2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、18年のインバウンド(訪日外国人旅行者)の年間客数が3000万人を突破し、インバウンドビジネスが活況だ。IT業界でも、関連する企業同士のM&Aが活発になっている。18年12月、NTTドコモと電通などの合弁会社でデジタルマーケティング事業を展開する「D2C(ディーツーシ-)」は、訪日観光メディア「tsunagu Japan」を運営するTSUNAGU社(19年1月にD2C X=クロスに社名変更)の全株式を取得して買収した。D2C Xの萩原良社長は「M&Aでスピード感ある経営ができるようになった」と語る。以前のどこに課題があり、それがどう変わったのか。

取材・文/細田 立圭志 撮影/松嶋優子

D2C Xの萩原良社長(左)と中西恭大取締役

インバウンドメディアが抱えていた課題

 tsunagu Japanは、日本を訪れる外国人旅行客に特化したウェブサイトとして14年8月に開設。現在では月間約400万PV、約150万UUのアクセスがある。観光地のホテルや旅館などの予約から、滞在中も使えるグルメ、イベント情報などを掲載する。

 面白いのは日本語の表記が一切ない点だ。業界に明るくない人から見たら、インバウンド向けメディアなら、通常の日本人向けサイトを多言語化すれば済むのではないかと思うかもしれない。しかし、実は訪日外国人にとって日本語はノイズにしかならない。暮らしている環境や文化が違うので、日本人視点でつくられたコンテンツは共感されないのだ。

 そのため、tsunagu Japanでは編集チームの社員13人のうち、約半数のネイティブスタッフがそれぞれの言語でコンテンツを作成している。自国の流行をキャッチしながら、日本の流行も押さえているので、ネイティブ視点で情報を発信できるのが強みだ。

 前身のTSUNAGU社の創業者でD2C Xの萩原良社長は「tsunagu Japanはターゲティングメディアに近い。これから日本に来る人や、既に滞在している人に絞ったメディアなので、ネイティブの人たちが共感するコンテンツは、次の行動を喚起しやすい」と語る。

 インバウンドメディアは主な競合が4、5社存在するが、tsunagu Japanはその中でも大手の一角として、特に台湾や香港で使われる繁体字に強い。中国の簡体字や英語、タイ語にも対応しており、M&Aの効果もあって4月17日からはベトナム語と韓国語にも対応できるようになった。

 一般の大手メディアが簡単に参入できない一方で、なかなかスピード感をもって事業を展開できない悩みも抱えていた。先述したように、新しくベトナム語や韓国語に対応するには、新たにネイティブスタッフを雇わなければならず、人と資金が必要なのだ。

 また、営業人員もゼロに等しかった。「営業リソースは自分だけでまったくなく、引き合いベースがほとんど。こちらからプッシュで営業したくてもできなかった」と萩原社長は、営業面にも大きな課題があったことを明かす。
 
「tsunagu Japanで日本語表記はノイズにしかならない」と語る
D2C Xの萩原良社長

D2CにとってのM&Aのメリットとは

 一方で18年4月にインバウンド事業部という新規事業を立ち上げたD2Cも、別の課題を抱えていた。D2Cから出向しているD2C Xの中西恭大取締役は「自分も含めて4人でインバウンドの広告代理店事業を展開したが、参入して3か月で二つの課題がわかった」と分析する。

 まずは、インバウンドビジネスで広告や宣伝費がほとんど使われていなかったことだ。「外国人が日本で使う消費は4兆円といわれているので、企業の対売上高で広告・宣伝費が5~10%とすれば、2000~4000億円の市場はあると予想していたが、肌感覚ではぜんぜん使われていなかった」と中西取締役は語る。

 わざわざマーケティング費用を投じなくても、数多くの訪日外国人が店などに来て買い物をするからだ。そのため、どこの国の人が何を買ったといったマーケティングデータも十分に把握されることなく、その点では未開拓という魅力がある一方で、まったく予算化がされていなかったのでビジネスにならなかったという。

 ちなみに外国人の売り上げは、免税売り上げとして把握できるが、5000円以上の大きな買い物しか補足できず、5000円以下の小さな買い物は把握できない。

 そこでBtoC向けの企業にマーケティング提案をしていこうと考えたのだが、そもそも使えるデータが少なく、調べたらだれでも入手できる官公庁の資料だけでは提案する際の説得力に欠けた。そこから、自らインバウンドの予約や購買行動を把握できるターゲティングメディアに着目し、M&Aのパートナー支援をするパラダイムシフトに相談したところtsunagu Japanを紹介されたのだ。
 
D2Cから出向しているD2C Xの中西恭大取締役はターゲティングメディアに注目していた

中国検索大手「バイドゥ」の基幹代理店に

 D2CとD2C X(旧TSUNAGU社)がM&Aに踏み切れたのは、両社の強みと弱みが補完できたから。D2C Xの萩原社長にとっては、中西氏をはじめとする営業人員が増えることで、プッシュの営業活動ができる。また、資金面も補われるので新しい言語に対応するスタッフの増強も図れる。

 「それまでは人もお金も足りずに後回しになっていたが、M&A後は複数のことが同時並行で進み、驚くほど事業展開がスピードアップした」と萩原社長が指摘するように、人とカネ、時間の手当てができるようになり事業の拡大に向けたスピードが加速したのだ。

 実際、18年12月のD2Cの子会社化から19年春には、ベトナム語と韓国語に対応したほか、国内約24万室に設置されている、ホテル宿泊者向けの客室スマホ提供サービス「handy」へのコンテンツ連携事業がスタートするなど、スピードは格段に上がった。

 4月25日には、中国最大手の検索エンジン「百度(バイドゥ)」の日本における基幹代理店に認定された。年間800万人以上という莫大な訪日中国人旅行客をターゲットに、プロモーション展開ができるようになったのだ。
 
「M&Aで驚くほど事業展開がスピードアップした」

 一方のD2Cにとっては、企業へのマーケティング提案でカギとなる説得力のあるデータが活用できるようになり、提案の幅が広がった。

 「年間約3000万人のインバウンドを月でならせば250万人。tsunagu Japanはそのうちの150万のアクセスがあるから、半分以上にリーチできる。その人たちの趣味や嗜好、繁体字なら台湾や香港など絞り込んだユーザーが、どの記事を読んで、何に興味があるか、ホテルをいつから予約するかなどがわかる」と中西取締役は有効なデータ活用に期待する。

 生きたデータを武器として手に入れることができたのだ。近い将来にはB to C事業で蓄えたデータをマーケティングビジネスに活用することで、さらなる事業拡大を計画する。

 萩原社長に、自ら立ち上げた会社がM&Aされることへの抵抗感について聞くと「それを補って余りある成長を手に入れることができた。近い将来にはインバウンドメディアでナンバーワンを目指している」と満足の方が大きく上回っているという。