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顧客がITの力を取り戻すための支援は 自分たちにとっての“世直し”だ――第287回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/07/30 00:00

牟田嘉寿

牟田嘉寿

豆蔵 執行役員 ビジネスソリューション事業部長 主幹コンサルタント

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2021.6.4/東京都新宿区の豆蔵本社にて

週刊BCN 2021年8月2日付 vol.1885掲載

【東京・新宿発】「個人商店の集まりを組織化する」とか「(定型業務のような)同じことは二度とやりたくないから自動化のプログラムをつくる」といったお話を聞いて、牟田さんはとても合理的で冷静な管理者タイプなのかなと思った。けれども、顧客サービスへの思いや事業部の方針を語るなかで“世直し”という言葉が自然と口をついて出たとき、仕事に対する情熱、興味、工夫、そして使命感のようなものが一気に溢れ出たような気がした。いずれも問題解決への真摯な態度であることに違いはない。
(本紙主幹・奥田喜久男)

2021.6.4/東京都新宿区の豆蔵本社にて

仕事の質を高めるためには“情報の透明化”が欠かせない

奥田 前職で豆蔵の研修を受けたことがきっかけで転職されたとうかがっていますが、何が決め手になったのですか。

牟田 私はプログラミングをする際、読みやすいものにすることを心がけてきました。プログラムというものはどんどん変わっていくものであるため、モジュール化して手を入れやすくしておくことが大事だからです。それは豆蔵の考え方であるオブジェクト指向につながるものであり、その部分でフィットしたということがあります。

 また、私は新しいことに挑戦したい気持ちや知識欲が強いほうだと思っていますが、そうした欲求に応えてくれる社風であることも決め手となりましたね。

奥田 豆蔵では、これまでどのようなキャリアを積んでこられたのですか。

牟田 2008年に入社し、10年以上、現場でコンサルティングをしてきました。そうしたなかで、豆蔵の社員はとても優秀だけれども個人商店の集まりのようであり、もう少し組織立った形で活動することはできないものかと感じていました。

 すると、18年に事業部長の補佐にならないかという話があり、コンサルタントの仕事と組織づくりの仕事を兼務することになりました。そして19年には現場を離れて事業部長になり、現在に至っています。

奥田 なるほど、組織づくりですか。これまでのお話を伺っていると、牟田さんは物事を整然とさせることが得意な感じがします。

牟田 そうですね。物事を体系化して理解しやすくすることは好きですね。

 豆蔵の組織についていえば、以前は個人がバラバラに行動しており、目の前の課題に対して個人技で乗り切るという傾向がありました。その個人が持つノウハウを組織が吸収して、それを個人に還元するというサイクルを構築しないと、より大きな組織の形成や仕事の質を高めることにつながらないと思いました。

奥田 事業部長に就任して、どんなことを考えられましたか。

牟田 昨今「ソフトウェアファーストの時代」だといわれていますが、お客さん自身はまだまだ苦しんでいます。例えば、ビジネスはどんどん変化しているのに、それにITがついていっていないとか、システム開発を丸投げしてしまっているゆえに担当者の仕事は管理だけになってしまい有能な社員が辞めていくといった事象が少なくありません。

 私はそうしたことが悔しくて、私たちのビジネスソリューション事業部では、「ソフトウェアファーストの実現を支援する」ことをコアコンピテンシーとしました。それは一つの“世直し”じゃないかと思うんです。この世直しによって、お客さんがITの力を取り戻すための支援をしていきたいと考えました。

奥田 内部組織についてはどうでしょうか。

牟田 豆蔵には、トップダウンを嫌う文化があります。そうしたことも踏まえて、まずお客さんが豆蔵に何を期待しておられるか、社員それぞれが何をやりたいのか、お客さんと社員の間のギャップを埋める存在として事業部として何をすべきか、という三つの事柄のバランスをとることが大切だと考えています。

奥田 そのバランスをとっていくうえで、どんなことが求められるでしょうか。

牟田 情報の透明化だと考えています。

奥田 情報の透明化とは、情報共有のことと捉えていいですか。

牟田 そうですね。お客さんが何を欲しておられるかを透明化し、社員それぞれが何をやりたいのかを透明化し、組織の方針も透明化しなければ、このバランスをとることはできないと考えています。当社では「Scrapbox」という情報共有のクラウドサービスの導入によって、そうした情報を蓄積・管理し、ノウハウの共有を実現しています。

日本でもいずれはアジャイル開発が主流になる

奥田 ところで、牟田さんの事業部では、アジャイル開発が主流だそうですね。

牟田 豆蔵デジタルホールディングスグループのデジタルシフト支援戦略にもなっていますが、私の事業部の開発のおよそ8割がアジャイルです。ウォーターフォールで開発した場合、例えば1年後に完成したとしても、その時点でもう必要のないものになっている可能性があり、開発者としても歯がゆい思いをすることが多々あるのですが、アジャイルの場合は短期間で区切ってリリースするため、お客さんの要望にタイムリーに応え、価値を提供することができます。

奥田 でも、顧客にとってはアジャイルよりもウォーターフォールのほうがわかりやすいですよね。アジャイルに取り組む場合は顧客側も理解しなければならないことが多いような気がします。

牟田 そうですね。お客さんの側では、自分で優先度を決めるプロダクトオーナーの役割を意識してもらうことが大事になってきます。当社のサービスの特徴に、教育とコンサルティングの両方を提供できるということがあります。つまり、教育によってアジャイル開発に不慣れなお客さんの自立を促したり、現場でのコンサルティングによる支援をしたりすることも可能なのです。

