになっていたんです。でも自分を客観視すると、太っているうえに勉強も運動もできず、いじめられる要素がたしかにあると。そこで、外見を変えることも必要と、十数キロ減量しました。背が伸びたこともあって、高校に入って間もない頃、町で中学の同級生に会っても私だと気づかれないほどでした。

奥田 それもすごい努力ですね。

秋山 このとき思ったのは、追い詰められたときに一番大事なことは、自分が自分を信じられるということです。自分を偽り、逃げ続けていてはダメだと実感しました。

奥田 まだ十代のうちから、そんな人の生きる姿勢についてまで考えたのですね。

 それで高校卒業後はパチプロとして真摯な探求生活というお話でしたが、その後のビジネスの歩みについては後編でじっくりとお聞きします。
(つづく)

D・カーネギー『道は開ける』の一節

 刑務所の鉄格子の間から、二人の男が外を見た。
 一人は泥を眺め、一人は星を眺めた。

 秋山さんがまだ20代の頃、感銘を受けたフレーズだ。同じ状況に置かれても、希望を見るか絶望を見るかはその人の解釈や考え方次第ということに、目をひらかれたという。
 


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第288回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

秋山 勝

(あきやま まさる)
 1972年、東京都葛飾区生まれ。91年、東京学館高等学校卒業後、5年間のパチプロ生活を経て、企画営業職として商社に入社。97年、グッドウィル・コミュニケーション入社。物流倉庫の立ち上げやEC事業のサービス企画を担当。2001年、トランス・コスモスに入社し、Webマーケティング関連の新規事業など数々の事業企画を手がける。04年、ベーシックを創業。オールインワン型BtoBマーケティングツール「ferret One」、フォーム作成管理ツール「formrun」、国内最大級のWebマーケティングメディア「ferret」を展開する。

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