どんな仕事でも一生懸命やれば、それが生きる――第40回

千人回峰(対談連載)

2009/05/07 00:00

麻倉怜士

麻倉怜士

オーディオビジュアル評論家

「ビジネスマガジン」と「ビジネスマンマガジン」

 奥田 雑誌のコンセプトも変わりましたか?

 麻倉 『プレジデント』というと経営誌の概念だけれど、普通、経営誌というと「ビジネスマガジン」ですよね。本多さんのすごいところは、これを「ビジネスマンマガジン」としたところにあります。「ビジネスマガジン」というのは『日経ビジネス』みたいに経営戦略とか、技術とか、組織のことを書いた記事を載せる。

 ところが、「ビジネスマンマガジン」というとまったく違って、“人雑誌”になるんです、人間のための雑誌、人のマガジンと、要するに、ビジネスマンには仕事のうえでいろいろな問題があったり家庭の問題を抱えたりしますが、一人の人間としてそれらにどう対処するか、それをどう捉えるかということを考えましょうという、それがビジネスマンマガジンなんです。

 奥田 なるほど、面白いですね。

 麻倉 雑誌のコンセプトは非常に大事で、編集者に対して頭の中の枠組みを考えましょうというときに、「ビジネスマガジン」では、企業戦略がどうのというテーマが必ず出てきます。ところが「ビジネスマンマガジン」となると、もっと人間的な話にならなければならない。

 奥田 具体的には、いつから『プレジデント』は変わり始めていったのですか。

 麻倉 そういうコンセプトを打ち出したのが、1977年の1月号ですね。「明治の元勲」特集なんです。それまではアメリカ仕込みの、ピーター・ドラッカーのサクセスストーリー5か条みたいなものばっかりだったんです。それがいきなり大久保利通がすごいとか、坂本竜馬がすごいとかね。なんか、すごく新しい光を感じましたね。

 奥田 その頃、麻倉さんは何歳だったのかな。

 麻倉 28歳です。それで聞いたんです、本多さんに。ビジネスマンマガジンの読者対象は何歳クラスですかって。そしたら40歳以上だって。ぼくはまだ28歳ですって言ったら、想像力を働かせば君もきっとよい記事をプロデュースできるぞって言ってくれました。1月号が「明治の元勲」で、8月号では「参謀」の特集をやったんです。「元勲」というと経営者っていう感じだけど、「参謀」というと上級クラスのサラリーマンですね。

 奥田 そうですね。

 麻倉 リーダーがいて、それをサポートする関係です。たとえば大山巌と児玉源太郎の関係で、大山巌になろうと思ってもなかなかなれないけど、児玉源太郎になろうというのは、サラリーマンにとってはリアリティがあるんです。だけど、記事ではどうしたら児玉源太郎になれるかなんて絶対に書かない。児玉源太郎の一生とかいろんなエピソードとかを散りばめて、読者それぞれに考えてもらう、常にそんなスタンスですね。ノウハウじゃないんです。

 奥田 コンセプトができて、次に内容を選んで決める要素がありますよね、「明治の元勲」とか「参謀」とか、それはどうやって決めていかれたんですか。

 麻倉 ある時までは本多さん一人の発想でしたね。

 奥田 何をもって本多さんは発想されていたんでしょう。

 麻倉 それは彼の人生経験が大きかったのでしょう。彼は天才的なところがありましたから。

 そんなこんなで1年、2年と経ってくると、だんだん自分たち若手編集者も一所懸命に考えるようになってくるわけで、それぞれ自分の引き出しを広げていって、それが編集部の統一感みたいになってくるんですね。それで1982年ごろからいよいよ軌道に乗り出したというわけです。

君も一週間でベテラン記者になれる

 奥田 日経新聞社の時代には、「どんな仕事でも一生懸命やれば、それが生きる」という教訓を得たということでしたが、プレジデントではどんな教訓を?

 麻倉 TQC(total quality control)の真髄は「5つのなぜ」っていうんですけど、これに近い考え方で、先輩から教わったのは「5人のなぜ」。これをしっかりと守れば立派な記者になれるぞって言われました。

 奥田 「5人のなぜ」とは?

 麻倉 記者時代には、金融だとか製造だとかのゆるい分担があるわけなんですけど、突然それが変わって、今日から電気だとか。でも、担当が変わって1週間以内にベテランにならなくてはならない。その時に、「5人の人に会いなさい、なぜなら雑誌の記者というのは名刺1枚でいろいろな人に会えるのが特権なのだから」というわけですね。

 たとえば、金融担当から原子力担当になったら、全然わからないでしょう。そこでまず最初の人に会うんです。最初は「わたしはこれまで金融を担当していまして、原子力のことはまったくわかりません。原子力ってなんですか」、こんなふうに小学生レベルで聞くんです。それでも2時間くらいレクチャーしてもらうと10%の知識がつく。次は10%の知識を持って2人目に会いに行くんです。すると今度は知識が30%くらいになる。

 奥田 知識の財テクだね。それが「5人のなぜ」の「なぜ」なんだ。

 麻倉 順番にそうやって5人に会うと70%くらいの知識レベルには到達するかな、と。このくらいの知識があれば、いっぱしの記事が書ける。つまり、5人の異なる人に、時間差で、しかも知識の蓄積を持って会えば、君は1週間でベテランの記者になれるというわけです。

 奥田 成長の路線はそうでしょうけど、そのなかで「なぜ」のポイントみたいなところを一言。

 麻倉 基本的にはその場の臨機応変です。最初は「なぜ」のレベルも低いでしょうけれど、2人目、3人目になってくると、だんだんレベルも上がってくるわけで、好奇心というか、納得度みたいなことも加味されていきますね。

 それから記事を書くためにはもう一つ押さえなくてはならないところがあるんです。それは、過去・現在・未来を時間軸で考えるということで、これをしっかりと押さえていれば、すべての市場を分析できるし記事も書けます。これはすべての業種にあてはまりますね。だから、問題点を探る「5つのなぜ」と、自分の中に知識をつける「5人のなぜ」と、「時間軸で考える」の3か条があれば立派な記事が書けるということです。

 奥田 なるほど、そういうことですか。

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