奥田 ただ、顧客の意識を含め、日本ではまだアジャイル開発が主流とはいえません。牟田さんはアジャイルの今後をどう見ていますか。

牟田 たしかにウォーターフォールのほうが理解しやすく、予算取りの面でも有利ということはあります。ただ、ビジネス環境の変化が激しいいま、それに対応できるアジャイルが、いずれ日本でも主流になると思います。

奥田 ところで今回のコロナ禍で、リモートワークをはじめとするビジネスにおけるデジタル化が急速に進みました。こうしたことについてどうお考えですか。

牟田 当社の場合は、現在90%がテレワークで、私自身も出社するのは週1~2回です。いくつかの重要な会議は対面で行っていますが、私はリモートでも問題ないと思っています。ただ、私はリモートで人と話をする機会が多いのでそれほど感じませんが、一人で一日中作業に没頭しているエンジニアなどは、やはり閉塞感があると思います。ですから、週1日程度は出社して、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションをとることが必要でしょう。

奥田 コロナが収束したら、元の働き方に戻ることになるでしょうか。

牟田 私はリモートのほうが快適なので、戻りたくはありませんね(笑)。コロナ禍の前には、社員の帰属意識を高めるため、外部の専門家やシニアコンサルタントが講演し、その後、食事をしたりお酒を飲んだりする「帰社日イベント」を月に1回催していました。いまはそれができないため、このイベントをオンライン化して「豆寄席」として開催していますが、毎回70~80人ほどが参加するんです。リアルで開催していたときは、まさにこの会議室に40人ほどが集まっていたのですが、それだけ参加者が増えると、コロナが収まった後はハイブリッドで開催することになるかもしれません。

奥田 ビジネスの面でも、ハイブリッドが増えるかもしれませんね。

牟田 そうですね。昨年4月からオンライン化した新人研修サービスでも、対面でなくても教育効果が落ちることはないことがわかりました。また、物理的制約がないこともメリットになっています。

奥田 まだまだたいへんな時期は続きそうですが、今後ますますのご活躍を期待しています。
 

こぼれ話

 “アジャイル”とはなんぞや。この言葉の意味を理解し、人に説明できるレベルになりたいと思って、IT業界のプロフェッショナル、牟田嘉寿さんにお会いした。ソフトウェアの開発手法は、思考の過程そのものだ。ここまでは理解している。人に喩えると、生き方そのものだから、『千人回峰』で求めている「人とはなんぞや」の問いに類似している。牟田さんとは初対面だ。ところが、お会いするなり、九州の人のオーラが伝わってくる。つまり“濃い~”という感じだ。この感じ、読者の皆さんに伝わるでしょうか。出身は「飯塚市です」。取材を終え、別れ際にお身内の話になった。「妻は鹿児島です」とおっしゃる。なんだか、うなずくばかりであった。飯塚市は人口12万人都市だ。私はこの人口規模と似た伊勢市で学生時代を過ごした。街に流れる情報の濃淡はこの4年間で感覚的に身についている。飯塚市で祖父の代から医者という家系ならば、“牟田”姓はこの街では一人歩きしているだろうと想像する。

 その堅苦しさからなのか、中学生のときに長崎へ飛び出て、全寮制の学校を選んだ。以来、飯塚市と距離は開いたままだ。地域医療を支える家系を継いでも良かったのではないか。72歳の私、ジジイはそうも思いながら、本題の質問を始めた。小学生の頃からプログラミングを独学で始める。その面白さを胸に抱いたまま、中高大と成長する。プログラミングの技術はレベルアップし、ソフト開発という中で自己実現の世界を飛躍的に広げていく。話を聞くうちに、牟田さんが開発するソフトの方向性は「物事を整然とさせる」というか、整然としていないと気が済まない性格から、生まれるソフトウェアが類似性を持っていることに気づく。本人は20代でこの自己特性に気づいたようで、法学部、司法試験、就職の道を選ばずに、ソフト会社を設立し、サイトを立ち上げて、アスキー出版から書籍を出すほど評価を高めた。そのサイト名は「Muchy.com」。ムッチーとはたぶん牟田姓の愛称だろう。この人は堅物ではないな、と思って、質問に柔軟性を持たせた。

 “アジャイル”とはなんぞや。仕事が要求する要件に柔軟性を持って、素早くソフトを開発する手法をいう。ゴールに向かって仕事を進めるうちに、業務をサポートする別のソフトが要求される。アジャイル手法では要求されたソフトをそのつど開発して提供する。「仕事の進展とともに、ソフトの開発も同時に進展する」。なんだか、牟田さんの生き方と似てはいまいか、と思った。自分の内面が求める要求に素直に従ううちに、他者の立ち位置からは“はみ出た”生き方に映ったのではないか。ウォーターフォールの開発手法ではあり得ないソフトを生み出して仕事を進める。これがアジャイルの開発手法だ。「いずれアジャイル開発が主流になるでしょね」と牟田さんは言う。最後にコロナ禍での開発環境を尋ねた。「在宅で十分に対応できる」と言い切る。そこには“快適に”という雰囲気も伝わってきた。人は居心地の良さや心地よさを求める。そうだとすると、窮屈な想いをした生まれ故郷。祖父の代から家業として地域の人の医療を支えた“道義”を少し立ち止まって正しく見つめ直し、形を変えて祖父の代へ恩返しをしてはどうか。あなたは居心地の悪い故郷に育まれたのだ。ジジイはそう思う。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第287回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

牟田嘉寿

(むた よしひさ)
 1975年、福岡県飯塚市生まれ。97年、九州大学法学部卒業。99年、株式会社Muchy.com設立。2005年、ブリヂストンソフトウェア入社。08年、豆蔵入社。19年、執行役員。20年、ビジネスソリューション事業部長に就任。