人としてのやさしさがないと あんなすばらしいソフトは つくれません――第196回(下)

千人回峰(対談連載)

2017/11/20 00:00

尾内治良

尾内治良

和佐保加工 代表取締役会長

構成・文/浅井美江
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2017年11月13日付 vol.1702掲載

 尾内さんはシャイである。対談中、神岡の歴史や地形から政治・行政まで広く話が及んだ。ご自身のことになると途端にはにかまれ、謙遜される。しかし「ファラオ」と開発者島村隆雄氏の話になると居住まいが一転。声にも熱がこもる。こんなにも信頼できるソフトと出会われた尾内さんは幸せだと思うが、こんなにも愛してくれるユーザーがいてくださるソフトもその開発者もなんと幸せなことか。「島村さん、尾内さんの話、聞こえましたか」……。(本紙主幹・奥田喜久男)


2017.8.16 /BCN 22世紀アカデミールームにて

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第196回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

啓発活動が仕事になって
会社の定款を変更

奥田 「ぱぴろじすと」のメンバーはどんなお仕事をされていたんですか。

尾内 いろいろでしたね。開発者のほかにも、税理士さん、電気屋さん、パン屋さん。

奥田 どのくらいの規模のパン屋さんですか。

尾内 大きいパン屋さんでしたよ。岩手でナンバーワンでしたかね。専務さんがいらしてました。

奥田 ご自分で使われていたんでしょうか。

尾内 使って気に入られたんでしょうね。

奥田 すごい人が全国にいらっしゃるんですね。

尾内 岩手、大阪、九州……。「ぱぴろじすと」の会には全国からいらしてましたね。

奥田 開発というのはファラオを使って、お客さんの業務を組んであげるという使い方だったんでしょうか。

尾内 そうですね。

奥田 じゃあ、「ぱぴろじすと」の半分は業務開発系、あとの半分は尾内さんのようにご自身で経営をされている方が自分で組んで自社で使うということですね。すごいソフトですねえ。

尾内 本当にすごいですよ。昔、中小企業の業務改革として革命的だというソフトを紹介する本があってソフトを何本か紹介していたんです。やはり興味がありますから、お試し版を取り寄せたり現地の会社に直接買いに行ったりしましたが、到底ファラオにかなうものはありませんでした。

奥田 絶賛しますね。

尾内 本当にそうなんです。かなわないんです。どんなにすごいといわれていたソフトも、ファラオやナイルとは比べものになりませんでした。

奥田 何がそんなにすごいんですかね。

尾内 機能はもちろんすごいんです。でもね、そういうすごいソフトをつくれる島村さんという方がすごい。とてつもなく温かい心の持ち主なんだと思うんです。でなければ、あんなソフトは絶対につくれません。

奥田 ファラオやナイルを開発した島村さんは、パイオニアのSEで独立してヴァル研究所を設立されたんですよね。

尾内 パイオニアにおいでになれば、当然そこで成功されていたと思うんです。

奥田 それはファラオやナイルの成功で立証してますよね。

尾内 それが独立されてファラオやナイルをつくられた。くりかえしになりますが、人としてのやさしさがないとああいうソフトはつくれないと私は思うんです。

奥田 気配り、配慮。今の流行りの言葉でいうとおもてなしかな。コンピュータを使う人たちへのおもてなし。

尾内 どういう人たちがコンピュータを使いたいと思っているのか、どんなことに使いたいのか。そしてどんなことで困るのか、苦労をするのはどこなのか、そういうことをわかっていらっしゃった気がするんです。それらを全部踏まえてつくられたんだろうなと。

奥田 そしてつくった。で、リリースしたら普通の企業の経営者が感動して自発的に集まって交流し始めた……。

尾内 情熱をもってね。とにかく楽しかった。いっぺんに世界が広がりました。

島村イズムを伝える
プロジェクトが始動

奥田 昨年(2016年)、「ぱぴろじすと」のお一人「メッツソフトウェア」の野口会長にお会いしたら「ファラオがまだ動いてますよ」とおっしゃってました。

尾内 うちでもナイルが動いてますよ。

奥田 尾内さんのところで?

