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イノベーティブな「面白いこと」を追い続けて。それが生きていることそのものだから――第285回(下)

千人回峰(対談連載)

2021/07/02 08:00

塚本 慶一郎

塚本 慶一郎

インプレスホールディングス ファウンダー/最高相談役

構成・文/高谷治美
撮影/馬場磨貴

週刊BCN 2021年7月5日付 vol.1881掲載

【東京・神保町発】アスキー出版の立ち上げ、インプレスの創業と、塚本さんはパソコンの黎明期から隆盛へのプロセスをたどってこられた。情報革命をリードし、電子出版界を切り開く第一人者である。2007年、頭蓋内血腫で倒れるまでは。彼とは定期的に会って情報を交換する仲だった。それが、一切出来なくなった。奇しくも『千人回峰』も2007年にスタートした。私は、いつか塚本さんが復帰されたら対談しようと決めていた。そして時を経て、こうした対談が叶った。同じ“場”に一緒にいるだけで嬉しかった。「どうして社会復帰しようと思ったのか」「どんな思いが心にあるのか」と聞いてみたい。下編はお嬢様の由紀さんが一緒だ。14年の介護生活のなかで“父”の言葉がだいたいわかるという。対談は和やかな雰囲気で終始した。(本紙主幹 奥田喜久男)

2021.4.21/インプレスホールディングス会議室にて

SARSウイルスのまん延時に
わずか3日で電子書籍を発行

奥田 今回、塚本さんのお嬢様であり昨年から取締役副社長の由紀さんに、お父さんの過去の業績の資料を見せていただきました。1992年にインプレス創業以来、編集の完全DTP化や電子書籍に力を入れてきたことがわかります。

 ふと目に止まった記事がありました。9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が2001年に起きた際、情報が欲しいと人々は求めたが、リアルタイムに提供される本はなかったと。その反省を踏まえてか、2003年にSARSウイルスがまん延した際、塚本さんたちはニュースや厚生省情報、処方に関する情報などをわずか3日で編集して電子書籍で出版した。当時にしては画期的に売れた電子書籍だったそうですね。

塚本語録 アタマが固すぎる。ここをこう編集すればできるじゃないか! それがクロスメディアだ!(2003年)

奥田 電子書籍は、「新聞の速報性」と「単行本の深さ」を両方実現しつつ、即時に発行できる強さがあります。塚本さんは、もっと柔らかいアタマで新しい編集をやっていくべきと言いたかったのでしょうか。

由紀 現在、インプレスグループでは、パッと電子書籍で発行できる読み物として『ICE新書』などを出していますが、もともとはモバイルコミックの時代が来るので着手しようと立ち上がった部門です。 

 でも、活字に対する思いというのは依然として強く、SARSウイルスの時に出した電子書籍はその原点です。人に役に立つ情報を、時間や物質の制約を超えて届けたい思いがあったのでしょう。

 現に今、コロナ禍によって、コミックだけでなく“文字もの”の電子書籍が注目され売れていますが、2003年の頃からデジタルでも人と知恵を共有したいと模索してきたおかげかもしれません。

奥田 2年前に塚本さんの右腕でもあるインプレスR&D代表取締役の井芹昌信さんにも『千人回峰』(Vol.1786)に登場していただきました。井芹さんはまさに電子書籍やプリントオンデマンドによる出版をしておられるけど、「紙の本が要らなくなるとは一度も思っていない」と。

 塚本さんは「2012年頃にはデジタルメディアがアナログメディアの情報発信量を凌駕する」と言っておられましたね。

由紀 実は、父が病院から家に帰って5年くらい経った頃、一番しゃべれたときに「やっぱり紙だよ」と言い出したのです(笑)。

奥田 塚本さんの予見の中では、唯一、撤回する塚本語録ではないですか(笑)。

由紀 そうです。自分が障害を負って、デバイスでページをめくれないとか、手を使うのが難しい現実をリアルに体感したのですね。で、やっぱり紙だと。

奥田 これだけテクノロジーが進んでいるのにユニバーサルではないということですか。

由紀 声を出しにくいので音声入力もしづらくて。それで紙への回帰。先ほどのインプレスR&Dの井芹がやっているプリントオンデマンドは無在庫エシカル消費モデルで、紙が必要な時だけ出力すればよいサステナブルな出版なのです。

