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中国ビジネスの第二世代は、高質な商品を高く売って儲ける――第137回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/06/11 00:00

古林 恒雄

古林 恒雄

上海華鐘投資コンサルティング 董事長

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年06月08日号 vol.1582掲載

 BCNが創立30周年を迎えたのは2011年のこと。私は次代の方向性を探るべく中国の都市を歩き回り、「日中韓に土俵を拡げる」という仮説を立てた。そんな時期に、中国で活躍するすごい日本人を描いた本が出版されたと聞いて、さっそく読んでみた。「すごい! この人はただ者ではない。こんな日本人が上海にいるのか」と興奮を抑えることができなかった。それから4年、念願かなって“鉄人”にようやくお会いすることができた。(本紙主幹・奥田喜久男)

2015.3.2/東京・千代田区のBCN本社にて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第137回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

中国進出企業は第二世代に

奥田 2011年に『中国ビジネスは俺にまかせろ 上海の鉄人28号 古林恒雄』(朝日新聞出版)を読んで、こんな怪物みたいな人が上海にいるんだと思い、ずっとお会いしたいと思っていたんです。

古林 ありがとうございます。

奥田 1994年に上海華鐘コンサルタントサービスを設立され、もう20年以上、上海に根を下ろしていらっしゃいますが、具体的にはどのような仕事を?

古林 基本的に、お客様は中国進出に関係がある日本企業と進出した中国現地の日系企業です。会員制で、面接や書面によるコンサルティング、これまでデータベースに蓄積してきた法律の翻訳や解説などの情報検索サービスなどを提供しています。

 そして、中国進出や撤退の実務的なお手伝いそのものも手がけています。例えば撤退する際に「従業員300人を整理したい」といったご要望があるのですが、人員整理そのものを私どもに依頼される企業が少なくありません。会社の清算、撤退、人員整理など、必要な法的手続きから従業員との交渉に至るまで、私どもはすべてに対応しているからです。もちろん撤退だけでなく、進出する際にも、どこに工場を建てたらいいかといった段階から相談に乗り、場所を探して、土地を買い、工場を建て操業を始めるまでおつき合いするケースも多くあります。

奥田 今、進出企業と撤退企業の割合はどのようになっていますか。

古林 3:7ぐらいで撤退のほうが多いですね。ただ、単に撤退ということでもなく、5社あるものを3社に組み替えたいといった再編のケースもあります。さらに、10年前、20年前に進出した場所が市街化して工場の操業が難しくなり、政府から移転を促されているようなケースもあります。移転先が遠い場合は、一度会社を清算することになるので、従業員の解雇問題も発生します。

 日本企業の中国進出が最も盛んだった20年ほど前、私たちはそれに対応するため、上海政府から依頼されて合弁のコンサルタント会社をつくったのですが、当時の中国人の給料は、いまの5分の1から8分の1です。でも、日本人の給料はその頃から変わっていません。GDPも変化していません。貧困層が増えていますし、平均給与でみれば、日本人のそれは20年前よりむしろ下がっています。それに対して中国の給料は年10%くらいずつ上がってきました。当社には創業時から20年勤め続けている社員が何人かいますが、給料は20年前の入社時の10倍になっています。中国の状況はほんとうに大きく変わりました。

 つまり中国では、当時のように低コストで物をつくることはできません。おそらく、私どもの中国人社員の給料と日本の製造業企業従業員の給料はそれほど変わらない。例えば現在の為替レートで、部長クラスで年収700万~800万円、課長クラスで400万~500万円程度です。日本円の価値が以前の3分の2になったため、給与格差があっという間に縮まったのです。それに耐えられない日系企業は、撤退するか倒産するしかないわけです。

奥田 2012年の暮れ頃から、元高が急激に進みました。

古林 そうですね。中国で製品を安く製造して、それを日本で売るというかたちで進出した第一世代の時代は終わったと言わざるを得ません。

奥田 なるほど。では、第二世代は?

