2020年、中国の著作権問題はクリアになるか――第54回

千人回峰(対談連載)

2011/06/22 11:27

谷口由記

弁護士法人フラーレン 代表 谷口由記

構成・文/谷口一

 対中国ビジネスでは、模倣品対策やライセンス契約などに代表される法的な課題が山積している。中国進出にあたって、避けることができない問題である。今回は1988年に訪中して以来、アジア・中国に進出する日本企業の法的バックアップを手がけておられる谷口由記弁護士に、法の立場から見た中国ビジネスの実情と将来像についてうかがった。【取材:2011年4月7日 BCN本社にて】

谷口さんは「デジタルの場合は大量生産がいとも簡単だから、中国の違法コピー市場にはもってこいの商品」と指摘する。
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第54回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

社会主義国にカルチャーショック

 奥田 対中国ビジネスに関しては、違法コピーの問題・売掛金回収の問題・法律の未整備の問題など、ネガティブなことが当たり前のようにあります。今日は谷口先生にそういった実情と、また中国ビジネスに希望が見出せるところなどもうかがえればと思っています。さっそくですが、そもそも、先生はいつ頃から中国に興味をもたれましたか。

 谷口 私が中国に一番最初に行ったのは1988年のことです。

 奥田 天安門事件の…。

 谷口 そう、前年ですね。日中友好協会の訪中団の一員としてです。

 奥田 その訪中団は、どんなメンバーだったんですか。

 谷口 中国ビジネスに早くから進出する意欲のある企業の社長さんたちと、会計士・税理士・弁護士という私たち専門職の二つの団体で行きました。

 奥田 中国のどちらへ?

 谷口 上海と北京です。これが初めての中国でした。

 奥田 その訪中団に入ろうと思われたのには、どんなきっかけがあったのですか。

 谷口 弁護士の2年先輩に大阪出身の高橋正毅さんという、すでに中国に進出しておられた方がいて、その人に引っ張られて行ったというところです。

 奥田 その時の印象は?

 谷口 社会主義国に初めて行きましたから、カルチャーショックを受けました。

 奥田 行く前は、いやいやですか。

 谷口 そんなことはなかったですが、情報がない状態でした。行ってみて初めて、社会主義の国ってこんな状態なんだと…。

 奥田 こんなというと?

 谷口 街の風景は殺風景で、広告や看板がなかったですね。スローガンだけが目立って。ただ、改革・開放路線をとるとは謳ってましたけど…。当時はまだ中国に司法試験制度もありませんでしたし、弁護士といっても、大学の先生が片手間でアルバイト的にやっている状況でした。でも法的な知識が乏しいので、日本から弁護士を呼んで、人材育成に協力してもらおうという話は当時から出ていました。

 奥田 向こうの政府から。

 谷口 ええ。法律・法学教育をこれからやっていくので、人材養成に力を貸して欲しいと。先輩の高橋弁護士はもう中国で学生に「会社法」を教えていました。

 奥田 ほう。それで谷口先生にも日中の両国で仕事をしてもらいたいという意図が高橋先生にはあったんですね。

 谷口 ただ、残念なことに高橋弁護士はその後の、96年に癌で亡くなりました。

 奥田 志半ば、惜しいことでしたね。

 谷口 私のほうは、89年に天安門事件があって中国に対する興味が薄れましてね。韓国には興味がありましたから、それで、日韓弁護士協議会に入って、90年から98年まではそこでも活動していました。

 奥田 それからまた中国に戻ってこられるわけですね。何年ごろでしたか。

 谷口 そうですね。98年ごろからです。中国への進出する計画がある企業さんから相談があったものですから、考えを改めて、また中国にということで。

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