何でも見てやろう、やってやろうの精神で――第38回

千人回峰(対談連載)

2009/04/06 00:00

トム佐藤

トム佐藤

新規事業開発コンサルタント

 今回お話をうかがったのは、かつてマイクロソフト日本法人でWindowsのマーケティングを担当し、そのOSがデファクトスタンダード(世界標準)に到達するまでの渦中で激動の日々を過ごしたトム佐藤さん。その経緯は、今年1月に上梓された『マイクロソフト戦記』(新潮新書)に詳しいが、マイクロソフト退職後に手がけたビジネスや、ビル・ゲイツの人物像、週末に励んでいる八ヶ岳でのトマト栽培と、話題は大きく広がった。【取材:2009年2月25日、BCN本社にて】

(Eコマースの事業を立ち上げたことに関して)「いま思えば、時期が早すぎました。
当時の日本のインターネットユーザーは1万人しかいなかったんです。
つまり、市場がなかった」と苦笑する佐藤氏
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第38回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

ITのトレンドには必ずトムがいる

 奥田 トムとBCNとのつながりは、いつ頃から始まったんでしたっけ。

 佐藤 1986年か87年ですね。まだ私がマイクロソフト日本法人にいた頃で、吉若(徹)さん(現・専務)や田中(繁廣)編集長(現・常務)たちと一緒にCOMDEXを視察したり、講演を依頼されてお話ししたりしました。面白い時代でしたね。

 奥田 私がはじめてトムと会ったときの印象は、まず「日本人じゃないな」ということでした。

 佐藤 それはよくわかります(笑)。

編注)トム佐藤氏は、大阪生まれの生粋の日本人。商社マンだった父親の転勤にともなって13歳で渡英する。

 奥田 そして学者のようで、先を読める人。それからなぜか、ちょっとへこんでいるときに会いに来るんですね(笑)。だけど、すごくやさしい、いい奴なんです。

 佐藤 奥田さんが言われるような学究肌ではないと思いますけど、たしかに困ったときにはBCNに顔を出していますね。独立してコンサルタントになったけれどコネがないと愚痴をこぼして、田中編集長に同行して北京で取材記事を書かせてもらったこともありました。

 奥田 この業界のトレンドには必ずトムがいるんだけど、成功していかないから知名度はそれほど高くない。私はよく知っているけれどもね(笑)。

 佐藤 「あれやって、これやって」と、いろいろ手がけるのですが、事業として長続きしないからですね。といっても、バーゲンアメリカというe-ビジネス事業は、珍しく7年近く続きましたが…。

 奥田 成功しないんじゃなくて、長続きしないのだ、と。ところで、マイクロソフトに入ったのは何年でしたか。

 佐藤 マイクロソフトの英国法人に入社したのが1985年ですね。当時のマイクロソフト本社は、まだワシントン州ベルビュー市のノーサップウェイというところにあって、社員も350人程度。株式公開もしておらず、売上高も私が入社した年にようやく1億ドルを超えて「凄い、凄い」と大騒ぎしていた頃です。まだ、西(和彦)さんも上級副社長として活躍していて、アスキーの人たちもMSFE(Microsoft Far East)という事業部で開発にあたっていました。私も、西さんと一緒にMSXの立ち上げに奔走していた…。

 奥田 トムのおおよそのプロフィールは知っていたのですが、この本(『マイクロソフト戦記』)を読んではじめて知ったこともあります。ことに大学時代にゲーム会社を立ち上げるところなど、本当に面白かったですね。

 佐藤 日本でBCNに出入りしたのと同じようなことを、当時、イギリスでもやっていたんです。コンピュータ系の雑誌社にもぐりこんで、編集長と会って情報交換をしたり、記事を書いて手伝ったりしました。専門誌の編集部に行けばニュースがあるということはわかっていました。つまり情報の乏しい自分にとって、業界が一望できる眺めのよい場所だったわけです。情報が空気のように流れていて、それを吸っている人たちと会える。私がアイデアを出すと、すぐレスポンスが返ってくるような場だったと思います。
 

新しいことはとりあえずやってみる。そして、たくさん失敗する

 奥田 「眺めのよい場所」とはいい表現ですねぇ。ところで、私が一番凄いと思ったトムのビジネスは、マイクロソフトを退社した後に立ち上げた「東京IPO」なのですが、なぜ売却してしまったのですか。

[次のページ]

次へ