放送事業者が今行うべきこと【道越一郎のカットエッジ】

オピニオン

2023/12/03 18:35

 「新4K8K衛星放送」がスタートして、この12月1日でちょうど5周年。普及を推進する放送サービス高度化推進協会(A-PAB)は11月29日、12月から展開する「スゴイぞ、4K・8K」キャンペーン概要の発表会を開いた。特別ゲストとして登場したのは、昭和の香り高き、演歌歌手の藤あや子さんとマジシャンのMr.マリックさん。今回のキャンペーン、ターゲットはやはり高齢者層なのだろう。発表会では、キャンペーン期間中に各局が放送する4K・8Kの番組紹介に多くの時間を割いた。確かに現状の4K・8K放送は、過去のコンテンツの再放送が悪目立ちしていて、高精細映像が生かされた番組が少ない。発表会で4K・8Kの新キャラクター「ヨンハチさん」もお披露目されたが、紹介動画の冒頭で「4K8K放送ってあんま刺さってないんだって?」と自虐的なコメントからスタートするほどだ。

4K・8Kの新キャラクター「ヨンハチさん」をお披露目

 こうした現状について、A-PABの関係者は「Netflixなどでも4K番組をやってはいるが、まだ数は少ない。サーバーや回線帯域の問題もあり、ネットでの高精細番組が普及するにはまだまだ時間がかかる。今回のキャンペーンには、放送各局に対し、もう一度仕切り直して4K・8Kコンテンツの制作を頑張ってほしいというメッセージを込めた。視聴者にも、5周年を節目に、4K・8Kという高精細な映像のすばらしさを改めて知ってほしい」と話す。

 テレビ離れといわれている昨今だが、正確には放送波離れともいえる現象ではないかと思う。放送波は、致命的な二つの呪縛から逃れられない。一つは大掛かりなアンテナだ。屋外に立てた大きなアンテナから、長々と線を引きテレビに接続する必要がある。このため、テレビは基本的に自宅、しかも設置した場所で観るものであり、好きな場所で自由に視聴するというスタイルには程遠い。もう一つはリアルタイム性だ。視聴者は好きな時間に好きな番組を見ることができない。TVerのように、あとから番組を楽しむ仕組みはあるが、これは放送ではない。リアルタイムの生放送が生きる場面もある。しかしニュースやスポーツ中継などごく一部だ。

 地上波のコンテンツがつまらないという話もたくさん聞く。バラエティーだけならまだしも、ニュースにまでお笑い芸人が出てきて、毒にも薬にもならないコメントを垂れ流しているような現状では、そう思われても仕方ない。しかし、これはテレビ離れの本質的な問題ではない。そもそもの視聴スタイルの自由度が違いすぎるのだ。
 
発表会でゲストとして招かれた、 BS朝日の4K「人生、歌がある」 に出演する藤あや子さん(左)と
BS朝日4Kの「スーパー4Kマジック」に出演するMr.マリックさん。
ハンドパワーでシャンパンを抜栓するマジックを披露

 ネット動画コンテンツは、Wi-FiやLTE回線経由で、線をどこかにつなぐことなく、好きな場所で好きな時間に、自分好みのコンテンツを好きなだけ楽しめる。画質も信憑性も品質も玉石混交ではあるが、ありとあらゆる動画コンテンツが選べる。さらに、ある程度の再生環境は必要でコンテンツも限られるが、YouTubeでもNetflixでもAmazon Prime VideoでもHuluでも8Kまでの高精細コンテンツが楽しめる。そこに、大掛かりなアンテナと時間の縛りがあり、コンテンツ提供者もごくごく限られたテレビが立ち向かうとなれば、勝敗は明らかだ。しかも4K・8Kともなれば、現状で衛星放送でしか見られない。これはいくら何でも、放送波コンテンツの分が悪い。

 現在40型以上のテレビは、販売台数のほぼ9割が4K対応。つまり、40型以上のテレビを買えば、例外的な製品を除き大体4Kテレビということになる。テレビを買う時に「4Kかどうか」を気にする人はもういないだろう。視聴環境は整っているわけだ。しかし、これは同時に、放送波だけでなくネットコンテンツも高精細で楽しめる環境が整ってきたことを表す。テレビメーカー各社も、オンラインコンテンツ視聴の利便性向上に余念がない。一方で「放送波という選択肢をあえて削る必要性もない」とするメーカー関係者も多い。いずれにせよ、テレビにとって放送波コンテンツは「選択肢の一つ」に「格下げ」されつつあるのだ。

 あらゆるチャネルで誰もが映像コンテンツに触れることができるようになってきた今、放送事業という利権に胡坐をかくことはできなくなった。さらに、技術の進歩によって高精細の映像コンテンツの製作まで、誰もが担えるようにもなってきた。他方、オンラインコンテンツのプラットフォーマーが過度に行う検閲、といった問題も生じつつある。放送事業者は、映像コンテンツの流通と制作について、改めてゼロから考え直す時を迎えているのではないだろうか。(BCN・道越一郎)