一発のチャレンジに懸けるよりも 地図に赤線を引いていくことを大切にしたい――第261回(下)

千人回峰(対談連載)

2020/07/03 08:00

岩崎 元郎

岩崎 元郎

登山家

構成・文/小林茂樹
撮影/松嶋優子

週刊BCN 2020年7月6日付 vol.1832掲載

【東京都発】本文でもふれているが、いま岩崎さんは、年配者でも無理なく登れる安全でいい山を探しているそうだ。昨年見つけたおすすめの山は、埼玉県飯能市にある標高246メートルの龍涯山(りゅうがいさん)だ。ところで「無理なく安全」の意味は誰にでも容易に理解できるが、「いい山」の条件は何だろうか。岩崎さんは、それを「品がある」と表現する。もちろん感じ方は人それぞれだから、品があるかどうかは実際に行かないとわからない。「まずは行ってみよう」という、“岩崎先生”のポリシーに見事に合致した。(本紙主幹・奥田喜久男)

2020.4.1/東京都豊島区の無名山塾事務所にて

「山を続けていれば新しい人生が拓けるよ」という言葉を糧に

奥田 昭和山岳会に入って、最初はついていくだけで大変だったということですが、そこで6年間、登山の基本を学ばれました。その後も“山屋”としてキャリアを積むわけですが、その道を進むことに迷いはなかったのですか。

岩崎 私の父は53歳と早くに亡くなったのですが、その後も、父の友人だったNさんという方とのおつき合いが家族ぐるみで続きました。私が24、5歳の頃、Nさんに「そろそろ山をやめて他のことをしようかと考えている」と話したことがありました。ほぼ同世代に長谷川恒男さんや植村直己さんなどがいて、彼らにはとてもかなわないと考えていたからです。ところがNさんは「モトくん、山を続けていれば新しい人生が拓けるよ」と言ってくださったんです。

奥田 それはすごい。岩崎さんの将来を見通したかのようですね。

岩崎 それで山を続けて現在に至るわけですが、昭和山岳会を卒業した後、1970年に蒼山会同人を設立しました。

奥田 そこでヒマラヤに挑むわけですね。

岩崎 そうです。81年にネパールのニルギリ南峰に挑むのですが、登頂はなりませんでした。昭和山岳会にいた時代から、ヒマラヤ未踏峰にアタックすることが登山家の目標になっており、海外の山に登らないと話にならないという雰囲気がありましたが、私にとってあまり未練はありませんでした。むしろ、じっくりといいコースを選ぶことのできる日本の山のほうがいいですね。

奥田 ヒマラヤから戻って、この年の秋に無名山塾を開かれますが、そこにはどんな意図があったのでしょうか。

岩崎 かつてヒマラヤの未踏峰に挑もうとする場合、包囲法といって、大人数の隊員が参加し、キャンプを1か所ずつ段階的に設営し、ポーターに荷物を運んでもらう大がかりな形をとるしか方法はありませんでした。ところが、用具、衣料、食料などの軽量化によって、アルパインスタイルというポーターなしの少人数で登る方法が普及すると、後進を育成する必要があまりなくなってしまったのです。その結果、登山学校としての機能がなくなり、若い登山家が育たなくなる。でも、育成の場は必要だろうと考え、無名山塾を開いたというわけです。

奥田 私も塾生のひとりでしたが、無名山塾という名前はかっこいいですよね。命名の由来はあるのですか。

岩崎 父親が山口県の出身のため、吉田松陰の「松下村塾」に憧れていました。それに俳優を養成する「無名塾」の名がひっかかって「無名山塾」としたら、とても語呂がよかったんです。

「名山」にこだわらず自分の好きな山を見つけよう

奥田 岩崎さんの名が世間に大きく広まったのが、95年から99年にかけて放送された、NHK教育テレビの「中高年のための登山学」でした。

岩崎 そうですね。最初はみなみらんぼうさんとの凸凹コンビ、その後は山内賢さんとのコンビでお伝えしたのですが爆発的な反響がありました。

奥田 当時は、山で岩崎さんを見つけたご婦人方が「キャー、岩崎先生!」と駆け寄るほどの人気でした。いまでもその名残はありますか。

岩崎 ごくたまにですが、街で声をかけられることはあります。このあいだ、マスクをしていたのに私だと気づいた方がいたことには驚きました。

奥田 ところで、2004年に「新日本百名山」を発表されましたが、これにはどんな狙いが込められているのですか。

岩崎 中高年でも登りやすいという観点を加味して選んだもので、深田久弥先生の「日本百名山」と張り合うものではありません。どうしても、百名山というとベスト100的なとらえ方をされてしまうのですが、この新日本百名山には、自分の好きな山を見つけて登ってみましょうよというメッセージを込めたつもりです。

