異文化を吸収、融合できたところが伸びる――第24回

千人回峰(対談連載)

2008/07/14 00:00

開發敏光

開發敏光

KKIT経営コンサルティング事務所 所長

国産メーカーの3グループ化でNECと組む

 奥田 東芝は、このIBM360対抗機を開発するため、GEとの提携交渉を本格化させ、1964年10月に提携を発表したのでしたね。その後いろいろあったんでしょうが、70年7月にIBMはシステム370を発表、これに対抗するため通産省主導の元3グループに集約され、東芝は日本電気(NEC)と提携、ACOSシリーズの開発に入る。これが71年11月のことでしたね。

 開發 ええ。3グループに集約化した背景には、開発資金が1社ではまかなえないという事情がありました。新しいOSを開発しようとしたら数百億円かかるんだといっても、理解してくれる新聞記者や雑誌記者はほとんどいなかったですね。

 奥田 NECとの共同開発でも、開發さんはOSを担当なさっていたんですか。

 開發 はい、大型機は東芝、中小型機はNECが主導しました。共同開発のOSはACOSシリーズと呼んでおり、大型機のOSであるACOS-6を担当していました。

 奥田 結局、東芝は1979年に汎用大型コンピュータからの撤退を決めるわけですが、それを機会にNECに移籍しようとは思わなかったのですか。

 開發 東芝で開発したACOS-6のソフトをNECに移管した頃にお呼びがかかっていたんですが、「今後OSはいろいろな機器に導入されていく。OSの技術は次世代の機器に継承されるだろう」と思って、OS作りで一緒に汗を流した技術者と次のステップを踏むことにしました。

 奥田 確かにさまざまな機器に組み込まれるようになっていますね。

 開發 それもどんどん大規模化するようになってきた。数え方によって違いますが、先ほど述べたACOS-6の最上位機種は500万ステップ、日本語ワードプロセッサの「ルポ」の場合、最上位機種で100万ステップを超えていたと思います。いまは携帯電話など組み込みソフトで200万ステップなんてざらにあるでしょうね。トヨタの高級車レクサスは700万ステップとの情報もありますね。大型コンピュータ並みのソフト、OSが組み込まれているわけで、自動車もソフトが勝負を決める時代に入っていることを象徴しています。

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