『雨ニモマケズ』と『青空文庫』は文化交流の架け橋――第104回(下)

千人回峰(対談連載)

2014/02/13 00:00

王 敏

法政大学 国際日本学研究所 教授 王 敏

構成・文/小林茂樹
撮影/津島隆雄

週刊BCN 2014年02月10日号 vol.1517掲載

 昨年8月16日、青空文庫の創始者で、私の古くからの友人である富田倫生さんが61歳の若さで世を去った。ジャーナリストとして東へ西へと駆け巡っていた倫生さんが青空文庫を始めたのは自らの病気がきっかけとなったのだが、王敏先生のお話をうかがっているうちに、青空文庫が国内にとどまらず、まさに世界中を駆け巡っていることがわかった。おそらく、倫生さんが闘病の末に息を引き取る際にも予想もしていなかったほどの膨大な数の人々が、世界のあらゆる場所で青空文庫の読者となり、今、この瞬間に感動していることを知った。(本紙主幹・奥田喜久男) 【取材:2013.11.20 東京・千代田区九段北の法政大学にて】

2013.11.20 東京・千代田区九段北の法政大学にて
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
株式会社BCN 会長 奥田喜久男
 
<1000分の第104回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

世界の人々にとっての青空文庫

奥田 王先生は青空文庫のことを、どんなきっかけで知られたのですか。

 私は、2000年にお茶の水女子大学で博士号を取りました。そのとき、論文を書くために宮沢賢治全集を繰り返し読んで、内容を分類してデータベースをつくろうとしたのです。その作業で苦労しているときに、デジタル入力された青空文庫の存在を誰かに教えてもらいました。

奥田 かなり早い時期からご存じだったのですね。その後はどう利用されていますか。

 やはり、まずデータベースをつくるときですね。例えば、星についての描写はどうなっているかを調べるため、青空文庫に登録されている作品を検索します。タイトル数も増えたので、以前に比べて非常に便利になりました。

 また、授業で使おうとしても手元にその本がない場合は、ダウンロードしたものを印刷して教材にしています。原本と表記が異なるところもありますが、趣旨は変わりませんから、教材として十分使えます。

 とくに外国では本当に助かりますね。日本文学の代表作を講義で教えようとする場合、必ずしもテキストが揃うとは限らないからです。それに、わかりやすく表記しているのも大きな利点です。例えば明治時代に書かれた本の仮名遣いを、今の日本人はほとんど読めません。外国人にとってはなおさらです。日本を知ろうと思って挑戦しても、まず仮名遣いのところで挫折してしまうのではもったいない。青空文庫は、その壁を容易に乗り越えさせてくれました。

奥田 私たちが思っている以上に、青空文庫は世界に広がり、役に立っているのですね。

 日本の文学に関心を持つ若者は世界中にいますが、その人たちは必ずしも日本の文学書を買えるとは限りません。例えばインドの大学生は、40年前の中国の大学で使われていたような粗悪な紙のテキストをいまだに使っています。インドを代表するデリー大学の図書館にもほとんど本がなく、ニューデリーの市街にも書店はほんの数軒しかありません。インドの本すら見当たらないのに、外国語の本などとても考えられない状況です。

 もちろん、日本の学生のように電子辞書や電子書籍を使う人は多くはいません。印刷事情も非常に悪く、コピー機もあまり普及していないので、私が大学生に見せてもらった教材は字がはっきり読めないくらいでした。

 インターネットが普及し、手軽に外国から本を買うことが可能な時代になりましたが、実際、アジアでは貧富の格差は信じがたいほどあります。パソコンを所有して、インターネットを利用できる人はほんの一部です。多くの民衆がまだ利用できていない状況なんですね。

 こういう地域の人々にとって、青空文庫は本当に救いの星になります。私はアジアの国に行くたびに必ず青空文庫のことを話します。お金をかけず、生活に影響を与えないで日本文学にふれる手段として最もふさわしいのが青空文庫だからです。
 