奥田 それを参考に、自分の好きな山を探すと。

岩崎 そうですね。日本百名山の存在があまりに大きいこともあるのですが、「名山」にこだわる傾向が強く、その結果、名山に何が何でも登ろうとして遭難する中高年登山者が増加してしまったのです。

奥田 なるほど。山の名前やレッテルに左右されて登ることはよろしくないと。

岩崎 マスコミの影響もあるのでしょうが、百名山ばかりをもてはやしたり、トレイルランニングのように、登山を競争にしてしまい順位をつけることは一見わかりやすいのですが、私は反対ですね。それよりも、自分の好きな山を探し、人に連れて行ってもらうのではなく自分で計画を立てて行くほうが、山そのものを自分自身で感じられるでしょう。

奥田 やはり、岩崎さんは山屋の中でも体育会系文化人ですね。もちろん、若く尖っている時代と成熟してからでは異なるでしょうが、どんな山屋を目指していたのですか。

岩崎 山に挑戦するということよりも、山に楽しみを見いだすという気持ちが大きかったと思います。一発のチャレンジよりも、赤線を引くことに重きを置く感じですね。

奥田 赤線を引くというのを、わかりやすく説明すると?

岩崎 踏破したルートを、地図に赤鉛筆でマークしていくことです。同じ山でも複数の登山ルートがありますから、山に行くたびに赤い線が増えていくわけです。

   まだすべてつながってはいませんが、北アルプスの北端、日本海沿いの新潟・親不知から中央アルプス、南アルプスを経て、静岡・御前崎まで赤線が引けたら、日本海で汲んだ水を太平洋に注げる、というような楽しい想像も働きます。登山においてこの赤線を引くということは、山や人とのかかわりを象徴していると思いますね。

奥田 ところで、75歳の誕生日を迎えられたとのことですが、今後、山とはどう向き合われるのでしょうか。

岩崎 いよいよ足が上がらなくなってきましたから、無理なく登れる安全でいい山を探したいですね。80歳前後の方々を山に案内することもあり、ケガなどされたら大変なことになりますから。

奥田 80歳前後ですか。「中高年登山」から「高齢者登山」に看板を掛け替えないと……。

岩崎 うーん、高齢者ですか。そのネーミングはうーん、考えどころですね(笑)。

こぼれ話

 「近くに川あり、山は低山、岩場は男岩、女岩あり」。日和田山で岩に親しむ訓練を1994年5月8日に受けた。これが無名山塾での初日だ。師匠は、親しみを抱く登山家・岩崎元郎先生。以来、距離を取りつつも尊敬の念を抱き続けている。この会は山に親しみ、山のリーダーを育成することを得意としている。自然を相手にする山登りは幼稚園児から老人まで、歩くことができれば、誰もが山の素晴らしさを体感できる。

 その反面、自然は突然難易度を上げることがある。その場に遭遇した時に戸惑わないような技術力、体力、人間力を岩崎先生は伝えようとしておられる。これが「人は心、山は哲」という先生ならではの言葉となった。何人かで“ある山”に初めて入ったとする。登り続けるうちに、人によって“その山”の理解度が異なってくる。その状態を「山を知る」という。知る度合いは経験と勘の力で差が開く。山に入ると、時折先生が動物に思える瞬間がある。とっさの判断に接すると、小柄な先生が頼もしく映る。

 これまでに三度叱られたことがある。その一つを披露しよう。12人の仲間と自炊の山行をした時のことだ。私が食糧の買い出し担当になった。ラーメンは必需品だ。スーパーに行ってラーメンコーナーを探す。カップタイプはダメ。袋入りの棚には、いく種類もある。さて困ったぞ。味噌ラーメンは私の好みだが、人によって好みが異なる。さてどれを買おうかな。そうだ12種類全部のラーメンを買おう。これでみんなの好みに応えることができる、と自信を持って担ぎ上げ、無事食事を終えた。下山して先生は私に「なぜ12種類を用意したのか」と尋ねる。理由を応えると先生は「こうした場合は1種類にすること」である。???。極意を伝授された気がして、いまだに師匠である。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第261回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

岩崎 元郎

(いわさき もとお)
 1945年、東京・大井町生まれ。東京理科大学中退。昭和山岳会を経て、70年、蒼山会同人を創立。81年、ネパールヒマラヤ・ニルギリ南峰登山隊に隊長として参加。帰国後の同年11月、無名山塾創立。自立した登山者の育成に努める。95年、NHK教育テレビ「中高年のための登山学」に出演。みなみらんぼうさんとの凸凹コンビで人気を博す。『岩崎元郎の地球を遠足』『沢登りの本』『日本登山大系』『登山不適格者』『ぼくの新日本百名山』など、編著書多数。無名山塾顧問、日本登山インストラクターズ協会理事長。

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