日本の明日は、この10年で決まる!――第45回

千人回峰(対談連載)

2010/10/15 00:00

小寺圭

小寺圭

ソニー・チャイナ・インク 元会長

構成・文/谷口一

機会均等と結果平等

 奥田 それは根深いですね。でも、そういう状況であっても、日本の市場は小さくなっているわけですから、海外に出て行かなくてはならない。どうすれば、海外に出て行く気になるのでしょうか。

 小寺 そこが一番むずかしいところです。私は団塊の世代で、戦後の日本の成長を担ってきたわけですけど、当時は、海外に出て行かないと日本はやっていけないと、たぶん日本人のだれしもが思っていたはずです。みんな外に向いていたんですよ、気持ちが。

 そういう時代がいつの間にか過ぎ去ってしまって、だんだん内向きになってしまったんですね。

 奥田 その内向きになった要因を分析をしてみたいですね。そこから内向きでなくなるためには何をしたらいいか、何を言ったらいいかが見えてくるように思うんですけど。

 小寺 内向きになるってことは、競争にさらされるのがイヤ、競争するのがイヤだということですね。とくに外国との競争には意欲が出てこない。なぜ、資本主義の基本中の基本である競争心がなくなるのかというと、競争に負けた人のことをみんなが考えるようになっちゃったんですね。勝った人を伸ばすよりも。だから、よく言われることですが、日本の社会が機会均等から結果平等のほうに、どんどん移ってきているというところが、競争心を失わせるような雰囲気を作ってしまっているように思うんです。

 奥田 ということであれば変化させることができるということですね。

 小寺 できますね。機会均等は大事ですけど、結果平等でないことをはっきりと言うべきなんです。国も、学校でも。中国は社会主義ですけど、はっきり言っているんですね、結果平等ではないと。日本で今、そういうことを言うとバッシングを受けるような気がしません? だから、やっぱりそういう風潮がよくないんじゃないでしょうか。

 奥田 そういう諸外国の激しい戦いのなかに、日本の企業は打って出ざるを得ないですね。明日の成長を考えれば…。

 小寺 まさにその辺から、いい考え方が逆輸入されてくると思うんです。日本人でも中国へ行った人は考え方を変えざるを得ないのです。たとえば、日本の商品をそのまま持っていって売れるかというと、ピラミットの頂点には売れるかもしれませんが、それじゃあビジネスにならないんですよ。中国へ行ってマスのところを取りたいと思ったら、中国人が買える値段で、中国人が満足できる品質って何なのかってところを真剣に考えて作りたい、と考えるのは当然ですよね。となると、中国で売るものは中国で商品を考えて、中国で設計して中国で売りたいとなるわけです。そしたら、中国のメーカーに勝てると思っている日本のメーカーの人は沢山いますよ。この人たちにがんばってもらわなければ…。

 奥田 そういう人たちが数多くいますか。それなら安心です。

 小寺 家電とかパソコンもそうですけれど、極端なオーバースペックですよ。それで無駄に値段を高くして売っているんです。ビジネスですから儲けることが基本です。そのためには安く作って高く売ることです。日本企業はコストを上げて高く売っているんです。だから利益が薄い。これからやらなくてはならないのは、安く作って高く売るということです。高く売るということはまさにマーケティングでありブランディングなんです。そこをしっかりとやらなくてはダメです。

 奥田 今はやってないんでしょうか。

 小寺 やってないですね。サムスンが強いのは、すべてがマーケティングからの発想だからです。要するにマーケットで何が求められているか、どこのマーケットを開拓していかなければならないのかが、全部念頭にあるわけです。それに商品を合わせていくわけです。日本企業は逆なんです。こういう技術がある。こういう商品ができる。だから売るところを探せと。この違いが途方もなく大きな差になった。

 サムスンが偉いのは、マーケティングのコストを絶対に削らないことです。だから世界中どこへ行ったってサムスンの看板だらけでしょ。

 奥田 そうですね。私も海外でよく目にします。

 小寺 それを見て、日本の会社は「俺たちは看板で勝負するんじゃなくて、商品で勝負するんだ」と言いますけど、それって悔しまぎれって感じがするでしょ。

 奥田 確かにそう感じますね。

この10年で、先の100年が決まる!

