「雑学」志向と得た知識を捨て去ることが次につながる――第144回(下)

千人回峰(対談連載)

2015/10/01 00:00

西岡 幸一

西岡 幸一

人総研 研究主幹

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2015年09月28日号 vol.1597掲載

 西岡さんと会話をしていると、学者と話しているのか、企業家と話しているのか、はたまた高僧と話しているのかわからなくなる瞬間がある。つまり、脳科学の話が、時にスピリチュアルな衣をまとってそこに立ち現れたり、哲学的な思考に近づかなければ得心できない局面に追いやられたりもする。もちろんそれは不快なことではなく、贅沢な知的コミュニケーションである。でも、人間そのものを探求する西岡さんを探求するのは、やはり簡単ではなかった。(本紙主幹・奥田喜久男)

「何かにしがみついてしまうと、次に行けない」と話す西岡さん
 

写真1 西岡さんとの会話は贅沢な知的コミュニケーションだ
写真2 「そこからが放浪ですね」と当時を振り返る西岡さん
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第144回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

何かにしがみつくと次には行けない

奥田 38歳にして上京されて、アカデミズムからビジネスの世界に飛び込まれたわけですが、そのきっかけはなんだったんでしょうか。

西岡 九州大学にいたときに、たまたま数学者の広中平祐先生が講演に来られたんです。そのときに、残念ながら内容を覚えていないのですが、私が変な質問をしたんです。それに注目されたのか、九大から長崎大に戻ったときに、広中先生の代理の方が大学に来られて、東京に来ないかという話があったのです。

奥田 一つの質問で東京に来ないかという広中先生もすごいですね。それで東京へ行かれるわけですか。

西岡 福井大学のポストも断わってしまったため、先生に紹介してもらった歯科材料の会社に入りました。ところが、大学から来たということもあって、おんぶにだっこ、さすがにそれはまずいだろうと思い、そこは1年で辞し、インテリジェントテクノロジーという会社を始めました。

奥田 そこは何を専門にする会社ですか。

西岡 人工知能関連の会社で、アメリカのカーネギーメロン大学と提携を行い、ナレッジクラフトという人工知能のソフトを日本で販売する権利を得て、大企業に売っていたのです。それが、42、3歳頃の話です。

奥田 人工知能の仕事は、どう進んでいくのでしょうか。

西岡 そこからが放浪ですね。コナミ(当時・コナミ工業)の取締役から、うちの顧問になってくれと頼まれました。コナミは人工知能を取り入れた将棋のゲームをつくろうとしていたんです。カーネギーメロン大と人工知能で提携していましたから、その実績から白羽の矢が立ったようなのです。結局、コナミには2年ほどいましたね。

奥田 コナミを辞められたのはどうしてですか。

西岡 私はこのときいくつか失敗例を示して、「ゲームというのはこれから先、何年も続くものではないでしょう、もっとほかの事業に転換したほうがいいんじゃないですか」と言ったら「もう結構です」と。

奥田 その後もまた放浪を続けられるのですか。

西岡 次は、「会話エンジン」というものの開発に携わりました。最初は、まだ西和彦さんがいた頃のアスキーでつくって、その後はバンダイが継続して引き受けてくれたんです。会話エンジンというのは、人間と会話をすることで知識が蓄積していくものなのです。あるとき知り合いの高校生にそのソフトを託し、それが戻ってきたら、いろいろな知識が増えていたのです。

奥田 人工知能に会話エンジンというとずいぶん先端をいっておられたんですね。

西岡 それで、それをソニーの子会社に持っていったのですが、結局ビジネス上の判断でプロジェクトは成就しませんでした。その後、イナゴというAI系の会社が、会話エンジンに興味を示し、ぜひ欲しいというのでタダであげてしまいました。私は会話エンジンとは、もうおさらばしようと思っていたんです。何かにしがみついてしまうと、次に行けない。だから、捨てるときは徹底的に捨てないといけない。この会話エンジンは、数千万円の価値があったようですが……。

