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餅屋の21代目が挑む「伊勢」発、世界最高のビール造り――第329回(上)

千人回峰(対談連載)

2023/06/02 08:05

鈴木成宗

鈴木成宗

伊勢角屋麦酒(有限会社二軒茶屋餅角屋本店) 代表取締役社長

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直
2023.2.22 /伊勢角屋麦酒本社にて

週刊BCN 2023年6月5日付 vol.1971掲載

【伊勢市発】伊勢に「二軒茶屋餅」という老舗の餅屋がある。創業は天正3年。長篠の戦いがあった頃だ。鈴木成宗さんはその21代目。幼い頃から無類の微生物好きで、東北大学では海洋プランクトンの研究に没頭した。世界と競って探究を重ねる道に後ろ髪を引かれつつも、卒業後は伊勢に戻り家業を継承。だが、凪いだ海のようなおだやかな毎日に飽き足らず、クラフトビール造りに乗り出した。鈴木さんの険しく、遠く、だがとてつもなく面白い道が開けた。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2023.2.22 /伊勢角屋麦酒本社にて

餅作りから一転
ビール造りで世界一を目指す

奥田 のっけから自分の話で恐縮ですが、餅街道と呼ばれるほど餅の種類が多い伊勢で、一番好きなのが鈴木さんのご実家の「二軒茶屋餅」なんです。

鈴木 そうだったんですか!ありがとうございます。しまった。今日お持ちすればよかったですね…。

奥田 いやいや。後で本店に寄らせていただきますから(笑)。そんなわけで、大好きな餅屋さんのご子息がなぜビールを造られているのか興味津々です。

鈴木さんは二軒茶屋餅の何代目にあたるんですか。

鈴木 21代目です。

奥田 お生まれは伊勢ですか。

鈴木 はい。小中学校を地元で過ごして名古屋の高校に行き、二浪して東北大学に行きました。

奥田 どちらの学部に?

鈴木 農学部の食糧化学科です。4年次には食品衛生学講座という研究室に進み、高名な安元健教授のもとで英語の論文と格闘しながら、世界を相手に海洋性プランクトンの研究をさせてもらっていました。日付が変わるまで研究室にいて、いったん帰宅してちょっと寝てまたすぐ戻るという毎日でしたね。

奥田 楽しそうに語られますねえ。

鈴木 もう本当に楽しかったです。実は私、子どもの頃から微生物が大好きで、初めて親にねだったのが顕微鏡でした。

奥田 筋金入りの微生物屋なんですね。そのまま学究の世界に残るという道はなかったのですか。

鈴木 いや、行きたかったです。でも老舗の跡取りですし、周囲も自分も家に帰るものだと…。とはいえ、相当後ろ髪を引かれながら実家に戻った記憶があります。

奥田 それで戻られて餅屋を継がれたはずが、ビールの製造に(笑)。

鈴木 最初はおとなしく餅屋をしていたんです。でも、朝起きて餅を作って売って寝ることのすべてが、半径20mの範囲で終わってしまう…。もっと自分の知らない世界を見たい、可能性に挑戦したい。そして微生物と遊びたいと思うようになってきて。

奥田 そこに、微生物が(笑)。

鈴木 そんな時、当時(1994年)の細川内閣が酒税法を改正し、小規模の醸造所でもビールが生産できるようになったんです。ビールの酵母は微生物。これは造らない手はないと。

奥田 好機到来ですね。

鈴木 そうなんです。父が背中を押してくれたこともあって、97年に「伊勢角屋麦酒(いせかどやビール)」という名前でビール造りを始めました。私が29歳の時でした。

奥田 周囲の反応はいかがでしたか。

鈴木 ちょうど第1次クラフトビールブームで、メディアの取材が殺到しました。そんな中「伊勢のビールが誕生」という記事が出てしまったんです。

奥田 「伊勢」の冠がついた。

鈴木 はい。「鈴木」とか「伊勢角屋」ではなく、「伊勢」のビール。当時は“地ビール”と呼ばれていたので、そうなってしまったんですが、「これは絶対に、いい加減なものは造れない」とすごく緊張しました。

奥田 “伊勢”という名に背筋が伸びたと。

鈴木 はい。その時、どうせなら世界一を目指そうと、社員に「5年以内に世界大会で優勝する」と宣言しました。

奥田 いきなり世界一ですか。そのスケールの大きさはどこから来ているんでしょう。

鈴木 大学時代に世界と競い合いながら研究をしていたので、世界というものが遠い距離ではなかったんだと思います。あとはやはり「伊勢のビール」と言われる以上、世界最高のものを造ろうという思いが強くありました。
 

8000リットルを廃棄した
新工場でのビール造り

奥田 世界一を掲げてスタートして、その後はどういう経緯をたどられたのでしょう。

鈴木 華々しい取材から始まったものの、創業から6年くらいは鳴かず飛ばずでした。2003年に世界4大会ビアコンテストの一つで金賞を受賞したんですが、それでもまったく変わらなくて…。ようやく何かが間違っていると気がついて、夢中で経営の勉強を始めました。先の見えない真っ暗なトンネルを延々と歩いている感じでした。

奥田 暗闇に光明が射し始めたのは?