 奥田 さて、最後の質問ですが、『ヘコむな、この10年が面白い!』の「この10年」については、どんなイメージをおもちなのでしょうか。

 小寺 ここ30年くらいの間は、10年単位で世の中が変わってきたなと思うんです。80年代までが世界的にモノづくりの時代で、その頃には日本が世界でナンバーワンになって、表面的にはアメリカの産業を侵食していったようにみられているんですけれど、その裏でアメリカはIT革命をやっていたわけです。ですから90年代はITの時代で、情報をいかに駆使してビジネスをするかということですね。そこのところは、パソコンなどIT技術の側面に偏った日本はついていけなかった感があります。日本のITもアメリカほどには育たなかったということです。2000年代に入ったら、ITなんかは世界中のどの国でもやるようになって、中国やインドなどが情報産業分野でも大国になってきました。そういう様子が見えてくるようになってアメリカが次に見出したビジネスが、金融ビジネスです。それは要するに、銀行が借りた金も貸した金もすべてを証券化して、それを人に買わせようという錬金術です。それをアメリカが生み出したわけです。それが2000年代です。

 奥田 そして、リーマン・ショックですか。

 小寺 そうです。リーマンショックで金融システムが完膚なきまで叩かれ、壊れてしまったということです。

 それと同時期にアメリカにオバマ政権が誕生して「グリーン・ニューディール政策」が発表されました。

 奥田 環境ですね。

 小寺 環境といえば、今まではコストなんですね。地球のために何かしなくてはというような。環境がビジネスになるなんて誰も考えていなかった。しかし、これからは環境が一番大きなビジネスになるのは間違いありません。なぜかというと、環境はエネルギー問題でもあるのです。石油は確実に枯渇するわけですから。このエネルギー問題があるからこそ、環境が一番のビジネスになっていくと確信できるのです。エネルギーの基を変えるっていうことはどういうことかというと、産業の基盤そのものが変わってしまうことです。

 奥田 そういうことですよね。

 小寺 だから、エネルギー政策の変更による産業基盤の構造の変革っていうのは、今までのモノづくりとかITよりも大きい変化かもしれません。そういうなかで、私が一番言いたいのは環境問題はコストなのか投資なのかということです。この議論はぜひ国会でもしてもらいたい。真剣に。

 奥田 私どもの読者の多くはIT関連の方ですけれど、環境のなかにもITの占める要素はかなりありますよね。

 小寺 そうですね。ご存じのように太陽光パネルも基本的にはIT技術と同じようなことですし、どうやってエネルギーをコントロールするかとか、すべてにおいて環境とITとは切っても切れない関係ですね。

 奥田 それを聞いて、安心しました。

 小寺 環境という分野がいいのは、資源ではないですから、どの国にも平等にチャンスがあるところです。本来、この分野は日本が強いはずです。

 この先100年の勝負を決めるのは、この10年の戦いによって決まると思っています。

 奥田 お忙しいなかありがとうございました。小寺さんは、ソニー時代に異邦人と呼ばれていたそうですが、今日はその意味が少しわかったような気がします。

「小寺さんの本を一気読みしました」(奥田)

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Profile

小寺圭

(こでら けい)  1946年、東京生まれ。東京外国語大学卒業。GMディストリビューション・コーポレーションを経て、1976年、ソニー入社。 ソニー・アジア・マーケティング・カンパニー社長、ソニー・ヨーロッパ・コンシューマー・マーケティング・グループ・プレジデント、ソニー・マーケティング社長、ソニー・チャイナ・インク会長を経て、2006年、日本トイザラスCEO。現在、クオンタムリープ・エグゼクティブ・アドバイザー