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  • サンディスク 代表取締役社長/工学博士 サンディスクコーポレーション シニアバイスプレジデント 東京大学非常勤講師 小池淳義

チームづくりと戦略の立て方はアメリカンフットボールに学んだ――第119回(上)

千人回峰(対談連載)

2014/09/18 00:00

小池 淳義

小池 淳義

サンディスク 代表取締役社長

構成・文/浅井美江
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年09月15日号 vol.1546掲載

 現在、体脂肪率11%。「加圧トレーニングは効きました」と、いたずらっ子のような笑顔を見せる小池淳義社長。50代後半で始めたウエイトトレーニングの成果だそうだ。メモリカードのトップメーカーであるサンディスクを率いると同時に、東芝との合弁会社をマネジメントするという多忙な日々を過ごしながら、アメリカンフットボールのクラブチーム「ハリケーンズ」の総監督を務めておられる。みなぎるパワーはどこから生まれるのだろう。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2014.7.28/東京・港区のサンディスクのオフィスにて】

2014.7.28/東京・港区のサンディスクのオフィスにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第119回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

心身ともに魅了されたアメリカンフットボール

奥田 サンディスクの社長でありながら、アメリカンフットボールチームの総監督を務めておられるとうかがいました。

小池 はい。東京武蔵野のクラブチームで「ハリケーンズ」といいます。日本社会人アメリカンフットボールXリーグに所属しています。

奥田 「Xリーグ」とは?

小池 一般社団法人日本社会人アメリカンフットボール協会のトップリーグとして1996年に発足しました。イースト、セントラル、ウェストの三つで構成されていて、それぞれに6チームずつ、計18チームが所属しています。選手は全員、社会人です。実業団チームとクラブチームがあるのですが、「ハリケーンズ」は武蔵野のクラブチームです。うちのチームは大学のスター選手を獲得するのではなく、未経験者であっても、フットボールが好きで、やる気がある人はすべて受け入れます。

奥田 「ハリケーンズ」との関わりを教えてください。

小池 大学院を出て入社した日立製作所で、1978年に同好会として立ち上げたのが最初です。その後、35歳まで選手兼監督として関わり、以後は総監督を務めています。

奥田 選手として活躍されていたときのポジションは?

小池 少し足が速かったので、ランニングバックです。

奥田 フットボールには詳しくはありませんが、ランニングバックというのは攻撃チームの重要なポジションなのでしょう? すごいですね。それにしても、フットボールを始めたきっかけはなんだったのですか。高校時代からやっておられた?

小池 いえ、違います。高校のときにはクラブがありませんでしたから。そもそも、種子島に行ってロケットを打ち上げたいと思っていた理系の高校生だったので、運動自体もさほどやっていませんでした。本格的にやり始めたのは早稲田に入学してからです。ちょうどからだを鍛えようかなと思っていたんですが、たまたまアメリカンフットボール部に勧誘されて。その時の言葉が、「これから始めても日本一になれる」だったんです。それを聞いて「なるほど。そうかもしれない。じゃあ、ちょっと始めてみようかな」と……。ところが入ってみたら、とんでもなくキツイ。もうついていくのが大変でした。でも、汗をかいて、極限まで身体を使うということは、今までの自分の人生になかったことで、これはもう本当に新鮮だった。まずはそこにのめり込みました。そして同時に、アメリカンフットボール自体のおもしろさにも魅了されたんです。

奥田 魅力ですか…。どんなところが?

小池 ゲーム自体が非常にシステマティックなんです。プレーしている11人全員が、きちんと目標に向かって動かないと絶対に勝てない。チームワークと戦略が不可欠の要素になるスポーツなんです。「究極のスポーツ」といわれるわけが理解できました。

奥田 つまり極限まで身体を使うというフィジカルな面と、スポーツ自体がもつおもしろさというメンタルな面の両方から、引き込まれたと……。

小池 まさにそうなんです。

奥田 学生時代の試合で、今につながるエピソードはありませんか。

小池 4年生のリーグ戦のときでした。どしゃぶりの雨という最悪の条件。それまでの成績から、引き分けでも優勝できる試合だったのに、なぜか全員が「絶対勝たなければ」と思い込んだのです。勝つ自信と技術はありましたから、完全優勝を目指したんですね。でもそうすると、焦りが出てくる。早く点を入れなくてはという焦り。結局、ふだんはやらないようなプレーをやって、相手にタッチダウンを奪われ、負けました。

奥田 う~ん、それは悔しかったですねえ。

小池 誰か一人でも冷静になって、「引き分けでいいんだ。引き分けたら優勝できるんだ」と言えばよかったんです。それに気がつけばよかった。今思い出しても悔しい試合です。
 

試合を通じて学んだチームのつくり方

奥田 そこから得た教訓はありましたか。

小池 当時はコーチがいなくて、自分たちが選手兼コーチでした。あの時、コーチがいて、冷静に判断していれば負けることはなかったと思います。結局、チームをきちんとつくるには、リーダーとコーチの両方が必要なんだということがわかりました。

奥田 その後、どうされました?

小池 大学院に進んで、2年間、大学のフットボールチームのコーチをやりました。大学院の勉強も頑張りましたが、チームのコーチングを徹底的に学びました。あのときの経験は今でも自分のなかで生きていると思っています。

奥田 ところで、今日、こちらにうかがう前に、『週刊BCN』で以前取材させていただいた記事に目を通してみましたが、ちょっとお顔の印象が違うような……。

小池 実はあるとき、一念発起してウエイトトレーニングをしたんです。

奥田 ほう。それはいつ頃のことですか。

小池 50代の後半です。その頃の体重は70kgくらい。前に取材していただいたのは、たぶんその時分でしょう。

奥田 一念発起されたのには、なにか理由があったのですか。

小池 仕事がどんどん忙しくなって、運動もできず、体重も体脂肪も増える一方でした。でもこれから先を考えると、今、体力をつけておかなければダメだと思って、60歳になる前に身体をつくり直すことにしました。

奥田 それで、ウエイトトレーニングを。

小池 そうです。目指したのは、大学時代の体重と体脂肪率です。3年で戻すことができました。加圧トレーニングは効果がありましたね。

奥田 現在の数字を教えていただいてもいいですか。

小池 体重は62kg、体脂肪率は11%です。大学時代と同じです。戻して以来、変わっていません。

奥田 それはすごいですね。11%はなかなかできない。しかも維持されているというのがまたすごい。

小池 ありがとうございます。
(つづく)

 

時には1日800kmのロングツーリングも

 50歳を過ぎてバイクの大型免許を取得した小池社長がひとめ惚れしたのがこちら。人気車種なので、納車に8か月待たされたそうだが、届いた時にディーラーの営業マンに言われたのが、「あなたはラッキーですね」。「こんな営業っていいなあ」と思ったとか。

Profile

小池 淳義

(こいけ あつよし) 千葉県出身。1978年、早稲田大学大学院理工学研究科修了後、日立製作所に入社。主に半導体部門の技術開発に従事する。2000年3月にトレセンティテクノロジーズの取締役生産技術本部長として迎えられ、2002年6月、同社取締役社長に就任。2005年に就任したルネサステクノロジ技師長を経て、2006年8月、サンディスクに入社。同社日本法人の代表取締役社長として、国内工場や開発拠点の統括をはじめ、リテール営業・マーケティング、法人営業のすべてを統括する。また、サンディスクコーポレーションの重要なパートナーである東芝との合弁会社の責任者として、四日市工場と大船の開発拠点をマネジメントし、NAND型フラッシュメモリ技術の開発・生産に重要な役割を果たしている。