経営のコツを知れば百万両 実践すれば一千万両の価値となる――第148回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/11/26 00:00

佐久間 曻二

佐久間 曻二

ぴあ 社外取締役

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝

週刊BCN 2015年11月23日号 vol.1605掲載

 佐久間さんから事前にいただいた年譜を見ると、和暦、西暦、年齢とあり、その右に「KM年齢」「TY年齢」という欄がある。いったいこれはなんだろうと思い、それが「松下幸之助」「山下俊彦」のイニシャルであることにほどなく気づく。そして「私に運を与えてくれた方」の名前の脇には、赤い丸印がついている。もちろんこのお二方もそうだ。若い頃から軋轢を恐れず理詰めで仕事に取り組んできた佐久間さんだが、こうした資料から人との出会いを大切にしてこられたもう一つの横顔が垣間見られた。(本紙主幹・奥田喜久男  構成・小林茂樹  写真・大星直輝)

2015.10.9/東京・千代田区のBCN22世紀アカデミールームにて
 

写真1 今年9月に行われた六本木男声合唱団のロシア・サンクトペテルブルク公演。佐久間さんは最年長団員として参加。総勢80人がプロはだしの美声を響かせた
写真2 同合唱団のミュージカル「雨に唄えば」(渋谷オーチャードホール)の一場面。可憐な女性はもちろん……
写真3 取材前に見せていただいた「仕事歴」。非常に緻密な内容で、行間からは仕事への誠実さがにじみ出ている。ここに、ビジネスマンとしての自分史がある
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第148回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

巨大量販店と零細ショップ店のどちらが大切か

奥田 この資料のなかに、幸之助さんの言葉をいくつか記されていますが、私は「1億円仕入れる量販店1店と100万円仕入れるショップ店100店とどちらが大事や?」という問いかけにしびれました。

佐久間 私が営業本部長になりたての1983年頃の話ですが、当時は大学のマーケティングの先生が「量販店は新幹線で、地域店は在来線だ。これからは新幹線がどんどん伸びてくる」という理論を展開されて、それが非常に受けた時代でした。そのため、地域のショップ店をたくさん抱えている松下は自信を失いかけていたのです。

 けれども私は、新幹線だけで用が足りるわけではないと考えました。在来線や私鉄、地下鉄があるからこそ新幹線も生きるのだと。だから、ショップ店のそういうメリットを信じて、その再生を図ろうとしたんです。

奥田 なるほど。そんな時期に幸之助さんからの問いかけがあったわけですね。

佐久間 そうですね。私を試したのかもしれませんが、このとき私は両方とも大事ですと答えたんです(笑)。ただ、どう考えたらいいのですかと、逆に質問しました。すると1店で1億円売る店はありがたい存在だけれども、そことけんかしたら全部なくなってしまう。ところが100のショップ店は、売上が小さくても一生懸命で、専売度を高めながら生活をかけてやってくれている。そういう店を大切にするということが、松下の基盤をつくることだと。そのうえで1億円の量販店があれば、そこはそこで大切にする。でも、松下を支えてくれている人たちは、小さなショップ店の人たちだと言われました。それは、私にとっての原点でしたね。

奥田 確かに、それは経営者として大事な考え方ですし、私自身のビジネスモデルを考えても共感できますね。
 

「家計簿経営」と「自主責任経営」で窮地から復活

奥田 佐久間さんは、松下電器の副社長、参与を経て、93年にWOWOW(当時、日本衛星放送)の社長に就任されます。どんな経緯で引き受けられたのですか。

佐久間 松下電器の社長を務められた山下俊彦さん(当時、相談役)に半ば命じられる形で引き受けることになりました。それで、山下相談役に会社の内容を調べさせてくれと言ったら、そんなの調べなくていいと(笑)。実際には、放送開始から2年で800億円も累損を抱えており、これは大変だと思いました。200人規模の小さな会社で、その大部分が大企業やマスコミからの出向者。一体感もありません。あるマスコミの経営者に挨拶に行ったら「佐久間君、気の毒だけれど、この会社は誰がやってもうまくいかないよ」と言われてしまいました。そんなことを言われたら、俺がよくしてやると意地にもなりますよ。

奥田 持ち前の反骨精神が、首をもたげたわけですね。

佐久間 財務状況が最悪にもかかわらず、リストラも賃金カットもないどころか、ボーナスまで支給されている。だから、危機意識が社員にないどころか、役員でさえ「うちは国策会社、経団連がバックアップしている会社だから」という気持ちでいるわけです。

奥田 危機意識があるのは佐久間さんだけ?