鈴木 04年頃です。海外への輸出も始めて少しずつ伸び始めて。13年の伊勢神宮のご遷宮でどんと売れ、その後注文が増えて旧工場では生産が追いつかなくなりました。

奥田 そんなに売れたんですか。

鈴木 ネットで売り出しを告知すると、2000リットルのビールが12~13分で完売してしまうんです。16年あたりからあらゆる大会で優勝していたこともあり、コアなファンがついてくれたことと、生産量が限られていたため希少価値がついてしまって。

奥田 じゃあ、そのままでもよかったのでは?

鈴木 いや、「日本のビールをもっと面白くしたい」という思いも強く、18年に新工場をスタートしました。でも、設備や装置がまったく変わったことで思うようなものができずに、4000リットルのビールを2回廃棄したこともありました。

奥田 すごい量ですけど、どうやって廃棄するんですか。

鈴木 まずは税務署の廃棄許可がいります。廃棄分は酒税の免税を受けることができるので、原則的には本当に廃棄したことを見届けていただく必要があるのです。それで税務署の方の立ち会いのもと、大量の水と一緒に排水します。もちろん私も立ち会いましたが、流れていくビールを見るのは本当につらかったです。

奥田 流れたビールを価格換算すると、どのくらいになるんでしょう。

鈴木 売上高にしたら1000万円くらいでしょうか。

奥田 廃棄を告げたことに対する社員の方の反応は?

鈴木 反対する社員もいました。「これでも他社のビールよりよくできています」と。私、それを聞いて頭にきまして。「それは違う。他社と比べてどうこうではなく、自分たちが目指しているものじゃないから、世に出さないんだ」と。

奥田 う~む。でも1000万円が流れるわけですよね。その判断にはいささかの曇りもなしでしたか。

鈴木 曇りはなかったですけど、身を切られるつらさはありました。だって、巨額を投資して新工場を立ち上げたばかりです。1円でも売り上げが欲しかったし、社員たちが手を抜いていたわけでは決してなかった。でも、新工場から発売されるビールを心待ちにしてくださっているお客様には絶対に出せません。

奥田 なるほど…。

鈴木 あと、うちの会社は割と自由で、研究開発には金髪もいればモヒカンもいる。それはいいんです。いろいろな個性を大切にしたいので。でもだからこそ、お客様に対して世の中に対して、最大限真摯に向き合わなければいけない。妥協をしてはいけない。その姿勢があっての自由だし、個性ですから。

奥田 鈴木さんのそういう価値観は、伊勢だからこそ培われたと考えられますか?

鈴木 (しばし黙考)…あるかもしれません。やはり「伊勢の」と言われることに対するプライドやうれしさ、責任感はありますね。(つづく)
 

剥げてしまった金賞メダル

 2017年、世界で最も歴史ある国際ビール審査会The International Brewing Awards(IBA)で、「伊勢角屋麦酒」が初めて金賞を受賞した際のメダル。鈴木さんも社員も、うれしくてうれしくて触り過ぎて金色が剥げて変色してしまった。同審査会においては19年、21年と連続して金賞を受賞。21年には金賞受賞の上位10%に授与される「トロフィーアワード」も獲得した。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第329回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

鈴木成宗

(すずき なりひろ)
 1967年、伊勢市生まれ。天正3(1575)年創業の「二軒茶屋餅角屋本店」21代目。東北大学農学部食糧化学科卒業後、94年、伊勢に戻り家業を継承。97年より「伊勢角屋麦酒」として、地ビール製造販売とレストラン業に着手。自身の給料ゼロ円など暗黒時代を経た後、「ビール界のオスカー」といわれるイギリスのクラフト麦酒国際大会(IBA)で3大会連続の金賞受賞をはじめ、数々のコンテストで受賞。2017年3月、野生酵母の研究で博士号取得。東北大学時代は防具空手道部で主将を務める。著書に『発酵野郎!』(新潮社刊)。