私が携わっている「U‐16プロコン」には、プログラミング界の大谷翔平を発掘したいという想いがある。でも、阿部さんの考え方はちょっと違う。曰く「みんなが甲子園やメジャーリーグを目指さなくてもいいのではないか」と。プログラミングが得意な子以外にも居場所はあるべきで、すべての子にそれぞれフィットする居場所は必ずあると。おそらく、多くの子供たちと触れあうなかで実感し、確信した想いなのだろう。子どもたちに向ける阿部さんのまなざしは、あくまでやさしい。(本紙主幹・奥田喜久男)

就職先選びの基準はSmalltalkを続けられること

奥田 MacintoshやSmalltalkとの出会いが阿部さんに大きな衝撃を与えたということですが、それはご自身にどんな変化をもたらしたのでしょうか。

阿部 大学の卒業研究のテーマとしてSmalltalkを取り上げ、アニメーションする動的なアイコンを実際にSmalltalk/Vというパソコン用の環境でつくったり、3Dインタフェースの研究をしたりしました。そして、就職ということになるのですが、この時点でSmalltalkをやることが私の目的になっており、そうした意味では広島に就職先はありませんでした。大学時代に研究をしていたとはいえ、使っていたパソコンの性能も低く、環境もサブセットだったので本物とはいえません。だからこそ、Smalltalkを使っている企業で本格的に携わりたいと考えたのですが、実際にやっていたのは国内に数社で、そのうちの一社、富士ゼロックス情報システムだけを受けたんです。

奥田 なぜ、その会社を選んだのですか。

阿部 国内でSmalltalkに関するトップの技術をもつ人がいるに違いないと思ったからです。実際、それは当たりでした。ただ、若かったこともあり、絶対受かるとうぬぼれていたのですが、後で人事の人に聞いたらボーダーラインだったと知らされました(笑)。

奥田 入社してからは?

阿部 社会人としていろいろ大変なことがありましたが、とても面白かったですね。大学では学べない最先端の研究開発をしており、たとえば、パロアルト研究所のレポートが毎週回ってくるんですよ。仕事はCASEツール(コンピューター支援ソフトウェア開発環境)の研究開発などでしたが、バブル期だったせいか、短期的な利益を求められることはありませんでした。

奥田 とてもぜいたくな環境で研究することができたのですね。

阿部 はい。非常に恵まれていたと思います。

子どもたちの能力を低く見積もってはいけない

奥田 アラン・ケイとの出会いについてお話しいただけますか。

阿部 アラン・ケイが2001年にC&C賞を受賞し、記念講演のため来日した際、日本でSmalltalkをやっている人に会いたいということで、このとき他の開発者2人と会いに行ったのが初めての出会いです。

奥田 実際にお会いになってどうでしたか。

阿部 彼の講演を聴いたとき、また、バットで殴られるような衝撃を感じました。

奥田 2回目の衝撃ですね。それはどうして?

阿部 彼は、講演で教育の話しかしなかったんです。自分がやってきた研究は、すべて子どもたちのためのものであると。なぜなら、世界をよくするには教育しかないからです。実はパロアルト研究所での研究は、子どものためのコンピューターをつくることから始まっているのです。私たちは「これは便利だ」と言って、すぐに彼らの技術に飛びつきますが、それは子どもたちのための技術のおこぼれにすぎないことを知らされたわけです。

奥田 商品化することなど考えないと……。

阿部 そうですね。それで、2000年からIPA(情報処理推進機構)の未踏ソフトウェア創造事業が始まるのですが、京都大学の上林弥彦先生がそのプロジェクトマネジャーとしてアラン・ケイを招聘するのです。私はこのとき、ここで手を挙げない選択肢はないと思い、彼の下で、02年、03年の2期、そのプロジェクトに参加しました。

奥田 ところで阿部さんは、子どもたちや学校の先生向けの講習を数多くされていますが、具体的に何を教えているのですか。

阿部 実は、何も教えてはいないんです。

奥田 ……?

