異端者がイノベーションを起こす――第12回【前編】

千人回峰(対談連載)

2007/08/06 00:00

水野博之

松下電器産業 元副社長 水野博之

 水野 こうした対立のなかで、ノイスはフェアチャイルド・カメラの支援を得て、「フェアチャイルド・セミコンダクター」を設立、8人の仲間とショックレイ研究所を飛び出してしまいました。そのあおりでショックレイ研究所は倒産、ショックレイは一生、ノイスらを「8人のユダ」とののしることになります。

 確かにノイスたちはユダとののしられてもやむを得ないでしょうね。基本原理からアプリケーションまで教えてもらって、実際の商品化に当たっては、新しいスポンサーを見つけて、自分たちの会社を作ってしまう。日本でこんなことをやったら非難ごうごうでしょうが、アメリカ、とくにシリコンバレーにはこうした行動を許容する懐の広さがありますね。

 現に、フェアチャイルド・セミコンダクターも分裂を繰り返し、ノイスとムーアはインテルを設立するし(1968年)、最終的には同社にいた人間から総計38社のベンチャー企業が生まれたといいます。

知的財産権の保護強化で復権したアメリカ

 奥田 そうしたアメリカが、家電やカメラなどでは日本メーカーに追いつめられていきましたが、パソコンやインターネットでは完全に先行、復権しました。その背景には何があったのでしょう。

 水野 確かに、1970年代後半からRCA、ゼニス、GEなど錚々たる家電メーカーが、日本メーカーとの戦いに敗れて消えていきました。ただ、そうした危機に直面すると、普段は生意気な国なのに、「日本に学べ」といった議論が始まり、柔軟に事態に対処するのがアメリカという国なんです。

 1985年1月に発表された「ヤング報告書」などがいい例です。当時のレーガン大統領の肝いりで1983年6月に招集された産業競争力委員会が「グローバルな競争――新しい現実」と題する報告書をレーガン大統領に提出したものですが、米国産業の競争力強化のために、(1)知的財産権の強化、(2)通商政策の統合、(3)投資コストの低減、(4)労働力の流動化――といった4つの方策を提言していました。

 日本に追い上げられたのは、特許など知的所有権を安く売りすぎたためだという反省の元に、知的財産権の保護強化を第一の命題に掲げたのです。

 ヤングという人は、ヒューレット・パッカードの社長でした。当初、レーガン大統領はこの報告書にあまり関心を示さなかったといわれます。それをヤング委員長が国策として採用するよう声高に唱え、やっとレーガン大統領も本腰を入れだしたといわれています。このレーガノミクスが、アメリカの復権につながっていったことは確かでしょうね。

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