 『ICE新書』も同じ仕組みを使っているので、電子書籍の紙版が欲しいとなれば、購入ボタンを押してから本が刷られて翌日には届きます。

奥田 塚本さんもご自分で作った電子本が紙で読めるということですね。

塚本語録 紙の出版物とデジタルネットワーク上のコンテンツの両方の特長をうまく使いこなして、両者を連続的に関連させ、読者にもっとフィットした知識へのアクセスを提供すること、これがクロスメディアです。

 将来は、どこの誰がその本を買うのかがあらかじめ分かっていて、その方のために出版するというかたちになっていくでしょう。究極的には、読者の名前入りで印刷してお届けする。さらには「あなたが読みたいのは○ページからです」というように……。(2002年)

由紀 今後、ブロックチェーンの技術によって、来歴に応じたオプションや特典をつけることもできるでしょうね。

30年以上前からリモートワークを推進し沖縄でも
仕事ができると言っていた

奥田 電子書籍といい塚本さんのやってきたことにやっと、時代が追いついてきた感があるけれど、30年以上前から、リモートワークも推進しておられたようですね。

由紀 そう言っていました。やはり、コミュニティの発想が強かったのだと思います。ライターさんなどの出入りが多い業種でもありましたし、日本のどこにいても、世界のどこにいても、通信環境があればみんなとどんなこともできると。

塚本語録 本社がどこにあってもかまわないような、情報を扱う会社にふさわしいかたちの出版社を作りたい。例えば、 働きながらリゾート地にいる事も可能になる(1991年)

奥田 塚本語録が、「今まさに」っていうのがおもしろいですね。

 今回、塚本さんに会うことができて本当に嬉しい。でも、ここまで時間がかかりました。

 重度障害が残ったというのに、社会復帰され、2015年に一度お会いしましたね。そして、翌年には年賀状(写真)をいただきました。本当に嬉しかった。文字も書いてありましたよね。
 

由紀 頑張って書いていました。1日に2枚くらいずつですが・・・・・・。

奥田 年賀状を出そうという気持ちはどんな思いから生まれたのでしょう? 強い思いがあるに違いありません。

由紀 「僕もがんばってますよ」という気持ちを込めたご挨拶ですね。

奥田 すごい、勇気。素晴しいですね。『千人回峰』に登場していただいてありがとうございます。インプレスR&Dの井芹さんは塚本さんの右腕でした。アスキーにアルバイトとして入られ、そこからインプレスを立ち上げる際に、土田米一さんら主力メンバーと自主的に塚本さんについて行かれました。

 それにしても、塚本さんのまわりにはいい人が集まって来ますね。人徳かな。そう、人徳しかないね。

塚本 (笑顔でOKサイン)

塚本語録 僕が考える良い会社の条件とは、目的と状況をみんなが共有できる会社。同じカルチャーが末端まで行き届いている会社。たとえば会社に守衛さんがいるとすると、発売されたばかりの雑誌の記事を読んでいて、あの記事よかったよと 帰りがけの担当者に話しかけてくれるような会社が気持ちいいと思っていた。(2002年)

奥田 お父さん、よく社会復帰をされましたね。

由紀 会社には行きたいと言っていましたから。コロナ前まで、週に1時間ほど出社していました。

奥田 社会復帰への“思い”は?

