「家業の哲学」を経営に生かす――第26回

千人回峰(対談連載)

2008/08/04 00:00

山田哲也

山田哲也

サンワサプライ 代表取締役社長

小学6年生から事業について考えていた!

 奥田 他人より一歩先んじる商品企画に積極的に取り組まれたのは、この時期からということになりますか。

 山田 そうですね。近いところでいえば1980年ぐらいからです。ただ、元をたどると、私は小学6年生くらいの頃からそういうことは考えていました。中小企業の工場の長男ですから、「何かやらなければ」という想いは小さい頃からあったのです。祖父がはじめた繊維業や父がはじめた段ボールの仕事が続けられれば続けたい。しかし、それは現実的にはなかなか難しい。

 私の友達に、地元倉敷に伝わる老舗の和菓子の5代目がいるのですが、ずっと彼がうらやましかった。何代も同じ仕事を続けられるからです。私の場合は、そうはいきません。時代の流れに合わせて、仕事の内容も変えていかなければならないからです。

 具体的に仕事を模索しはじめた頃、あるセミナーで「今世紀(20世紀)最後の成長産業は外食であり、伸びる可能性があるのは電子の仕事だ」という話を聞きました。本当は宇宙関連の仕事を手がけたかったのですが、中小企業には接点がないうえ、すぐ収益には結びつかない。そこでコンピュータ関連に行くしかないと考えたわけですね。

 こんなことを他人に話したのははじめてです。奥田さんだから話したわけで…。

 奥田 なるほど、小学校の頃から考えて、今につながっているということですね。ところで、山田さんはいくら忙しくても、いつも楽しそうですね。

 山田 私自身についても周りのみなさんに対しても、楽しくすることが役目だと思っていますので(笑)。おっしゃる通り忙しくさせてもらっていますが、私は「人間稼業」をやっているうちはずっと忙しくていいと思っているんです。

 奥田 「人間稼業」ということは、生きている間じゅう、ということ?

 山田 そうです。私は自分の独断と偏見で、いろいろな人にご迷惑をかけているじゃないですか。たとえば、従業員の人事異動ひとつとっても、私がよかれと思っても、彼らにとっては意に染まぬことかもしれません。そういうことを考えれば、生きているうちは私なりに忙しく一所懸命やらせていただいて、人間終わったらゆっくりさせていただく。そういう考えなんです。

 奥田 生と死の問題ですか。しかし、社内人事の問題がいきなりそこに結びつくとは考えてもみませんでした。

 山田 たしかにレイヤーは違いますね。だけど、実はこの話、社員と息子たちに読ませたかったんですよ。

 奥田 なるほど。ご長男は本社で、二男の方は上海の子会社でそれぞれ活躍されていますものね。よくわかります。後継者に自分の考えを伝えたい、と。そういう利用のされ方は光栄です(笑)。ところで、山田社長の事業観は今日に至るまでどのように変わってきましたか。

 山田 立ち上げの頃は、自分で考えて自分でやるというのが一番能率がいいし、早いですよね。会議をやって誰かにやらせるより、自分の頭の中で自分に命令を出したほうが早いに決まっています。ですから当時は、何を、どうやって、どうするということを全部自分で決めていました。そうしないと間に合わない。会社は民主主義の多数決では立ち行きませんから。

 奥田 それは、会社にとってプラスでしたかマイナスでしたか。

 山田 事業を立ち上げようという時期ですから、少なくともマイナスだったら、今はすでに会社はないでしょう。松下幸之助さんが言うように、世間が会社や商品を判定するわけですから。

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