40周年を前に強みを捉え直し 創業時のマインドを取り戻す――第143回(上)

千人回峰(対談連載)

2015/09/10 00:00

細野昭雄

細野昭雄

アイ・オー・データ機器 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年09月07日号 vol.1594掲載

 細野社長の出身地であり、現在もアイ・オー・データ機器が本社を構える金沢の町を、私は何度か訪れたことがある。時代の最先端をいくIT関連企業が多い反面、友禅、和紙、金箔、酒造りなど、伝統文化を守り続ける親方や職人が数多く住む町でもある。この地に創業して間もなく40年という細野さんだが、いまだに地元ベンチャーの集まりに顔を出し、若き経営者たちにアドバイスを送っているそうだ。老舗とベンチャーがシンクロしているのは、町だけではない。人もまた同じなのだ。(本紙主幹・奥田喜久男)

2015.5.22/東京・千代田区神田須田町のアイ・オー・データ機器東京オフィスにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第143回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

スリムな体質を維持して開発ジャンルを選別する

奥田 すっかりご無沙汰してしまいましたが、もう来年で創立40周年。すっかり業界の老舗企業ですね。

細野 1976年1月の創業ですから年数的にはそうかもしれませんが、私はまだベンチャー企業だと思っています。実は、今年はアイ・オー・データの変化が目に見えてきた年だと捉えているんです。

奥田 具体的には、どのような変化ですか。

細野 今年4月に、ウエスタンデジタル(WD)の販売パートナーになったことと、インテルCompute Stick(スティック型PC)の発売を発表したことです。

 ご存じのように、当社は一昨年、120人ほど人員を減らしましたが、同時にそれまで10年間の業績を分析し、やはり事業展開の仕方をこの先変えていかないとダメだろうという結論に至りました。スリムな体質にして、特徴のある売り方をしていきたいということですね。

奥田 特徴のある売り方ですか。

細野 ハードディスクドライブを例にすると、今は台湾でつくって、日本のマーケットで売るというやり方が間尺に合わないビジネスになってきているんです。デザインや色などは手を入れる余地がありますが、ユーザーの使い勝手などはほとんど変えようがありません。6、7年前に売れたテレビ用のハードディスクのように特徴を打ち出せればいいのですが、一つの部品原価が販売価格の70~80%を占めているようなコモディティ(日用品)商品については、開発から携わるのは得策ではないと考えるようになりました。

 ただし、WDとの提携がストレージ全体の自社開発をやめることを意味するのではなく、特徴的な商品に特化していくということです。例えば新規格であるSeeQVault(シーキューボルト)に対応したテレビ・レコーダー用の外付けハードディスクとか、WDが「こういう製品は日本のローカルマーケット向きであろう」というものは自社開発し、ワールドワイドで通用しているストレージ製品についてはWDに任せようということですね。

奥田 すべての製品を自社開発にすることはやめると。

細野 そうですね。もう一点加えますと、パーソナルNASという2万円前後の製品は、日本の市場ではなかなかブレイクしていません。ところが、WDのパーソナルNASは欧米で伸び盛りです。また、WDの外付けハードディスクの販売台数は世界一ですが、日本のマーケットでは売れていないのです。だからその部分は、国内の業界経験が豊富な私たちに任せてもらう。一方で機能と信頼性、そしてサービス面からご好評いただいている法人用NASは、引き続き自社開発にこだわりたいと思います。
 

スティック型PCはモニタの「周辺機器」

奥田 どうしてインテルのスティック型PCを扱おうと思ったのですか。

細野 「いまさらPCを扱うなんて」と言われそうですよね。事実、当社は周辺機器メーカーですとずっと言い続けて、PCメーカーの人にもPCはこの先も扱わないと言ってきたわけですからね。そのハンドルを切るきっかけになったのは、一昨年、三菱電機がPCモニタ市場から撤退したことでした。

 その撤退によって、三菱のシェアをかなりいただけたのです。たぶん、一番多かったと思います。その背景には、当社が国内ブランドであるということがありました。これまで三菱のモニタを使っていた学校や官公庁などが、アジアブランドや欧米ブランドには乗り換えなかったということです。その結果、去年の春、当社がいきなりトップシェアをとりました。

奥田 三菱の撤退でPCモニタのトップシェアをとられて、それがどうスティック型PCにつながるのですか。

細野 Windows XPのサポート終了も重なり、3月から4月に販売が急増しましたが、その後、夏ぐらいから在庫が増えてきました。反動を予想してはいましたが、ここまでかというくらいの落ち込みで倉庫が在庫でいっぱいになってしまい、営業は「PCが売れないからモニタが売れない」とぼやくわけです。たしかにそうなんです。回復するかと思ったPCの売れ行きは落ち込んだまま。そんなとき、インテルがスティック型PCを出すと聞いて、「これだ!」とひらめいたのです。周辺機器というのは、それだけでは使いものにならない。私はこれまでそういうものをつくって売っていたんだと。

奥田 ようやく気がついたと(笑)。

細野 その通り。ただ、デスクトップも小型になってきたので、チャンスはもっと前にあったのかもしれません。要するに、参入する気になれなかったのです。PCそのもののノウハウももっていないし、あるいはPCとの既存の関わりを変えてまでいまさらと……。

奥田 生活習慣病ならぬ業界習慣病ですね。

細野 でも、このときスティック型PCというのはモニタの後ろに隠れるものだと思ったのです。もっと言うと、スティック型PCはモニタの周辺機器だと。そう考えれば、営業に心置きなく頑張ってもらえます(笑)。

 ところが出荷直前の検証で問題が見つかって、出荷がストップとなりました。今回販売するにあたり当社は、インテルと技術やサポート面など協業体制を構築させていただいております。でも、うちはPCを販売するのは初めてということもあり、ユーザー視点でいろいろと事前にチェックしていたらどうもおかしいということでインテルと協議しました。

奥田 すごい! そこでバグを見つけたのですか。何が奏功するかわかりませんね。

細野 そうですね。けっこうギリギリのタイミングでした。商品の一部は取引先の倉庫に入っていたようですし、もしそのまま出荷してしまうと、インテルがサポートを行うにしても、当社の電話が鳴り続けることは間違いありませんでした。

奥田 その辺は、さすがベテランの洞察力ですね。お話をうかがっていると、すごく余裕をもっていろいろなことを想定されていると感じます。アイ・オー・データは、やはりベンチャー企業ではなく、老舗企業ですよ。

細野 まだ、これからもいろいろなことがあるでしょうが、こうした経験を次に生かしていければいいと思いますね。(つづく)

 

「YS-11」のプロペラ

飛行機好きの細野社長。金沢にある本社には、飛行機の絵画が飾られており、なんと戦後初の国産旅客機「YS-11」のプロペラをもっておられるそうだ。

Profile

細野昭雄

(ほその あきお) 1944年、石川県金沢市生まれ。62年、石川県立工業高校電気科を卒業し、ウノケ電子工業(現PFU)に入社。65年、金沢工業大学の情報センター職員に。70年、バンテック・データ・サイエンス(現エヌジェーケーテクノ・システム)入社。76年、アイ・オー・データ機器を設立、代表取締役社長に就任。