ゲスト:ジョルダン社長 佐藤俊和 VS ホスト:BCN社長 奥田喜久男  ジョルダンの佐藤俊和社長と知り合ったのは、25年ほど前になる。その頃は、きまじめな技術者という印象が強かったが、2001年に現在の新宿御苑前の新社屋に移転した頃から経営者に変貌を遂げはじめた。新本社に移った年に、「今年は、親しかった友人が3人も相次いで亡くなったんです。人生観変わっちゃいますね」と語っていたのを記憶している。2003年には大証ヘラクレスに上場、業績は順調に拡大中だ。【取材日:2007年2月15日 ジョルダン本社にて】

 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第8回>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。
 

ゲームや囲碁ソフトに熱中した時期も

 奥田 BCN AWARDのデータ管理ソフトウェア部門で、「乗換案内」が最優秀賞を受賞、おめでとうございます。意外なことに、初受賞だそうですね。

 佐藤 ヴァル研究所さんの「駅すぱあと」という強力なライバルがありますからね。

 奥田 ヴァル研の故島村隆雄社長とも長いつき合いでしたが、佐藤さんとも長いですねぇ、25年以上になりますか。時代の流れの変化、潮の変わり目をつかむのがうまいと敬服していて、何か疑問が生じると佐藤さんのところに議論しに押し掛けていました。ただ、スタートの頃は来るたびに違うソフトの話を聞いていたという印象が強いんですが、創業時の商品は何だったんですか。

 佐藤 私、社会人のスタートはエス・ジーという会社だったんですが、ここはオフィスコンピュータを開発していて、独自OSの原型も持っていました。そこで、プログラマとして与えられた仕事は何でもこなしていたんですよ。

 ジョルダンを設立したのは1979年ですが、NECさんがこの年の5月にPC-8001を発表しており、マイコン、パソコンが人々の関心を集めだしていました。私も、いろいろなソフトを開発したくて独立し、とにかく何でも手がけました。たとえば、マイコン機器を制御するプログラム開発から、RDB(リレーショナルデータベース)を用いた業務ソフト、さらにテレビゲーム、英会話用教材ソフト、FAX OCRなどです。

 奥田さんと知りあった頃に力を入れていたのは、英語学習用のCAIソフトでしたね。ブリタニカの百科事典を売ってる会社があったんですが、百科事典の次に英会話教材を販売し、次はコンピュータによる英会話の教育用ソフト、いわゆるCAIの時代が来るので、そのソフトを開発して欲しいという依頼を受けたんです。その販売会社は当初、別のソフト会社と一緒にやっていたんですけど、そのソフト会社がバンザイしてしまった。発売までに10日くらいしか期間がないけど、こんな話に興味を示すのは佐藤のところくらいだろうというアドバイスを聞いて飛んできた、とのことでした。

 ソフト開発上の問題は正誤判定でした。I am a boyという文章があったとして、Iとamはくっついててもいいか、半角のスペースでなく全角のスペースだったら何点つけていいか、といったことを自動判定したい、というのが要望でした。これって、実際には非常に難しいテーマなんですよ。私、こういう難しいテーマを与えられると燃えるほうですから、夢中でやりました。

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