教員になるつもりがなかった女の子が 母校のかじ取りを任せられるまでに――393人目(下)

萩原千加子
カリタス女子中学高等学校 校長
構成・文/小林茂樹
撮影/鈴木芳果
2026.3.25/神奈川県川崎市のカリタス女子中学高等学校にて
週刊BCN 2026年5月25日付 vol.2105掲載
【川崎・登戸発】誰もが、さまざまな偶然が重なることで人生を形成している。それは人や事物との出会いであることもあれば、内面的なひらめき、外的なアクシデントなど、あらゆる事象の集積ではないかと思う。萩原千加子さんはご自身の転機となる出来事が起こったときに「神が動いた」と感じ、人生を「神の意志に委ねる」とお話しになった。でも、それは受け身一方ではなく、自身も主体的に動いた結果のようにも思える。勝手な解釈かもしれないが、元気印の萩原さんに接すると余計にそう思えるのだ。
(本紙主幹・奥田芳恵)
落ち込む気持ちをプラスに変えようと 教員採用試験の勉強に没頭する
奥田 これまで萩原さんは、大学時代を除いてカリタス学園とともに歩まれていますが、いつ頃からカリタスの先生になろうと思われたのですか。
萩原 大学4年のとき、教育実習はカリタスでお世話になりましたが、カリタスの先生になりたいと思ったことは1%もありませんでした。というか、当初、教員になるつもりはなかったんです。
奥田 それはちょっと意外です。
萩原 ところが、大学3年の3月に失恋したんです。それでひどく落ち込んで、このままだとその人に出会えたことを否定するようになると思いました。それはとても残念なことだと感じ、その落ち込む気持ちをプラスに変えようと、一番手近にあった教員採用試験の勉強に飛びついたのです。大学受験など問題にならないくらい、朝早くから夜遅くまで一心不乱に勉強しましたね。
奥田 失恋の痛手を勉強するエネルギーに変えたのですね。
萩原 ところが、もともと教員志望の同級生たちは、3年の初めから教員採用試験対策の勉強をやってきています。だから、私の場合はスタートが遅いわけですね。でも猛勉強の甲斐あって、公立中学校の一次試験(筆記)に受かったんです。当時の教員採用試験は狭き門で、友だちは軒並み落ちてしまったのに、私は3カ月間の勉強で受かってしまった。周りから「ちかちゃん、すごいね」とか言われて調子に乗って「私、教員になるわ」と。
奥田 いよいよ、教員という仕事が現実味を帯びてきたのですね。
萩原 ところが、二次試験の面接で落ちてしまったんです。おそらく、公立に通ったことのない女子校育ちのふわふわした女の子に、校内暴力が頻発するような中学校の先生が務まるわけがないと思われたのかもしれません。
それで、浪人してもう一度トライしようと考え、玉川大学の通信教育課程で小学校の教員免許をとる準備もしていました。そんなとき、カリタスの理事長でいらしたリタ・デシャエンヌ先生から「社会科の非常勤講師で来ませんか」という電話をいただいたんです。このときは天にも昇る気持ちでしたね。
奥田 ついに、カリタスとの縁が再びつながったのですね。
萩原 高校1年の政治経済を担当する傍ら、小学校の教員免許を取得し、その翌年、小学校のクラス担任として正式に採用されました。当初、小学校教育にはあまり興味がなく、物足りないのではないかと思っていたのですが、小学生に対する教え方はある意味哲学的で、私は小学校教育にはまってしまったんです。
奥田 哲学的ですか……。
萩原 例えば「1+1=2」と教えるのは簡単ですが、「1」というのはどういう概念だろうとか、「+」というのはどういう意味だろうということを、子どもがどう理解するかと考えると、ただ知識を伝える中学や高校の教育よりも深いものがあると感じたんですね。
奥田 確かに哲学的であり、より根源的な感じがします。
萩原 それで結局、小学校のクラス担任を20年間続けました。ただ、40歳頃、次第に学園の仕事を任されるようになり、「自分はカリタスしか知らない」と、力不足を感じるようになりました。そんなとき、カリタス学園から上智大学への派遣制度が始まります。シスターの老齢化に伴い、キリスト教について学び、深い知見を身に付けた教員が求められるようになったからです。
奥田 再度、学びのタイミングが巡ってきたのですね。
萩原 そうですね。私は2003年4月、上智大学神学部に学士入学し、学部2年、大学院2年の都合4年間、キリスト教について学び、07年にカリタスに戻りました。
本当の祈りを知り 神の助けを感じる
奥田 何か派遣されるきっかけはあったのですか。萩原 カリタスの卒業生でカトリック信者ということもありますが、39歳のとき、シスターから修道院に呼ばれてアソシエの会という祈りの場に参加したことが大きいですね。
それまではいわば“なんちゃって信者”だった私が、初めて本当の祈りを感じた場で、聖堂での30分間があっという間に過ぎました。ここでの学びを、シスターが認めてくださったのだと思います。
奥田 カリタス小学校に戻られてからは教頭、そして校長という要職に就かれます。会社員だったら、とても順調な出世といえますね。
萩原 そうですね。子どもたちはよく伸びて、保護者も協力的だったため、校長としての仕事は順調でした。けれど、いまから10年前、中学高等学校への異動を告げられてしまったのです。このときはとてもショックでしたね。
奥田 小学校と中高では、そんなに違うものなのですか。
萩原 違いますね。小学校は教員にも子どもらしさに似た雰囲気があっておおらかですが、中高は男性の先生も多くシビアな雰囲気です。私は中高の副校長への異動を申し渡されたのですが、中高では最初の1年間の非常勤しか経験がないため、ここで管理職が務まるのかと、涙が出るくらい不安でした。
奥田 それでも異動を受け入れられたのは?