由紀 一人の人間として、これからの30年、新しい技術や社会へ自分も参加・体験して、イノベーティブな「面白いこと」を追い続けてみたいそうです。

 いまも十分に満たされているけれど、追い続けられたらなお幸せ、と。なぜならそれが生きていることそのものだから・・・・・・。 

奥田 そうなんだ。僕は塚本さんの社会復帰を思い違いしていた。社会復帰が先にあるのではなく、技術革新で変化する社会に身を委ねながら「社会の進化」を体感したいという思いが強いんだ。『サイバネティックス』を読んだ高校の時からの思いが流れている。その“思い”が重篤の淵から立ち戻る自分を突き動かしているんだ。すごいね。創業30周年おめでとうございます。弊社も40周年になります。由紀さんも副社長だし「つかもっちゃん」いよいよわれわれも世代交代ですね。

塚本 (そうだね、というほほ笑み)

こぼれ話

 空海=という文字を見ると、ある一定の電流が脳裏をかすめる。固有名詞は特にそうだ。頭の中に世間と自分自身で培った価値観が宿っていて、毎回同じ反応をする。夢枕獏著『空海曼荼羅』、松岡正剛著『空海の夢』。書籍には著者それぞれの考えが宿っているが、“空海”の宇宙観の中での遊泳を思う。もちろん夢枕獏さんも松岡正剛さんも、私の頭の中で一定の価値観を持っている。

   今回、久しぶりに塚本慶一郎さんに会った。開口一番、「塚もっちゃん、今日、会えて嬉しい」と伝えた。塚本さんは聞くことができ、理解できても、それに対しての意思の伝達手段が限られている。同席していただいたお嬢さんの由紀さんに意思伝達の仲介をお願いした。おや、わずかに左腕が上がった。頬が緩んだ。少し声が出た。目の奥を見つめると、「よく来てくれましたね」という意思が伝わってくる。これで基本的な感情が伝わることを確信した。対談はその感情のやり取りで行った。

 『月刊アスキー』=は1977年に創刊された。塚本さんの意思の記録はこの雑誌に始まり、パソコン市場の成長はこの雑誌が源となった。そのほか数多くの書籍の中に塚本さんの考えが宿っている。塚本コンセプトはインプレスの社業として形づくられ、現在も継承されている。本稿のライター高谷さんは、1977年のアスキー創刊から病に倒れた2007年7月までの記録を読み通し、『千人回峰』の編集会議の場で「塚本さんは、この30年の間で、すでに現在も含めて未来を見通している」と発言した。では、2007年7月は業界でどんな出来事があったのか。インプレスの媒体『PC Watch』の連載企画・大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」によると、「NEC矢野社長会見で感じたPC事業の課題」(2007年7月17日付記事)とある。パソコンの事業にまだまだ光が当たっていた頃である。

 塚本慶一郎=さんの編集活動の歩みは、1977年のアスキー創刊から1992年のインプレス創業。来年にはインプレスの創業30周年を迎える。その時点で塚本さんの社会復帰への奮闘は15年に及ぶ。「幹」「印」という二文字が書かれた額。壁に飾ってあるこの額が気になって、写真を撮った。そのとき、「この文字、何と読むんでしょうね」と、何気なくつぶやいた覚えがある。後日、由紀さんからメールをいただいた。『撮影していただいた松岡正剛さんの額の文字は「幹印」のようでして、「インプレス」の意味とのことです。父が教えてくれました!』。塚本さんはあの時の、私のつぶやきをちゃんと聞いていたんだ。嬉しくなった。彼の相変わらずの気遣いを感じた。また会って未来を語り合いたい。
(撮影編集部)
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第285回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

塚本 慶一郎

 1957年、東京生まれ。電気通信大学電気通信学部電子計算機学科中退。1976年、大学在学中にマイコンクラブ(MMA)を設立し、そこに西和彦氏が取材に来たのがきっかけで雑誌『I/O』を創刊。1977年に西氏、郡司明郎氏と共にアスキー出版を創立し、副社長に就任。『月刊アスキー』の創刊では出版ビジネスを担当し、早々に書籍出版体制を築き上げてヒット作を連発。アスキー退任後、1992年に独立し、インプレスグループ設立。同じコンテンツを電子版と紙版で流通させるクロスメディアの先駆けとなる。専門性に特化した出版社を多数グループに招き、デジタル技術を活用した出版イノベーションにチャレンジしてきた。2007年7月、頭蓋内血腫で倒れて一時は重篤に陥り、重度障害が残った。現在はインプレスホールディングスのファウンダーとして最高相談役に就き、グループ全体を見守る。

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