ゲスト:青空文庫の創始者 富田倫生 VS ホスト:BCN社長 奥田喜久男  富田倫生さんはIT界のジャーナリストとして縦横無尽に活躍した人物だ。あれだけ書けた人がなぜ実質的に筆を折り、青空文庫にのめり込んでいったのか、改めて聞いてみたくなった。青空文庫を始める経緯、そして今後の展望などを語ってもらった。2回に分け、今回は青空文庫誕生までの過程を辿っていく。【取材:2007年1月17日、BCN本社にて】

 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第4回【前編】>

※編注:文中の企業名は敬称を省略しました。
 

病魔に翻弄されて

 奥田 「パソコン創世記」凄い本だったよね。この人は、これからもいい仕事するだろうなと思っていたのに、ある日、突然筆を折ったように見えた。立ち入ったことを聞くけど、何があったの?

 富田 病気です。私の人生のコースは、病気でだいぶ曲がりました。ライター志望は高校生の頃から。連載がもてるようになり、本も何冊か出て、「これでやっていけるかな」と思い始めた矢先、お前は取材に飛び回れる身体じゃないと突き付けられてしまいました。

 最初の本は、旺文社文庫から出た、初代の「パソコン創世記」です。1984年秋に取材して、85年2月に出版。NEC半導体部門のマイコン販売セクションが、それまではこの世に存在しなかったパソコンをつくって売り出すまでの経緯をまとめました。コンピュータ本流が、PC-9801を出す前段の話です。その後、活字に加えて、テレビの仕事もするようになりました。90年4月には、テレビの仕事でSF作家のアイザック・アシモフさんにインタビューに行きました。ニューヨークには24時間いられなくて、とんぼ返りしたんですが、飛行機の中では行きも帰りも原稿書いてました。それで、帰国直後に倒れてしまったんです。それから3年間、入退院を繰り返すことになって――。

 奥田 病気だったの。病気の話はあまり聞いた記憶がないし、当時の文章でも殆ど触れてませんよね。
 

エキスパンドブックを知り電子本に

 富田 寝たり起きたりしている時、米国のボイジャーがつくった、エキスバンドブックという電子本を知りました。93年2月に幕張で開かれたマッキントッシュのショーでは、ボイジャージャパンが小さなブースを構えていました。もらったパンフレットに、「ツールキットの日本語化を進めている。同時に、日本オリジナルの出版企画も準備中です」と書いてありました。それを見て、「パソコン創世記」を電子本にしたいと考え始めたんです。

 奥田 旺文社は、単行本事業などは縮小してしまったのじゃなかったっけ。

 富田 そうなんです。初代の「パソコン創世記」は、旺文社が文庫から撤退する直前に出版したんですよ。在庫があったら引き取ると連絡したら、すでに断裁されていた。私の手元に残ったのは、2冊だけでした。

 寝たり起きたりの生活のなかで、マスコミとの縁もどんどん切れる。ライターとしては、もう終わりかなと思った。ただ、電子本なら、パソコンで自分でつくれる。私にとっては記念すべき最初の本「パソコン創世記」だけは、自分の生きた証として、何らかの形で残しておきたいと考えたんです。

 奥田 それで自分で入力していったの?

 富田 そうです。ところが、読み直してみると、どうもよろしくない。85年にまとめた本ですから、初期のことしか書いてないのは当然なんですが、自分なりのパソコン観とでもいったものが見えない。そこは、後書きでカバーしようと思い、書き始めた。最初は、30-40枚でまとめようと思っていたんですが、だらだら書くうちに、半年で200枚ほどに膨らんだ。ただ、その200枚を読み返しても、パソコンにのめり込んでいった人たちの思い、熱気、歴史を動かしたダイナミズムが書けていない。

 それで、多少体調が戻ってきたこともあり、一から書き直そうと決めた。NECの後藤富雄さん、渡辺和也さん、浜田俊三さん、高山由さん、アスキーの西和彦さん、松本吉彦さん、マイクロソフトの古川享さん、ダイナウェアの藤井展之さんなどをもう一度たずねた。この時、奥田さんが88年に出していた「100万人の謎を解く ザ・PCの系譜」はずいぶん参考にさせていただきました。

 奥田 ありがとうございます。

 富田 再取材を始めた時点では、紙としての出版の当てはなかったのですが、途中でTBSブリタニカが出版の話に乗ってくれて、94年の年末ぎりぎり、12月21日に発行となりました。そして、95年2月のマックワールドエキスポでは、エキスパンドブックとしてCD-ROMに焼いた電子本を出しました。

[次のページ]

  • 1
  • 2

次へ