佐久間 そうです。このとき、若い連中に危機意識をもたせるにはどうしたらいいかと悩んでいて、ひらめいたのは「億」を「万」に変えることでした。346億円というからピンとこないけど、年収346万円ならわかりやすい。それで年間546万円も使って200万円の赤字。そんな家計の状況で、来年の暮らしはどないするねんと。

奥田 それ、私も使わせてもらおう(笑)。

佐久間 新婚早々なら親に泣きつくこともできるけど、そうもいかない。来年、200万円返そうと思ったら、生活費が月々10万円になる。それでも、借金は800万円残る。どないするねん!

奥田 社員の意識は変わりましたか。

佐久間 変わりました。でも、品質管理やコスト管理については、メーカーのようにうるさく言わないでくれと言うのです。それならば、君の奥さんは肉や魚をどうやって買っているか考えてみてくれと言いました。旦那の給料を考えて、いいものをリーズナブルな値段で買い、家族においしいものを食べさせるためにやりくりしているはずだ。それこそが、品質管理とコスト管理だと。

奥田 わかりやすいし、説得力がありますね。

佐久間 例えばゴールデンタイム、夜7時台だったらいくら予算をかけるべきか。そこで一番いいものをいかに選ぶのかという発想に切り替えていったわけです。いわば家計簿経営です。入るを測り、出を制し、貯めて節約する。そして、日々決算ということを徹底していきました。

奥田 まさに、商売の基本ですね。

佐久間 この会社は本来「金のなる木」なのに、それを金食い虫に食われている。だから、この金食い虫、例えば法外な金額の放映権料などを一つひとつチェックして退治していく。一方で、損益分岐点を4割カットして、売り上げを4割上げればトントンになる。売り上げは私が責任をもって上げるから、後は損益分岐点を4割カットするだけ。番組費用を4割カット、宣伝費を5割カット、販促費を3割カット、でも番組の質を落とさず、広告の量が減ったと思わせずに、顧客満足度を上げようといいました。

奥田 それは、実に具体的で明確ですね。

佐久間 それから「願望経営」から「自主責任経営」への脱却を図りました。どういうことかというと、当初の年間加入者数目標80万人を40万人に下方修正したのですが、私の試算ではどう考えても20万人プラスアルファが限界でした。そこで、就任時の記者会見の場で、自分の目で確かめて新しい実現可能な目標をつくりますと発表したのです。それを聞いたある記者は、「もう、この会社はよくなる。大丈夫だ」と言ってくれました。結果的に、就任2年後の95年度には、62億円の黒字計上を果たしました。

 実は就任前の2か月間で、200人以上の方々から話をうかがっています。そうすると、社長としてやるべきことがいろいろみえてきて俄然おもしろくなるんですね。

奥田 佐久間さんは、まだまだ現役経営者ですね。今日は経営者の一人として、とても勉強になりました。うちも、もっと危機意識をもたせなければ(笑)。

 

こぼれ話

 佐久間さんとはほぼ初対面の対談である。話すうちに、昔お会いしたことがあるような感じがしてならない。「そうだ、山村さんに似ている」。そこで20年前と同じ質問をした。「どんな会社でも建て直すことはできますか」「運がよかったんですよ」。しかしお顔の方は、頷いておられた。ダイワボウ情報システムの実質創業者の山村滋さんは、「うん、そうだよ」と言いながらニコニコされていた。完成された経営者の一つの像のように思う。

 中国に出向くと、書店には稲盛和夫さんの著書が平積みされている。以前は松下幸之助さんだった。人は移り変われど、百万両の価値をもつ経営のコツには似たものを感じる。

 読者の皆さんが佐久間さんと道ですれ違ったら、普通の爺さんだと思うだろう。もしどこかで話し込んだら、大した爺さんにみえるに違いない。経営者であれば、身を乗り出すだろう。図らずも経営に行き詰まっているとしたら、神様にみえるに違いない。経営者は二派に分かれる。にこやかな人か、その逆かである。内面(うちづら)はともかく私は前者を好む。