「津波ヴァイオリン」は人知を超える力があることを語るメッセンジャー――第98回

千人回峰(対談連載)

2013/12/19 00:00

中澤 宗幸

日本ヴァイオリン創業者・マイスター 中澤宗幸

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝

「千の絆」は永遠に

奥田 中澤さんは、東日本大震災の津波が運んだ流木からヴァイオリンをつくろうと発案されました。そこに至る思いについてお話しいただけますか。

中澤 あの津波の場面を幾度となくテレビや新聞で見ていると、被災者の方々が気の毒だという思いはもちろんありますが、こうした天災は、いつ誰の身の上に起こるかわからない地球規模のものだということを改めて認識しました。

 そんなことを考えていると、家内(ヴァイオリニストの中澤きみ子さん)が「この流木からヴァイオリンをつくれないの?」と聞いてきました。「柱の傷はおととしの五月五日の背くらべ……」という童謡があります。皆さんもご存じだと思いますが、少し前まで、とくに田舎では半年に一度くらい柱に傷をつけて、子どもの背丈を記録していたんですね。家内が涙ぐみながら「今は瓦礫になっているけれど、そういう家族の歴史を刻んだ柱もそのなかにきっとあるはず」と言った瞬間、心に大きな衝撃を受けました。私は何かをしなければならない、と。

 さきほど、ヴァイオリンをつくる前にイメージするというお話をしましたが、津波ヴァイオリンの流木も、それはかつて家の柱であり、梁であり、床板だったのだろうという思いを抱くわけです。お母さんがお嫁に来たとき、子どもが生まれたとき、七五三、入学式、成人式と、そういう家族の歴史を見てきた木なのかもしれない、と。その思いとともに、その木をどのようにしたら生かせるか、と考えていくわけです。当然、求める音は明るいパッとしたものではなく、思い出を表現するもの。思い出だけではなく、そこには新しい出発がなければならない、というように組み立て、やがて仕上がりのイメージができあがっていきます。そうすると、自然にかたちができていきますね。

奥田 その流木は単なる瓦礫でなく、家族の歴史の証人であるということですね。そのヴァイオリンで「千の音色でつなぐ絆」というプロジェクトを立ち上げて、各地でコンサートを開いておられます。

中澤 津波ヴァイオリンの演奏を聴くと、人はみな涙を流します。やはり、多くの人々の思い入れと聴く人の思いとが結びついて、その波動が心を揺さぶるのでしょう。人間には言語と文字というすばらしい二つの武器がありますが、文字や言語で表せないもっと深いものを表現できるところに音楽の素晴らしさがあると思います。

 津波ヴァイオリンは、人間が超えることのできない自然の力が存在するということを語ってくれるメッセンジャーであると私は思っています。ですから、日本にとどまらず、世界各国をめぐって千人の演奏家にリレーしてもらおうと考えました。「千羽鶴」があるように、日本で千という数字は、心からの祈りや願いをかなえたいときに象徴的に使われます。ですから、いちおう千人を区切りにしてイベントを行いますが、その後もメッセンジャーとして、何百年もこのヴァイオリンが演奏されていくことを願っています。

奥田 きっと続くと思います。そして、こんなに素晴らしいヴァイオリンづくりの名匠が私たちの国にいらしたことを、日本人として誇りに思います。

「こんなに素晴らしい名匠が私たちの国にいらしたことを、
日本人として誇りに思います」(奥田)

(文/小林 茂樹)

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Profile

中澤 宗幸

(なかざわ むねゆき)  1940年、兵庫県生まれ。幼少時より父親にヴァイオリンと楽器製作を学ぶ。1980年、東京にアトリエ(株式会社日本ヴァイオリン)を構え、国内外の著名な演奏家の楽器の修理、メンテナンスの仕事に従事。ヨーロッパの歴史ある楽器商や名工との交流のなかで、楽器の知識、修復等の技術研鑽に励む。2012年、東日本大震災で出た瓦礫を材料にしてヴァイオリンを製作し、鎮魂と記憶にとどめる運動を提案。現在、工房に座るかたわら、世界各国の著名な演奏家や博物館等のストラディヴァリをはじめとする名器の修復に努め、世界一流アーティストの楽器メンテナンスを手がけている。財団法人Classic for Japan代表理事。