阿部 教えないで、学ぶお手伝いをするということです。環境づくりはしてあげるが、実際に学ぶのは子ども自身というスタンスですね。

 学外でやるワークショップでは、どんなものにでもなる素材、たとえば、レゴ、スクラッチ(ビジュアルプログラミング環境)、電子部品、木切れ、紙きれなどを用意しますが、何をつくりなさいといった目標設定はしません。道具の使い方は教えますが、その後はすべて自由にやってもらいます。私は子どもたちの間を回って、「これいいね」とか「ここをこうしたらもっと面白くなるよ」とか声掛けをするくらいです。

 一般に、子どもたちがもっている能力を大人は低く見積もりすぎです。大人がお膳立てしてあげなければできないというのは間違いで、自分が面白ければ言われなくてもやるものです。

奥田 しかし、一般的な学校教育の中でそれを実現するのは難しいのではないでしょうか。

阿部 学校教育制度は産業革命とともにできたもので、いわば均質な能力をもつ労働者を育成する意図が込められていたわけです。だから先生方は、このワークショップのように答えが一つに定まらないものは、学びではなく遊びではないかと感じてしまいます。

 でも、2020年から小学校でのプログラミング教育が始まり、新学習指導要領には「主体的・対話的で深い学び」を根底に置くとあります。「主体的」とは、教室での主役は先生ではなく子どもであるということ。「対話的」とは、子どもと先生、子ども同士、子どもとコンピューターがそれぞれ一方的に話すのではなく互いに対話を行うということ。「深い学び」が達成された状態とは、教科書に載っている答えを暗記したり一つの定まった答えにたどり着く道筋が言えることではなく、答えが何かわからない状態で最適なソリューションを提示できたり、問題自体が明確でないものに対して問いを発することができることです。形だけでなく、本当にこの三つが達成できれば、世の中は変わると思います。

奥田 阿部さんのように明確な定義づけをしている先生は少ないと思いますが、それをもっと広めたほうがいいのではありませんか。

阿部 もちろん、全国各地を回ってお伝えしているのですが、その一方で先生方の業務があまりに多く余裕がないことも目の当たりにしています。本当は破壊的なイノベーションを起こすべきだと思いますが、日々、子どもたちと接している先生方の意識を変えることなしにはそれを成し遂げられないというのも事実ですね。

奥田 阿部さんはプログラミングの先生ではあるけれど、指導方法についての教育者でもあるわけですね。

阿部 それが前提としてなければ、プログラミング教育には進めないでしょうね。

奥田 なるほど、確かにそうですね。次代を担う子どもたちのためにも、これからもますますのご活躍を期待しています。

こぼれ話

 JR東日本横浜線・淵野辺駅下車。青山学院大学相模原キャンパスまでの道のりは、初めてのためか遠く感じた。日頃はBCN編集部のある内神田辺りをウロウロしている身には、この地も遠く感じられた。でもワクワク気分だ。訪ねたのは昨年の12月25日。その10日後には箱根駅伝で青学が優勝した。キャンパスの入口には守衛室があった。訪問の要件を告げて「ここは駅伝チームがいる所ですか」と聞いた。

 阿部和広先生の待つ研究室棟まで整然とした風景の中を歩く。雰囲気のあるチャペルを見て、ミッションスクールであることを思い出す。研究室に入る。部屋の中はこれから書籍や資料が積み重なっていくのだろう。今はまだ余裕がある。窓からは相模原の光景が広がる。都心青山のイメージが濃い青山学院大学も、この地では個性が薄い。ところが、箱根駅伝を制しての喜びの優勝パレードは、ご当地だ。淵野辺の青学は駅伝のメッカである。校風と伝統はこうしたドラマの積み重ねから醸成されるのだ。

 アラン・ケイを知らない人はいないだろう。キーワードはパロアルト研究所、「ダイナブック構想」。スティーブ・ジョブズのルーツであり、上位概念を世に生み出したパソコンの父である。パソコンの黎明期を専門紙の取材者として過ごした私は、アラン・ケイの隠れファンなのである。阿部先生は彼と同僚というか、一緒に働く中で影響を受けておられる研究者だ。「教えるとは教えないこと」という言葉の中にアラン・ケイの香りがする。帰り際に、しかめっ面をしていない守衛さんに「駅伝選手はここですか」と尋ねた。「はい、この守衛室の脇の細い道を走ってますよ」。記念にツーショット写真を撮った。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第251回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。