誰も止めなかったオリンピックという暴走列車

オピニオン

2021/07/25 18:35

 不謹慎を承知で言えば、戦争はこんなふうに始まるんだろうな……そんな無力感を抱いた。東京オリンピックだ。一時は国民の8割が今夏の開催に反対し、延期または中止を求めていた。にもかかわらず、多くの国民の意見や思いを無視して開催に突っ走った。まるでブレーキを失った暴走列車のようだ。平和の祭典とされるオリンピックだが、ある種の代理戦争としての役割も果たしてきたことを考えれば、必然の成り行きなのかもしれない。そして結局、誰も止めることをしなかった。


 中止や延期を宣言すべきだったのは、開催都市の長たる小池百合子東京都知事だ。コロナ禍にあっても、言葉遊びのフリップ芸に終始し一向に本質的な対策を打たなかった。その最たるものが中止や延期の声を上げなかったことだ。彼女こそが声を上げるべきだった。不作為の罪だ。「安心・安全」を繰り返すだけのオウムになった菅総理も、一国の長として責任は免れない。確かに暴走する列車を止めるには莫大なエネルギーを必要とする。大きな危険も伴うだろう。しかし身を挺して止めるべきではなかったのか。小池知事も菅総理も列車を止める努力は何もしなかった。義を見てせざるは勇なきなり。

 議論は「開催か否か」から「観客を入れるか否か」にすり替えられた。観客の有無は枝葉末節だ。いまだに新型コロナウイルス感染症が世界的な広がりをみせているパンデミックの渦中。今夏、開催する意味はいったいどこにあるのか。選手や関係者を世界中から一カ所に集める暴挙。壮大で愚かな社会実験は、リスク管理の観点からすればナンセンスそのものだ。結果はわからない。結局大きな影響はないかもしれない。そうあってほしいと願う。しかし、保証はどこにもない。ギャンブルだ。小池知事と菅総理は「結局何も起きない」ほうに賭けた。彼らには、人の命をカジノのコインのように扱う資格があるとでも言うのだろうか。
 

 新型コロナウイルス感染症による死者数と、外国人の入国者数を比べると、何らかの相関があるように見える。わが国で入国制限を厳しくした昨年4月以降、外国人の入国者が最も多かったのは12月の4万8000人。次いでこの4月の4万5000人だった。死者数はこれら2つのピークに1カ月遅れて急増した。新型コロナウイルス感染症による国内の死者数は、実はこの5月が最も多く、2818人にのぼった。そこへオリンピックだ。海外から選手、役員、報道関係者など合わせて最大で9万人が来日するとみられる。つまり、外国人入国者は、12月と4月のピークのさらに倍の人数の入国が、7月から8月の入国者数に「加算」されるわけだ。現在日本は、159の国と地域からの上陸を拒否している状態。出場選手や関係者はあくまでも例外とされているが、基本は上陸拒否なのだ。

 選手や関係者はPCR検査を何度も実施し、多くはワクチン接種を済ませているという。そもそも一般の入国者に対しても、これまで徹底した水際対策をしてきたはずだった。しかし、その成果は芳しくない。人権を制限するような徹底した対策ができないからだ。オリンピック関係者にはより強い措置を取りつつ、いわゆる「バブル方式」で感染が拡大しないよう努力はしている。措置が効くことを願うが、やはりほころびは随所に出ている。確かに、日本の死者数の規模は世界的に見れば小さく、一部で語られた「さざ波」程度なのかもしれない。今は。問題はアジアでも猛威を振るう変異株の動向だ。先の見えない変異の過程で、近い将来、欧米のように死者が急増しないと誰が言えるのか。
 

 片手で緊急事態宣言の旗を振り、国民に行動制限を求め、令和の禁酒令を声高らかに宣言して飲食店を経営危機に陥れる。片手で世界中から人々を招き入れ、形式だけで穴だらけのバブルに詰め込んで世界最大のスポーツイベントを開催する。同じ東京で。言葉は悪いが「馬鹿じゃないのか」。国内でもワクチン接種が進んでいる。変異株に対する効果は諸説あるものの、重症化リスクは低減しつつと言われている。もちろん選手に罪はない。今となっては、国民にも来日した関係者にも、大きな悲劇が起きないことを祈るしかない。(BCN・道越一郎)