「台湾経由で中国へ」IT事業のサービス化が進出の決め手――第62回

千人回峰(対談連載)

2012/02/24 00:00

岡積 正夫

岡積 正夫

流通戦略総合研究所 代表取締役

構成・文/谷口一

 過日、台湾で岡積正夫さんにお会いした。16年ぶりだった。豊富な知識と経験、幅広い人脈をもっておられるだけでなく、IT事業の活性化戦略に深く関わってきた岡積さんが台湾におられたということは、やはり台湾は、日本のIT産業にとって重要な意味をもつ地になっているようだ。今度はぜひ日本で、という願いがかない、日本企業の中国進出に関して提言していただいた。【取材:2011年10月26日 千代田区内神田のBCNオフィスにて】

「台湾を通して中国に進出すれば保護協定で守られる。これで、新たなオフショア開発が進めやすくなりました」と岡積さん
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第62回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

日本初のアウトソーシングを開始

 奥田 岡積さんはサンリオに在籍しておられた時に、情報システムのアウトソーシングを日本で最初に手がけられたそうですが、そのあたりからお話しいただけますか。

 岡積 そうですね……。といっても、僕はもともと情報システムのプロではありませんでした。

 奥田 法学部のご出身でしたね。

 岡積 ええ、そうです。サンリオに入ったのが1973年でした。サンリオという会社はEOS(Electronic Ordering System=電子発注システム)という言葉がない時代から、電話回線を通じて全国の取引先からプッシュホンにデータを打ち込んで得意先別に注文を出してもらうという仕組みを、日本で最初につくった会社です。それをやりながら、もう一方では、倉庫から物流センターという名前に変わっていく時代に、物流プロジェクトを全部コンピュータでやってしまうことを成し遂げた会社でもあります。そういう会社のカラーがあるのです。

 奥田 そのカラーが、日本で最初の情報システムのアウトソーシングへとつながっていったのでしょうか。

 岡積 当時、サンリオは情報投資額が莫大だったのです。売り上げの1.3%~1.5%を占める時代がありました。

 奥田 岡積さんは、いつごろから情報システムに関わられたのですか。

 岡積 入社して、最初の6年間は営業にいて、その後、サンリオが上場するときに経理部門に6年間在籍しました。その時代に、財務・経理の観点から社内の情報システムをみると、オーダーメードということもあって、あまりにもお金がかかりすぎると思っていました。効率はいいけれど、売り上げと比例して情報投資コストも上昇するのは、大きな課題だと認識していました。ちょうどその頃に、創業オーナーから情報システム部門をみろといわれました。経営の観点から情報システムを見直そうということですね。

 奥田 それが何年頃のことですか。

 岡積 1990年頃だったかな。アメリカの大統領候補にもなったロス・ペローが起こしたElectronic Data Systems社がGM(ゼネラルモーターズ)の基幹システムのアウトソーシングを引き受けるというニュースを知って、日本でもすべての基幹システムを預かってくれるところがあれば預けたいと考えました。それからアウトソーシングを本格的に研究したわけです。

 奥田 日本ではまだアウトソーシングという言葉自体もなかった頃ですね。

 岡積 でも、必ず日本にもそういう波が来るとは思っていました。だから、サンリオのメインフレーマーの富士通と基幹システムのアウトソーシングを一緒に研究しようと。その結果、サンリオのシステムを丸ごとお預けしますということになって、日本で最初のアウトソーシングを開始することになったのです。

 奥田 富士通としても初めてのことだったのでしょう。

 岡積 そうです。だから、事業部の名称もアウトソーシング事業部に変えて、富士通グループの第一号の基幹システムを完全にアウトソーシングするお客としてサンリオを選んでくれたということです。

 奥田 岡積さんは、なぜアウトソーシングに着目されたのですか。

 岡積 サンリオは、日本でもトップクラスの情報システムをもっていました。だけど、オーダーメードのシステムだから、事業戦略が変わればすべてをつくり直さなければいけない。一方、通信技術やコンピュータはどんどん発展してきて、自社で専門家やSEを雇ってやる時代ではなくなってきました。

 奥田 システムの構築と運用は、専門家に任せようということですね。

 岡積 そう。使うという観点に立って、コンピュータを利用することに的を絞ろうと考えたわけです。

 奥田 サンリオとしては、アウトソーシングで得た収穫としてはどんなことがあったのでしょうか。

 岡積 一番大きいのは、コストが売上高の1%内に収まったこと。それと、技術のほうは全部任せるわけだから、われわれは使うことを徹底追求することができたということですね。また、節減したお金の何割かは、CG技術や印刷技術など将来的なことに投資できました。今、それらが生きていると思いますよ。それにレガシーなシステムを抱え続けなくてすんだということも大きい。

 奥田 岡積さんのそういうIT関連の経歴があって、16年ぶりの今回の台湾での遭遇に結びつくのですね。
 

日本流のレガシーなIT思想はグローバルでは通用しない

 奥田 それでは本題に移らせていただきます。まず、岡積さんの中国・台湾・韓国についての見方からうかがいます。

 岡積 日本のITの歴史観からみると、日本と中国・台湾・韓国はまったく違います。中・台・韓には、オーダーメードでITシステムをすべてつくり上げるかたちのメインフレームを利用したシステム構築の歴史がありません。

 奥田 その「オーダーメード」というところを具体的にお話しいただけますか。

 岡積 日本はコンピュータを利用してきた歴史が長く、高額な汎用機・固有のOSをベースにして、企業の戦略に即したオーダーメードでシステムを開発・利用してきました。しかし、中国・台湾・韓国には、情報システムをオーダーメードするというステップがなかったのです。基本的にパッケージソフトをベースに、小さな改修を行いながら開発して、業務をそれに合わせることで効率を上げてきました。

 奥田 要するに、ITの利用に際して、今の業務をシステムに置き換えるのではなく、業務を誰でも利用できるように共通化するという基本思想があるということですね。

 岡積 はい。ひるがえって日本の企業をみれば、過去のIT資産を引きずっている。いまだに汎用機をはじめとして、オープンシステムやオープンソースを利用したシステムなどが混在した環境にあります。この整備が最大の課題ですね。こうした背景があって、企業のIT投資のなかで一番費用がかかるのは、混在するシステム間の連携になってしまっている。日本のIT産業は、ベンダーごとの仕様・OS・ユーザーの独自仕様が複雑に絡み合い、共通化・標準化が進まずに今日まで来てしまった。この事業構造では、中・台・韓には通用しないということです。

 奥田 日本には強力なレガシーシステムがありますからね。

 岡積 そうですね。顧客の望む通りのシステムを開発するという日本ベンダーの営業スタイル自体がレガシーなんですが、根本的な業務の整備にまで踏み込んでシステム化すれば、顧客の業務のプロセスが大幅に改善されるにもかかわらず、そうした企画提案ができない。また、顧客のパートナーとして、例えばオーダーメードからERPへの全面的な入れ替えなど、まったく新しい発想による解決策の提言などができない。これによって、IT利用の進展とそのビジネス・サービスで、日本と中・台・韓に大きな差異ができていると思いますね。現在の延長上で日本のIT産業をグローバルに伸ばそうとしても、無理だと思います。

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