丁偉儒さんにお会いして感じるのは、発展が期待される中国のIT市場への熱い思いと日本のベンダーに対する敬愛の念だ。自らの理念とこれから実現しようとするビジネスモデルを語り続ける姿は、「一心不乱」という言葉がぴったりだ。丁さんが来日した90年代初頭は、日本ではバブル経済の崩壊が始まり、中国では市場経済が産声を上げていた時期だ。まさに今、中国は高度経済成長の道をひた走る。丁さんは言う。「中国市場では走りながら考える人が求められているのです」。【取材:2012年4月3日 東京・港区のアークヒルズクラブにて】

丁さん曰く、「日本は安定した机であり、中国はスピードを出さないと倒れてしまう自転車です。そのまま中国と日本が一緒になると、自転車は走らず、机も壊れる可能性があります。だからバランスをとる装置が要る。それが、東忠のビジネスモデルなのです」。
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第70回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

中国でのオフショア開発は巨大な市場がメリット

 奥田 丁さんとは、先日、中国・杭州の本社でお会いしたばかりですが、昨日、大阪で調印式があったそうですね。

 丁 東忠は現在、浙江省の杭州市で東忠科技園というテクノロジーパークを展開していますが、その第2号を中国東部の吉林市につくる予定です。そこで、吉林市に基地をつくることと、われわれ東忠と日本企業(NEC、NTTデータ)の合弁企業2社のプロジェクトについての調印を、吉林省の省長と吉林市の市長を迎えて行いました。

 奥田 杭州で丁さんが構築されたビジネスモデルを、今度は吉林省に広げるということですね。二つめが吉林で、その後はどんな展開を考えておられますか。

 丁 三つめは山東省の済南、四つめが四川省の成都、それから広西省チワン族自治区の南寧、そして内陸は、先ほどの成都と西安、昆明です。

 奥田 東忠さんが展開しておられる科技園(テクノロジーパーク)の役割を教えてください。

 丁 役割は二つあります。一つはオフショア開発の拠点です。日本の仕事を中国にもっていけば、コストダウンが可能で競争力が高まります。もう一つの目的は、日本企業が中国市場に進出するための拠点機能ですね。

 奥田 今、日本のオフショア開発については、ミャンマー、タイ、カンボジアなどのASEAN諸国が熱心に進めています。その一方で、中国での生産コストは上昇しつつあります。それらと中国の内陸都市を含めた価格を比べて、あと何年くらい、中国でのオフショア開発が通用するのでしょうか。

 丁 沿岸部のなかでも最も進んだ上海では、コスト的にはあと5年くらいが限界だと思います。しかし、内陸部と沿岸部の発展度合いの差は総合的には20~30年、少なく見積もっても10~15年ぐらいはあります。つけ加えれば、中国でオフショア開発を行うメリットとしては、ASEAN諸国に比べて、背後に巨大な市場を抱えているということが挙げられると思います。

 奥田 中国は、生産地であると同時に消費地でもあるということですね。

 丁 そうですね。ただし、オフショア開発を目的とすると、いずれ間違いなくコスト的に行き詰まります。日本企業の社員の給料は20年前とほぼ同じですが、中国人技術者の給料はその間に何十倍にもなっていて、コストの差が急速に縮まっているのです。ですから、東忠にとってオフショア開発はあくまで事業基盤をつくるための戦略ステップなのであり、営業力をつけて、合弁会社を通じて中国のマーケットシェアをとることのほうが重要だと捉えています。

 奥田 現在、合弁会社は何社ありますか。

 丁 11社です。代表的なのは、NEC、NTTデータ、アイシンAWなどです。

 奥田 一番古いのは?

 丁 2004年につくったNECシステムテクノロジーとの合弁会社です。そのほかは、すべて2009年以降の設立で、金融危機の後ですね。

 奥田 金融危機で何か変化はありましたか。

 丁 ええ、リーマン・ショック前の日本は経済的に安定していたので、中国に出るのはリスクと捉えられていました。つまり、私が提案してもなかなか動いてくれなかった。ところが2008年に金融危機が起きたら、とたんに日本の各社は大赤字です。しかも、日本ではコストダウンに限界があり、縮小した国内市場の穴埋めのために新たな市場を開拓しなければならなくなった。この二つの意味で、日本企業が中国に出て行くことは、もはやリスクではなく必須となり、出遅れることがリスクというふうに変わったのです。

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