知的財産をいつまでも維持・共有するために

奥田 アジアでも、青空文庫が知られつつあるということですね。

 インド、マレーシア、インドネシア、ベトナムなどの国で、すでに利用している人が多くいましたが、やはり最も利用している国はパソコンが普及している中国と韓国です。ただし、中国や韓国でも日本の本は高価ですから、青空文庫が最高の図書館となるのです。

 ちなみにこれは2009年の調査ですが、中国での日本語学習者数は82万7000人で、世界第2位。第1位は韓国の96万人です。この人たちにとって青空文庫は絶好の教材となり、それを通じて多くの日本の知識を無料で得られることになります。

奥田 中国の日本語学習者82万7000人は、青空文庫の存在を知っているのでしょうか。

 ほとんどが知っています。中国はネット社会ですから、青空文庫の知名度は高いですね。ことに独学で日本語を身につけようとしている人や趣味で学んでいる人は、よく利用しているようです。

 ただ、青空文庫が伝えているのは日本語学習の手段だけでなく、日本全体だと思います。日本の社会、日本の生活、日本の文化ですね。言語というのはあくまでも道具ですから、日本語ができることと日本を知ることは別の次元のことだと思います。

奥田 私の友人であり、青空文庫の創始者である富田倫生さんは2013年8月16日に亡くなりました。おそらく彼は、王先生が青空文庫をアジアの人たちに紹介したり、そんなに多くの海外からのアクセスがあることを知らなかったのではないかと思います。私は彼が青空文庫を始めるときからよく知っていましたから、彼の業績を高く評価していただける先生に出会えて、とてもうれしいです。

 私は、ぜひ一度、富田さんにお会いしたいと思っていました。本当に残念でした。

奥田 富田さんに、どうして著作権が切れた作品を入力して蓄積するのか聞いたところ、彼は「インターネットという底の見えない沼に、これまでに出た名著をデジタルのコンテンツに訳して、そのコンテンツという石を一つずつ投げ込むんです。それをみんなで何年か何十年か続けると、インターネットのカルチャーが、沼の底がちょっと見えてくるんですよ」と言っていました。

 すごい。ピラミッドと同じで、たいへんな労力をかけて、一つひとつ積み重ねていくのですね。たしかに知的財産を維持していくためは、青空文庫のようなデジタル化が必要です。紙の書物が全滅するかどうかはわかりませんが、その危険はあるでしょう。もし、私が賞を出せる立場にあれば、富田さんには、その原初的にみえる文明的な貢献に対して賞を差し上げたい気持ちです。そして『青空文庫』という名前がいいですね。青空はどこまでも見渡す限り、共有ができても境界がありませんから。

こぼれ話

 私はいつも、富田倫生(みちお)さんのことを「りんせい」と呼んでいた。対面するときには“さん”はつけるが、彼のことを想うときは、今も「倫生」だ。王敏先生とは昨年9月26日に初めてお会いした。BCNが中国事業を進めるにあたってある方から紹介を受けたのがきっかけだ。お話をうかがい、数ある著書を読むうちに、論文と新書とコラムでは、文体を変えておられることに気づき、ますます興味が湧いた。さらに読み進めるうちに、著作の前文に青空文庫の記述があるのを見て驚き、研究室にお邪魔した。「先生は青空文庫の富田倫生をご存じですか」「いえ、存じ上げません」「ではなぜ、青空文庫のことを?」。世界(中国)のなかで最も多く読まれている日本の本は「青空文庫ですよ」。「彼は亡くなりました」「それはとても残念です。お会いしたいと思っていた方なのですよ」。青空文庫は、日本語を学ぶ世界の人たちの“救いの星”なのだ。「倫生さん、王先生の話は届いてますか」。
 

Profile

王 敏

(Wang Min)  1954年、中国河北省承徳市生まれ。1977年、大連外国語大学日本語学部卒業、四川外国語学院大学院修了。1982年、国費研究生として宮城教育大学で学び、2000年、お茶の水女子大学で人文博士号を取得。東京成徳大学教授を経て2003年より現職。主な著書に『鏡の国としての日本』(勉誠出版)、『日本と中国』(中公新書)、『日中2000年の不理解』(朝日新書)、『謝々!宮沢賢治』(朝日文庫)、『宮沢賢治、中国に翔る想い』(岩波書店)など。