奥田 生活苦というものには、一切縁がないのでしょう。

西岡 生活苦は当然あります。妻は苦労したはずですよ。顧問料は入ってくるものの、ずいぶん少ない時期もありました。だいぶ文句を言われましたね(笑)。

奥田 人総研に移られたきっかけは何でしたか。

西岡 人総研に来る前に富士総合研究所(現・みずほ情報総研)のシステム部の顧問をやっていました。その前は、NTTの関連子会社でSCOPという製品を開発していたのですが、そのプロジェクトが駄目になり、それを富士総研でアレンジして、製品化できたのです。それが、人総研が販売している総合人材適性検査Halzで、そのHalzとともに、私も人総研にやってきたということです。

奥田 HalzやTALという検査は、数千社の顧客企業があるそうですが、Halzの話を聞かせていただけますか。

西岡 Halzの一番の特徴は、その分析項目のなかに「特異性」というものがあることです。特異性には、目に見える表出特異性と目に見えない潜在特異性があって、この2つの特異性を2つの方向に展開をすると、潜在特異性の高い人物は、他人から見ると理解しにくいタイプで、そのタイプの人を追跡してみると、会社に入ってもすぐに辞めてしまうということがわかったのです。

奥田 それは、学術的な話ですか。

西岡 そうです。脳科学的な話です。人間のエネルギーには、運動のエネルギーと思考のエネルギーの二つがあるとわかり、それを現実の検査のなかに生かしたのです。

奥田 人工知能から会話エンジン、そして脳科学に落ち着いたんですね。

西岡 TALという適性検査も開発しました。ベースとなる画像の上に図形(アイコン)を配置することで、情動などを判定するものです。当初は何回やっても、精度は高まりませんでした。ところが、夢でひらめいた手法を使ったら信じられないくらい、精度が向上しました。これを脳科学の面から検証した結果でも、それを裏付けるものでした。このTALも、多くの企業で利用され、精度の高さを評価していただいています。
 

物事を見て、感じて、想像する

奥田 探究心は、いまでも旺盛ですね。

西岡 探究心は、どこからともなく湧いてきます。子どもの頃、親父は私に「いいものは見て、悪いものは全部捨てろ」と言いました。そして、死ぬ間際に言い残したのは「物事は見て、感じて、想像せよ」と。念を押したということなんでしょうね。

奥田 お父さまのDNAも多分に影響しているということですね。西岡さんのこれまでの業績は、実験結果の集積ですか。あるいは、想像のアルゴリズムなんですか。

西岡 その両方です。だから、すべては仮説検証の繰り返しになります。

奥田 人間が100%わかってしまったら、おもしろくないですね。でも、人間のことを少しでも詳しく知りたいというニーズが、適性検査の利活用につながるのでしょう。

 

こぼれ話

 頭の訓練をするドリルがいく種類かある。西岡さんとの対話もそのうちの一つに加えたいほどである。とにかく話題の糸口をつかむのが一苦労だ。話のなかには、必ず冗談話が付録としてついてくる。付録に問いを出そうものなら倍以上の冗談がついてくる。そうなると、質問の主脈が何だったのかおよそ不明な状態になる。

 気を取り直して、次の話題へと問いを投げる。実に真面目にして、ていねいな解は返ってくるのだが、履歴を聞いていてもおもしろくもない。と思って聞いているうちに、話題がワープして独特な西岡ワールドに入り込む。履歴が脈絡もなく飛び級をするのだ。突然、名の知れた数学者の名前が飛び出すと、どんな間柄なのか聞いてみたくなる。

 やれやれ、ようやく東京の生活時代にまで話が進んだぞ。さて職歴に話がおよぶと、会社の名前が次から次へと続く。転々とした職歴といってよい。新しモノ好きだから、一つの仕事を終えると、次の仕事に移ってしまう。やりことをやりたい。学問に境はない。それを 「雑学」といい、西岡節では「長崎ちゃんぽん」となる。得意分野は人間の複雑回路を解明することだという。ずいぶん頭に油をさしていただいた。