プログラミングの楽しさは、 自分が使っているものを 自分でつくれること――第160回(下)

千人回峰(対談連載)

2016/05/26 00:00

中馬 慎之祐

iPhoneアプリ「allergy」開発者 成蹊中学校1年 中馬慎之祐

構成・文/浅井美江
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2016年05月23日号 vol.1629掲載

 中馬慎之祐さんが受賞された「BCN ITジュニア賞」会場で、心底驚愕した。中馬さんの隣に、BCNの大恩人ともいえる大塚孝一さんが静かに微笑んでいらしたからだ。なんと中馬さんは大塚さんのお孫さんだった。思わず目元が熱くなるのを感じた。IT業界に携わって30有余年、ここにDNAの継承をみた。今回はぜひにと、大塚さんにもいらしていただいた。最年少記録での登場とともに、おじい様とお孫さんとの鼎談という特別のうれしい構成が実現した。(本紙主幹・奥田喜久男)

2016.4.1/BCN22世紀アカデミールームにて
 
心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第160回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

日本のパソコン流通の礎を築いたじいじ

奥田 おじいちゃんがどんなところで働いていらっしゃったか、知ってますか。どんな仕事されていたとか。

中馬 えっ、知らない……

奥田 そうなの? じゃあ、NECのパソコンって知ってる?

中馬 あ、わかります。

奥田 おじいちゃんは、一番初めにNECのパソコン事業を手がけて、売る仕組みを築いた人なんだよ。そのほぼ一番偉い人。

中馬 やばい人じゃないですか!

奥田 そうだよ、やばいだろう(笑)

中馬 じいじ、すごいなあ……。

奥田 パソコンの話とか一切しないんですか。

大塚 しないですね。

奥田 でも昔話くらい、ちょっと言うとか。

大塚 昔話はしないです。近所に住んでいるので、よく家に来るんだけど、まあ横で見ててね。プログラミングが好きになったのなら、そういうことをやれる環境だけ提供して、じいさんは静かに見てればいいんじゃないかなと。後はご飯食べに行ったり、遊びに行ったりするくらいですかね。

奥田 そうですか。昔話になってしまうけれど、商品流通網を取材する週刊BCNは大塚さんから多くのことを得ています。本当にお世話になりました。

大塚 いえいえ。まあ、私がやったのはパソコンが「マイコン」と呼ばれて、世の中に出て行こうとしている時で、販売チャネルがなかったので、関本(忠弘・NEC元社長)時代にどうつくるかということが問題でした。それで二十何日間だったか、米国中を見てまわりました。

奥田 それは何年のことですか。

大塚 1978年、昭和53年です。その頃、米国ではスモールビジネスコンピュータ、パーソナルコンピュータの店頭販売が拡大していきました。「ラジオシャック」(米国を本社とする家電販売チェーン店)で、9ドルいくらのソフトをつけて店頭で売ってるけど、お前らどうするんだって、上から言われまして。

奥田 それで見に行かれたんですか。

大塚 そうです。珍しく若手主任3人を出してくれて。それで帰ってきてマイコンショップの原型をつくったんです。そして81年に大阪に行きました。最初はオフコンのセールスマネージャだったんですが、半年ほどして、パソコンもやれと言われまして。

奥田 大阪には81年から何年まで?

大塚 5年間です。

奥田 じゃあ、NECが8000から8800、9800と16ビットをやっていく地盤を築く、一番初めを手がけられたんですね。

大塚 当時はね、大阪ではシャープさんのシェアが強くてね。全体はこっち(NEC)が上だったんだけど、「お前、何やってんだ!」ってよく言われました。

奥田 その後は。

大塚 東京に帰ってきて、10年間チャネルの育成と拡大をやって、また西日本駐在役員で大阪に行きました。その後、東京に戻って2002年に縁あってNJC(日本事務器)に入りました。

奥田 東京、大阪、東京、西日本、で東京……。NECの大シェアを、大チャネルを築いた中核ですねえ。そういう仕事をされていて、孫がプログラミングで優勝するなんていうのは、どんな気持ちで受け止められるんでしょうか。

大塚 まあ、好きになってよかったね、という感じではいたんですが、優勝するとまでは思ってなかった。でも、「ITジュニア賞」をいただけることを慎之祐から聞いて、これは奥田さんに会えるなと、授賞式について行きました(笑)。
 

プログラミングとサバゲー。文武両道を淡々と

奥田 懇親会場に入って、大塚さんがトコトコ近づいてこられて、「奥田さん、お久しぶり、大塚です。覚えておられますか」と声をかけられ、「彼は私の孫なんです」とおっしゃった時には、とても驚き、本当に感動しました。人が循環したんですよね。

大塚 いえいえ。光栄です。

奥田 いや、本当にありがとうございます。中馬さん、あなたのおかげやね。本当にありがとう。

中馬 はい。

奥田 さて、あなたに話をうかがいますが、プログラミングスクールって、かなり高度なことも教えてくれるの?