古林 第二世代は、中国でつくって中国で売って儲ける企業群です。ユニクロ、ダイキン工業、小松製作所、ユニ・チャームといった優良企業の儲けの多くは中国市場から得たものです。

 中国のGDPは、2014年で日本の2.5倍近くあります。もうすぐ3倍です。市場としては成長市場で、規模も日本の2倍以上ある。だから、儲ける企業はものすごく儲けます。その反面、第一世代のビジネスモデルの企業は、もう事業が成立しないため、撤退していくわけです。
 

職人の日本人、商売人の中国人

奥田 1994年、コンサルタント会社を設立した頃のお話を聞かせてください。

古林 創業時は8人ほどでスタートしたのですが、そのとき私は、カネボウの中国と香港の首席代表と日本の国際本部副本部長などを兼務していました。

 中国に合弁会社をつくり始めたのは、86年からです。全部で20社以上設立しました。コンサルタント会社は94年設立ですが、87年には上海華鐘ストッキングという合弁会社をつくっています。この会社は30年近く経過した今でも利益を出している上海市では伝説的な会社です。「華鐘」というのは中国のカネボウという意味ですが、中国ではストッキングの有名ブランドでもあって、上海市の「著名商標」として正式に登録されています。

奥田 当時、相当な額の収益を上げられていたということですが……。

古林 一時は二十数社全体で毎年20億円くらいのキャッシュフローを稼いでいました。銀行からの借入金も多くて、毎年10億円ぐらい返済して、カネボウ本体が潰れる頃にはほぼ返済が終わりました。ただ、ほとんどの会社が中国側との合弁企業であり、為替管理も厳しかったため、日本に資金を回せと懇願されましたが、毎年の配当以外は日本に送金できませんでした。

 当時の華鐘企業群のビジネスモデルは、日本で不要となったカネボウの設備を中国の工場にもっていって会社を設立し、そこで生産するというものでした。一般的には中国人は細かな品質管理ができません。でも私は、物を生産するということはこういうことだということをとにかく教えたかった。

 いまでもメイド・イン・ジャパンの評価が世界的に高いのは、やはり日本人がものづくりの職人だからです。でも、中国人は基本的に商売人ですから、細かなものづくりは苦手です。

奥田 アップル製品のほとんどは中国生産ですが……。

古林 中国にとっては重要な産業ですが、部品の90%ほどが輸入品ですから、単に組み立てているだけともいえます。

奥田 組み立てと、ものづくりは違うということですね。

古林 いま工業製品では、日本製とドイツ製の品質が世界的に評価されていますが、中国は遅れているというよりはタイプが違う。中国人でもできる人はいるのでしょうが、過去20年間、10%以上の経済成長を続けている中国に、細かいことを地道に積み上げるという雰囲気はないですからね。(つづく)

 

古林さんの移動スタイル

 大きなリュックを背負い、ステッカーだらけの大きなスーツケースを転がしながら、スーツ姿で空港を闊歩する。まさに、鉄人28号のパワーと007の身のこなしそのものだ。(この写真のポーズは奥田がリクエストしました)

Profile

古林 恒雄

(こばやし つねお) 1942年、兵庫県神戸市生まれ。65年、東京大学工学部を卒業し、鐘紡に入社。75年、初訪中の技術紹介が成功し、78年から84年まで上海石化向けPETプラント輸出の現地総代表。85年より中国室長、中国首席代表として中国事業開発に従事し、二十数社の合弁会社を設立運営。94年、上海華鐘コンサルタントサービス、05年、上海華鐘投資コンサルティング、09年、上海華鐘信息管理コンサルティングを設立、董事長を兼任。上海市外国投資促進センター高級顧問、上海市外商投資企業協会副会長、各地人民政府、開発区顧問など。2000年、通商産業大臣より海外経済協力貢献者表彰、03年、上海市白玉蘭記念奨、07年、同栄誉奨受賞、09年、中国の永住許可証を取得。