萩原 理解されにくいかもしれませんが「神が動いた」と感じたからです。小学校校長時代、自分のような者がそのポジションに就いて学校をダメにしてしまうのではないかという不安の中、心静かに祈りました。すると、児童や保護者の前で語るべき言葉が自然と湧き出てきて、自分で書いた原稿が自分の力をはるかに超えたものとなったのです。まさに、神が助けてくれたと感じました。ですから、神が中高へ行けと言うなら行くしかないと思うようになったのです。
奥田 実際に中高に移られて、いかがでしたか。
萩原 それが、思いがけず楽しかったんです。小学校にいた頃は、中高の先生はあまり生徒思いではないように感じていたのですが、実際に異動してみると、先生方はとても優秀で誠実であることが分かりました。一見冷たそうに見えたのは、公平性を重んじ、さまざまなバランスを考えた上で生徒に対応しているがゆえのことだったのです。だから、小学校のおおらかな空気を中高のきちんとした文化に組み入れることが、私に課せられた一つの役割だと思いました。
奥田 今後は、どのような未来を描いていらっしゃいますか。
萩原 答えになっていないかもしれませんが、これからも神の意志に委ねて生きていこうと思っています。求められるのであれば、その仕事をやっていこうと。
でも退職したら、ピースボートに乗って世界を巡ったり、イタリアの田舎で半年くらい暮らしたりしたいと思っています。私はワインとチーズが大好きで、イタリアには教会もたくさんありますから。
奥田 それはすてきですね。今日は、とてもいいお話を聞かせていただきました。これからもお元気でご活躍ください。
こぼれ話
授業中におしゃべりしっぱなしの女の子が校長に。ご自身でも想像されていなかった人生と語る萩原千加子さん。でも、その表情は充実感で溢れている。自分に寄せられた期待に懸命に応えようと、誠実に一つ一つ取り組んできた結果だろう。萩原さんはこれまで多く人と出会い、たくさんの愛を受けて歩んできたことが分かる。その始まりはご両親であり、そしてカナダからやって来た3人のシスターの影響がとても大きいと話された。たくさんの愛を受けてきたことは、萩原さんの誇りであり、パワーの源であり、宝物なのだと強く感じる。それは、誰かのためにという思考の基盤になっている。また、生徒の皆さんや卒業生の方々が、誰かの力になりたいと思いやりを持って行動できるということを、とても嬉しそうに語ってくださった。
1953年、カナダから日本の復興のために人生をかけて来てくださった3人のシスターがいたことは大変な驚きであったが、その精神が脈々と受け継がれていることもとても素晴らしく思う。そして、その継承者の一人が萩原さんであり、萩原さんの思いが伝播し受け継がれている。
小さい頃は先生によく叱られていたという萩原さんだが、校長先生になり、愛に溢れた生徒をたくさん世の中に送り出した。ここまでに至る努力は凄まじいものがあるのだとしても、校長先生らしくないエピソードには親しみが湧くし、ちょっと勇気を与えてくれた。
取材後は、お互いの子育てについて話が及び、エピソードを聞きながら笑いあった。「甘えてきているのね。そのままでいいのよ」。萩原さんはそう言って、甘えん坊のわが子の自立を心配する私を勇気付けてくださった。子育てに限らず会社組織でも、人が成長していく過程にどう関わったら良いのか、一つの正解はない。ただ、双方の納得感は大切だと、萩原さんの助言を聞きながら改めて思った。
取材日は、あいにく強めの雨が足元を濡らす。けれど、何とも言えない清々しさと充実感を胸に帰路についた。萩原さんのポジティブさから明日への活力を受け取った気がした。さあ、次は私が誰かにお裾分けする番だ。(奥田芳恵)

心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
Profile
萩原千加子
(はぎわら ちかこ)
1960年12月、東京都町田市出身。小学校から高校までカリタス学園で学び、学園創立のカナダ人シスターたちから直接教えを受ける。83年、中央大学文学部卒業後、カリタス女子中学高等学校で社会科非常勤講師。84年からカリタス小学校で学級担任として勤務。2003年、学園からの派遣で上智大学神学部に編入学し、05年に卒業。07年、同大大学院修了。08年、カリタス小学校教頭。12年、同校校長。16年、カリタス女子中学高等学校副校長、カリタス宗教センター長(18年まで)。19年、同校校長に就任。






