一にも二にも「日本語力」をつけよう ――第5回

千人回峰(対談連載)

2007/02/13 00:00

大野侚郎

大野侚郎

つくば国際大学 教授

アメリカのほうが勉強している

 奥田 ところで、家電とかカメラなど戦後の混乱期に輸出産業に脱皮していった業界もありました。コンピュータ産業はなぜそうならなかったのですか。

 大野 コンピュータというのは、ちょっと遅れてきた産業なんです。家電、カメラ、事務機、鉄鋼、造船、繊維などは、確かに戦後の混乱期に輸出産業になっていきました。お国の力に頼らず、自分たちの努力で世界に出ていきました。アメリカは、その隙を与えてしまったことを反省、自戒して、1960年代から70年代にかけて日米経済摩擦が頻出するわけです。ただ、遅れてきた産業であるコンピュータについてはその轍を踏むまいと、アメリカは実によく勉強しているんです。

 電電公社時代のDIPS、そしてトロンが潰されたのがその象徴ですが、日本が力をつけるかもしれないとみると、本気で潰しにかかってくることが、何度かありました。

 日本も、アメリカに対抗するために、通産省(当時)を中心に相当お国の金をつぎ込んできましたが、時代の流れを読み誤って、全部失敗しています。お役人の限界を露呈しているのが、コンピュータ政策だったと思います。そして、ビル・ゲイツが登場、デファクト・スタンダードを握られてしまい、日本メーカーは組み立て屋として生きるしかなくなってしまったわけです。

プログラムを書くのは言語行為

 奥田 ソフトの場合はいかがなんですか。

 大野 これも教育の問題が大きいですね。私も大学教授の端くれですが、教える側の勉強不足は感じます。以前に出した「パソコンでつきあう」という本の中では、「情報処理教育30年の不毛」として、(1)教師の9割が、計算機科学9分野の素養がない。まして、システム論や文化・人類学に疎い、(2)肥大ソフトウェアの雑学をてんでに食い散らかし、半年後に陳腐化を嘆く、(3)データ・情報・知識偏重で、作法と体系的訓練に欠ける――の3点を指摘しておきましたが、残念ながら改善の方向に進んでいるとは思えません。

 奥田 プログラマーは日本語を勉強せよ、とも主張なさってますね。

 大野 プログラムを書くということは、言語行為そのものなんです。私は、「国語」は純文学風の表現形式、「日本語」は名詞+動詞の構文で書く実用的表現方法と使い分けているのですが、日本語が「読み書き」できて、はじめて良いプログラムが書けると考えています。だから、年に1回以上、論文やレポートをできるだけ外部向けに書こうとも主張していますが、「書くこと」は「明快に考える」必要があり、つまりは良いプログラムを書くことに通じるのです。

 伸びるプログラマーは、(1)母国語(国語力)に強い、(2)ユーモアのセンスがある、(3)体力がある――の3つだとよくいわれてきましたが、その通りなんです。

 奥田 そうした人材は育ちつつあるんですか。

 大野 詰め込み教育で、知識だけを覚えてきた、いわゆるいい大学の卒業生にはあまり期待できないなと考えています。でも、地方にはすれておらず、いい発想を持った学生はいます。私が勤めている大学は名前の通りつくばにあって、人数は多くはありませんが、自分で考えることのできる学生はいます。高専、工業高校などにもそうした人材はいるんじゃないですか。

 その意味で、BCNさんが始めたITジュニア賞はいい試みですね。若い人材の登竜門になれると思いますので、その方向で運用してください。

 奥田 お褒めにあずかり、ありがとうございます。ところで、これから日本が力を入れるべき分野はどんなところだと考えておられますか。

 大野 いろいろあると思いますよ。情報家電の分野ではすでに世界を席巻しているといわれるトロンマシン、携帯情報端末のPDA、携帯電話、ゲーム機、インターネットテレビ、そしてLinuxマシン。要するに、小さい、軽い、簡単で単純、安全で信頼がおける、そしてみだりに買い換える必要がない製品を開発していけば、世界で通用するでしょう。

前へ

  • 1
  • 2

Profile

大野侚郎

(おおの としろう)  東京都生まれ。東京大学理学部数学科卒業。東芝情報システム取締役技師長、情報処理学会理事を経て、現在つくば国際大学産業情報学科教授。