業務ソフトベンダー・ソリマチの社長から小説家に転身――第16回

千人回峰(対談連載)

2007/10/19 00:00

篠崎紘一

篠崎紘一

小説家

 奥田 画一的発想か。私はテレビを見ていてそれを感じますね。ワイドショーの司会者やコメンテーターと呼ばれる人たちは、えらそうなことを言ってますが、その発想はものすごく画一的だなと…。どんな発言をすれば大衆に受けるか、という観点から発想し、他人をけなすのがうまい人間だけがもてはやされているように見えるんです。マスコミの末席を汚す者として、当社も気をつけねばいけないなと常々感じています。

 篠崎 確かにテレビってそういう側面はありますね。私が懸念するのは、IT化の進展は、そうした風潮を社会全般に及ぼすのではないか、ということなんです。金太郎飴にならないと社会からはじき飛ばされる、そんな社会にはなって欲しくない。

 じゃあ、それに対処するにはどうすればよいか。人々の精神が自由に解放される場を設ける必要がある、と考えるようになったんです。

 私自身、気に入った小説、優れた伝記などに出会うと、ああ、こんな生き方もあるんだ、こんな発想もあるんだと、心が洗われ、気分転換できる経験を何度もしました。そんな場を自分自身の手で提供してみたい--これが小説を書いてみようと思った大きな動機のひとつです。それに、IT化社会の推進に荷担してきた者の一人として、罪滅ぼしにもなると考えました。

精神の自由度が高かった古代の人々

 奥田 小説の舞台を古代に設定していますね。これはどんな考えからなんですか。

 篠崎 日本の歴史を振り返ってみますと、精神の自由度が最も高かったのは、古代だったと思うのです。

 最初に上梓した「日輪の神女」は邪馬台国を舞台にしています。3世紀頃の話です。法律はもちろん、道徳観も固まっておらず、何もかもが混沌としていたはずです。生と死はまさに紙一重、今日は生き延びても、明日も生き延びられるという保証は全くない。さまざまな神は常に隣にあり、神々と共に生きていた時代だと思うのです。

 奥田 神々ね。私は神社で育ったんですが、子供の頃は、月が出ていない真っ暗な夜、境内を歩くのは怖かったですね。風で木々の葉が揺れながらサワサワと音を立てている。こんな時、人智を超えた何かの存在を最も強く意識させられた記憶があります。

 篠崎 自分の足元も見えない漆黒の闇なんて、都会に住む人たちには想像もつかないでしょうね。

 そうした暗黒の夜の中で育った人々のなかで、私が関心をもつのは、何か新しいことを行った人間なんです。新しいことをやるには、精神の自由度がものすごく高い人間でないとできない。

 弥生時代、飛鳥時代に日本人の原型は形づくられてきたと思っているのです。その意味で今の日本があるのは、時代を超越して新しいことを成し遂げた、つまり精神の自由度の高かった人々のおかげだというのが、私の小説を貫いているモチーフです。

考古学、民俗学の知識は必須

 奥田 古代を描こうとすれば、SF小説的に空想だけで書くこともできますよね。そうせずに、関連文献を相当読み込んでおれるようですね。

 篠崎 SF小説は私の好みではありません。ただ、純文学というのは、事実の裏づけがあって初めて成り立つと考えていますので、民俗学、考古学の知識は必須だと思っています。「日輪の神女」をまとめるに当たっては、関連文献を800冊は読みましたね。

 奥田 社長業をこなしながらですか。

 篠崎 ええ。土曜、日曜しかできないものですから、4年もかかったんです。資料読みに2年、執筆に2年といったところでした。

 ただ、社長業をおろそかにしていたわけではありませんよ。それはソリマチの社員に聞いてみてください。

 事業というのは、ある意味で殺伐とした側面を持っています。創業経営者の1人として、不本意なことをやらざるを得ないこともありましたから、私にとっては、小説の執筆は癒しの時間になっていましたね。

 ただ、小説家を本業とするようになると、癒しの側面は消えてきました。アマとプロの差ですかね。

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