中馬 そうですね。最終的にアプリのリリースまで教えてくれたりとか。

奥田 そうすると、もう趣味ではなくなるのかな。

中馬 いや、趣味ですね。習いごとだから趣味って感じです。勉強じゃないから。

──お母さま談「ピアノみたいなものでしょうか。ピアニストにしたいわけじゃないけど、親はピアノを習わせたりしますよね。プロを目指すというよりは、そこから得られるものがあって、本人が好きっていうものがあれば、という感覚でしょうか」

奥田 ピアノですか、なるほど。

中馬 プログラミングは勉強じゃなくて趣味。自分で書いたことがうまく動いてくれるとすごくうれしくて、どんどん入り込んでいく。で、たまにエラーがてくると、「わあ!?」っとなっておもしろい。

奥田 エラーもおもしろいんですね。

中馬 それと、DSにはまっていた時、ゲームが好きだったから、いつもやってるゲームが、自分でつくれるっていうのはすごいなって思った。

奥田 自己完結するからね。わかるわかる。

中馬 それで楽しくなって、そこからiPhoneにきた感じです。

奥田 ほんとに「ものづくり」だねえ。それはわかるなあ。ところで、去年から今年にかけてたくさん賞を取ったけど、今後もプロミング大会には応募していくの?

中馬 今年のU-22も狙っていきます。

奥田 当分続ける?

中馬 そうですね。今のところは、できればずっと続けていきたいなと。

奥田 じゃあ、ずっと遠い先というのは考えたことありますか。

中馬 全然ないです。プログラミングできれば、なんでもできるじゃないですか……。でも、宇宙に行ってみたいと思います。

奥田 それは飛行士として?

中馬 飛行士としてでもいいんですけど、たぶん僕が大人になったら、何かしらもっと手軽に行ける手段があるんじゃないかと思う。

奥田 切符買って、ちゃちゃっと行っちゃうような?

中馬 はい。

奥田 けっこう、いまを楽しんでいる感じだね。

中馬 そうですね。あまり先のことは……。

奥田 プログラミング以外に、ほかに趣味ってあるの?

中馬 サバゲーが好きです。サバイバルゲーム。お父さんとかと一緒に家族で行きます。それから、音楽も好きだし、水泳部なんで泳ぐのも好き。

奥田 うむ。質実剛健とか文武両道とかいう古い言葉があるんだけど、あなたはそんな感じだね。身体も動かし、頭も動かし。

中馬 そうですね。

奥田 このまま、淡々といまを楽しみながら……。

中馬 はい。普通の生活をしていきます。

奥田 今日は本当にありがとう。大塚さんもお母さんも、本当にありがとうございました。

こぼれ話

 予想外のことが起きた。そんな時は誰もが驚く。そのうえ思いがけないことが起きた。この時は感動だ。私たちは毎年1月に「BCNランキング」の年間販売トップメーカーの皆さんを招いて「BCN AWARD」を開催している。今年で17年になる。その会場にプログラミンングが好きでそれぞれのコンテストを勝ち抜いた子どもたちを招いて、大人たちと同様の表彰式を開いている。大人と子どもの共演である。

 子どもたちは、大人がもらう同じ形で少し小振りのトロフィーを手にする。その時にみせる子どもたちの輝いた笑顔は格別だ。このITジュニアの表彰式は今年で11年目になる

 昨年、BCN AWARDの実行委員会で誰かが話していた。「小学6年生がくるみたいだよ」「ちゅうまん(中馬)君というらしい」「へえ!小学生」。そんな予想外の感慨を抱いて1月29日、BCN AWARDの表彰式に臨んだ。やがて中馬君がトロフィーをうける番がきた。250名の会場はどよめいた。

 懇親会に入る。この時点で私の緊張の糸はほとんど切れる。向こうから人が近づいてくる。どこかでみたような記憶がある。「奥田さん、大塚です」そこから感動の極みのシーンに入る。「中馬は私の孫です」と紹介される。みれば顔立ち骨格ともにソックリだ。最初の驚きは中馬君が大塚さんの孫であったこと。次の驚きは、パソコンという市場がなかった時代にゼロから1の市場を創った人の遺伝子が次につながったこと。あの日から4か月が過ぎている。次にはぜひ大人のトロフィーを取りに来て欲しいな。

Profile

中馬 慎之祐

2003年、ロンドン生まれ。iPhoneアプリ「allergy」で、16年「BCNITジュニア賞」受賞。同アプリは、15年に開催されたUー22プログラミングコンテストで「経済産業大臣賞」を受賞。また、同年開催された「アプリ甲子園2015」でも、唯一の小学生ファイナリストとして勝ち残り、優勝。企業賞でも「セガゲームス賞」を受賞している。今春、成蹊小学校を卒業し、成蹊中学校に入学。趣味は、サバイバルゲームと水泳。音楽を聴くこと。 大塚孝一   1941年、東京生まれ。中馬慎之祐さんの祖父。65年、慶應義塾大学商学部卒業。同年NECに入社。96年取締役支配人、2000年執行役員常務就任。02年4月日本事務器顧問。同年6月代表取締役社長。同社で08年まで、代表取締役社長、取締役相談役を歴任。