異端者がイノベーションを起こす――第12回【後編】

千人回峰(対談連載)

2007/08/07 00:00

水野博之

松下電器産業 元副社長 水野博之

3DOはホーキンスに踊らされた側面も

 奥田 そう、ゲーム機への参入は松下さんのほうが早かったんでしたね。撤退も早かったわけですが、どんないきさつがあったんですか。

 水野 私がニューヨークにいる時、3DOエレクトロニック・アーツの創始者の一人であるトリップ・ホーキンスが突然やってきて、私の親父は有名なホーキンスだというような自己紹介をして、提携の話を持ちかけてきたんです。任天堂の一人天下を何とかしたいと口説かれ、それはそれで共感できたので話に乗ることにしました。32ビットプロセッサでスタートする計画で、すでに64ビットプロセッサの構想もできているという話にも興味を引かれました。

 3DOエレクトロニック・アーツは、私が副社長を退任する直前、1993年末にナスダックに上場しました。その目論見書の中では松下電器との関連もでてくるので、こんな表現でいいかと、アーツ社の副社長が私に了解を取りにきました。その時の話で印象に残っているのは、ハードで儲けようと思うな、ソフト先行型のビジネスがあるので、それで儲けるようにと強調していたことです。具体的に、ハードの価格は200ドル以下でないと厳しいといっていました。

 それをすぐ、後任者に伝えたんだけど、結局、480ドルだったかな、そんな値段を付けた。ハードでは儲けなくていいという発想が当時の松下にはなく、ハードでもソフトでも儲けようとしたことが、市場での評価につながらなかったとは言えますね。

 奥田 思い出しました。1994年3月の3DO REALの発表会には私も参加したのですが、その時の価格は7万9800円だったと思います。その後、発売時に5万4800円に下げたんですよね。

 水野 まあ、3DOはホーキンスに踊らされた側面は確かにあります。ゲーム機があまり売れないものですから、3DOエレクトロニックは経営が苦しくなり、1995年末には、株を買ってくれと、脅迫まがいに泣きついてきました。まだ幸之助さんが生きていましたから、その名前を傷つけたらいかんと100億円出して買った。64ビットのM2に魅力があったことも確かですがね。結果として3DOから早めに手を引いたことは、松下にとってはよかったとは言えます。

 ただ、当時の松下には64ビットプロセッサを作れる力があったことは確かです。それに対して、ソニーに半導体を作れる力があるかといったら、疑問でしたね。NECや東芝などから技術者を引き抜いて、半導体事業を立ち上げようとしたんでしょうけど、そんなに単純にいく世界ではないんです。莫大な開発投資も継続的に必要ですしね。

 東芝は最初は協力していたようですが、途中で降りられた。それで、富士通を引き入れたんでしょうが、プレイステーションの行方次第で、富士通にも連鎖していく可能性はありますね。

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