3歳のときに突発性難聴を患い、30年以上にわたって補聴器を使用しているuCCI氏。保育園のとき、初めて自分用に作ってもらった補聴器はオーティコンの補聴器だったという。一時他社の製品を使ったこともあったが、基本はずっとオーティコンユーザーであるようだ。

 補聴器ユーザーというと、高齢者の方をイメージする人が多いかもしれないが、事故や病気で若くして補聴器を装用している人も少なくない。だが、知識として知ってはいても、普段の生活でそうした難聴者の方についての理解を深めるのは難しいものだ。日常生活を送るのは相当大変なのではないか、という勝手なイメージをもってしまいそうだが、実際のところどうなのか。幼少期から現在までの難聴との向き合い方、補聴器との付き合い方を聞いた。
 
補聴器ユーザーのリアルをインタビューで語ってくれたuCCI氏

 uCCI氏は難聴を抱えながらも、20代ではダンサーとして活躍。現在はプロデューサーやキャスティングコーディネーターとして、世界中の名だたる企業のプロジェクトに関わっている異色の経歴の持ち主だ。初対面でも非常にフレンドリーで、会話のスピード、声の大きさや話し方もとても自然でインタビュー中に思わず難聴者であることを忘れてしまうこともしばしばだった。

3歳で突発性難聴に 青春時代の苦労と工夫

 uCCI氏が両耳の聴覚を失ったのは3歳のとき。「友だちとテレビをみていたんです。たしか『キン肉マン』だったかな。そのとき、急に両耳が聞こえなくなって、おかしいなと思ってテレビのスピーカーに耳を当てていたのは覚えています。あとは母がどうしたんだろうと慌てていたのだけはうっすらと……それ以外のことはあまり記憶にありません」と当時の状況を振り返る。

 まだ物心がついてすぐのことだったので、当時の細かなことは覚えていないそうだが、補聴器との出会いもその頃だったようだ。「祖父が補聴器を使っていたので、それを装着させてもらっていた気がします。自分専用の補聴器を作成したのは保育園のときですね。聾唖施設と提携していた富士見台保育園を新聞で知り、母と話を聞きに行き、自分の補聴器をつくってもらいました」

 しかし、uCCI氏は難聴学級のある小学校には通わず、卒業までの6年間を普通の学校で過ごした。「友達の会話の輪に入るのは、聞こえる人とは少し違ったところがあったかもしれませんね。会話を聞くというより、会話の“流れ”を追っているという感じです。基本は誰かがオチを言って笑ったとか、誰かをイジって盛り上がっているとか。テレビを見ていても同じです。誰が何を言ってみたいなことは流していて、話の流れから推理して……といったことが習慣になっていました」

 このときに身につけた処世術は、さまざまな障がい者の受け入れに積極的に取り組んでいる和光学園に進学してからも役に立ったという。「クラスに二人くらい障がいを持った生徒がいるんですが、僕は障がいのない友だちとばかり連んでいました。やっぱり障がいがあるということでネガティブになってしまう人は多い。自分はあまりそういうタイプではなかったので」
 
小学生のときに身につけた処世術は現在でも役立っているという

 和光学園は幼稚園から同じスタンスで経営されていたこともあり、エスカレーター式で進学してきた生徒は障がいに対しての接し方も違っていたそうだ。「見て見ぬふりをするのではなくてイジってくる(笑)『お前、聞こえてないじゃん』みたいなことをさらっと言ってくる」。uCCI氏もそれに「え、何?何?」と冗談を交えて返していたという。

ダンサーとして才能が開花 あのスーパースターからオファーも

 uCCI氏のプロフィールの中でも、ひときわ目を引くのは“ダンサー”という経歴だ。その道は、高校進学とともに始まった。きっかけは、テレビで放送していた「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」のブレイクダンス特集。魅了されたuCCI氏は録画したビデオを何度も見直して、独学で練習に励んだ。補聴器ユーザーならではのエピソードも。「音が聞こえづらいので、スピーカーは他の人より大きかったですね。肩にかつぐくらいのものを使っていました、音も爆音」。
 
uCCI氏がダンスに目覚めたのは高校時代。独学で練習に励んだという

 「高校のときは、がっつりやっていたわけではなかったです。いるじゃないですか、バンドはやっていないけど、バンドマン風。あんな感じでした、ダンサー風(笑)」と謙遜するが、才能はすぐに開花した。高校卒業後もスタイリストの専門学校に通いながら練習に明け暮れ、1、2年でコンテストやダンスバトルで優勝するまでに。24歳のときには、知り合いを通してマイケル・ジャクソンのオーディション担当の目に留まり、「THIS IS IT」のオーディションのオファーが届いた。
 
マイケル・ジャクソンのオーディション担当の目に留まるなど、
ダンサーとしての頭角を現した

 しかし、事もあろうにuCCI氏はこの誘いを断ってしまう。「当時はマイケルのことをよく知らなかったんですよ。イメージは『スリラー』とムーンウォークだけ。あと、ニューヨークによく行っていたのですが、みんな縦に横にとにかくデカい。僕はそんなに背が高くないので、まあダメだろうと。オーディションには交通費もでなくて、自費で来てくれって。でも、半年後にマイケルが亡くなって、『THIS IS IT』の映画をみて「すげー!」って(笑)もしかしたら、あの中に映ってたかも。受からなかったとは思うんですけどね、うん、もったいなかったですね~……」。今でもuCCI氏の中で後悔は残っているようだ。

(後編に続く)