尾内 動いてます。というか、私の仕事場で一番活躍しています。ですからナイルが動くパソコンをいつもみつけて補充するようにしています。

奥田 現役で活躍! 勘定系ですか、ものづくり系ですか。

尾内 ものづくりです。製造管理や生産管理予定とか人の配置。そういう一連の仕事の流れを管理しています。使っているとわかるんですが、外注して組んでもらったシステムというのは、基本的に仕事の流れが発注時で固定されてますよね。

奥田 確かにそうですね。

尾内 でも仕事は常に改善を重ねていくものです。システムが固定されていることで改善がストップされるというのはものすごくデメリット。でもナイルにはそれがないんです。常に改善を加えていける。常に自分と対話して成長させていけるんです。

奥田 うまいことおっしゃいますねえ。

尾内 つくづく思うんですが、ファラオやナイルを使っていると自らの仕事の流れが実によくわかるんです。そして思う通りに自分で組むことができる。それでこんなすばらしいものはないと、おつきあいしている会社さんに薦めたりね。

奥田 エバンジェリストだ。いや、「ぱぴろじすと」でしたね(笑)。

尾内 そうこうしているうちにある会社から「尾内さん、組んでもらえませんか」と言われまして。驚きましたが先方も困っているし、結局引き受けたら1台また1台と増えていきまして……。

奥田 飛騨地区のSIerだ。

尾内 会社の定款にも入れたんです。ソフト開発やります、指導もしますと。

奥田 定款に加えられた!

尾内 そんなに儲からなかったんですがね(笑)。でも、皆様に喜んでいただけたことが、何よりもうれしかったですね。

奥田 なによりです。それにしても定款に入れられましたか。それはすごい! 尾内さんに今薦めたいことがありまして。

尾内 なんでしょうか。

奥田 ファラオやナイルをインターネット上のオープンソースにしたいんです。オープンにしていろんな人が成長させるようにできればと。野口さんに話したら賛成してくれて、ヴァル研究所の大田社長のところに行ったら「僕は島村を呼び戻したいからやります。協力します」と言っていただいて。

尾内 それはすばらしい! 楽しみです!

奥田 開発した島村さんはもういないけど、島村さんのお人柄を伝えながら。とくに子どもたちがプログラミングを勉強する時にそれが使えないかなと思っていまして。尾内さん、一緒にやりませんか?

尾内 やりたいです! お金持ってないとダメでしょうか。

奥田 お金じゃない、情熱です。

尾内 情熱だったら大丈夫です! お手伝いさせてください。これからのプログラマやエンジニアになる人たちに単なる技術的な面だけでなく、島村さんがもっていらしたやさしさや配慮など、精神的な部分を注入していってほしいと思います。

奥田 まさに同感です。ありがとうございます。これから野口さんや大田さんと一緒によろしくお願いいたします。
 

こぼれ話

 尾内治良さんとの思い出を語ろう。出会いは「ぱぴろじすと」の会合を取材した時のことだ。その会にはIT業界とは関係のない業種の経営者が集まっていた。みなさん業務用のアプリを使いこなしている。驚いたのは使いこなすだけではなく、他の企業のアプリの導入業務を請け負って、パソコンの普及活動に貢献されていることだ。みなさん、普通の経営者なのだ。そのなかの一人が尾内さんだった。
 

 尾内さんが他の方と違ったのは、同じ岐阜県人であること。さらに尾内さんの住む神岡は、10才の頃に転校していった友だちを訪ねて、岐阜市内の自宅から高山線に乗って人生で初めての長旅をした町だった。友だちの父親は炭鉱技師であった。尾内さんには友だちの面影を求めたのかもしれない。ある時、「カミオカンデを限定公開するのできませんか」との誘いを受けた。ヘルメットを被って坑道を歩き、想像を超えた大きさのカミオカンデを目の当たりにした。

 「昔栄えた神岡の町を見ませんか」。尾内さんの運転する車で廃墟と化した鉱山跡、かつて栄えた山間の集落跡を見た。100年単位の時間軸で衰退した町。未来しか見ていないIT業界にいると、つい先が見えているように感じる自分がいた。ある時は有頂天になった自分がいた。数年を経て後、そんな自分を恥ずかしく思う自分がいた。自分に戸惑いを感じた。その頃に飛騨の千光寺を紹介してもらった。座禅はこれをきっかけに始めた。

 尾内さんはいつも控え目で、そうした態度と言葉で、静かにみつめていてくれているように感じる。大切な仲間である。

Profile

尾内治良

(おうち はるよし)
 1940年岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)生まれ。73年和佐保加工設立。一貫して粉末冶金製品の精密加工を行う。父方のいとこ岡崎嘉春氏(元・富士通エフサス)の影響を受けて中学生の頃からコンピュータに興味をもつ。90年NEC98ユーザー時代にパソコン用データ処理ソフト「ファラオ」(ヴァル研究所)に出会い「ぱぴろじすと」メンバーに。趣味の写真はギャラリーでの写真展開催、写真集『奥飛騨源流』(共著・田家幸平 2003年岐阜新聞社)出版の腕前。14年富山市に発足したハイエンドデジタルカメラユーザーのための「富山電塾」にも携わり運営委員を務める。