• ホーム
  • 千人回峰
  • 【対談連載】シー・シー・ダブル 代表取締役社長 金成葉子(下)

会社は「村」と同じ一生懸命働きたい人が生きていける場をつくる――347人目(下)

千人回峰(対談連載)

2024/04/12 08:05

金成葉子

金成葉子

シー・シー・ダブル 代表取締役社長

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一
2024.3.7/東京都新宿区のシー・シー・ダブル本社にて

週刊BCN 2024年4月15日付 vol.2010掲載

【西新宿発】金成さんが社長を務めるシー・シー・ダブルでは、山梨県北杜市の農地を借り受けて「ぐーももファーム」を運営している。ここで毎年、1カ月間の新人研修の最終日に、新入社員と配属先の上司が一緒にじゃがいもの植えつけ作業を行うそうだ。金成さんは、種いもを半分に切る係で、その場を仕切る。こうして社長と社員の距離が縮まり、会社全体に一体感が出てくる。「でも、新人に『社長は指示がお上手ですね』と褒められちゃったのよ。社長なのにね(笑)」と金成さん。たしかに距離は近い。
(本紙主幹・奥田芳恵)

2024.3.7/東京都新宿区のシー・シー・ダブル本社にて

村長の家に生まれ
厳しく育てられた少女時代

芳恵 金成さんは東京でシー・シー・ダブルの経営をされながら、生まれ故郷の山梨でNPO法人を設立したり、農業DXに取り組んだりしておられます。ふるさとに対する思いが大きいのだろうと感じますが、ご自身はどんな子ども時代を過ごされたのでしょうか。

金成 私は5人きょうだいの4番目で、兄と双子の姉がいて、末っ子が弟という家族で育ちました。男の子が2人いたので、割合と気楽な立場でしたね。

芳恵 親御さんはどんなお仕事を?

金成 うちは代々、村長の家でした。そのため、地元にいた高校生のときまでは地域の人たちに守られた存在でしたが、反面、「人のために生きなさい」と教えられてきたので、両親は厳しかったですね。

芳恵 村長の子どもだけに、自分を律したり、優等生でいなければいけなかったりするわけですね。

金成 優等生にならなければとは思いませんでしたが、そういうことは自然にできましたね。だから、周囲の大人たちからは「先祖の徳であなたは生かされている」と言われました(笑)。

芳恵 いやいや、自然と努力されたのだと思いますよ(笑)。さきほど、ご両親は厳しかったとおっしゃいましたが、お母さまとお父さまはそれぞれどんなタイプでしたか。

金成 母は「女の子でも前に出なさい」と言ってくれて、「勉強しなさい」とは言いませんでしたが、私がやろうとしていることを応援して、後押ししてくれるタイプでした。父は、「学校で何か賞をとってもうぬぼれるな」と言うようなタイプで、私が会社をつくったときも「山梨には来るな。親族は巻き込むな。資金は一切貸さない。事業をやるなら全部自分でやりなさい」と突き放すタイプでした。

芳恵 お父さまは、ほんとうに厳しいですね。

金成 だから山梨に出入りするときは、内緒でした。
2012年からお手伝いしている山梨ICT地産地消フォーラム(現・地方創生山梨DXフォーラム)も昨年で11回目を迎えましたが、最初にお引き受けするとき、新聞の取材で「ふるさとに泥だけは塗りたくない」とお答えしたんです。

芳恵 それはやはり、お父さまの厳しさが念頭にあったからなのでしょうね。

金成 周りの人たちからは「ふるさとに泥を塗らないじゃなくて、故郷へ錦を飾る、ではないの?」と言われましたが(笑)。でも母は、その新聞記事の切り抜きをずっと大切に持っていました。だから亡くなったときは、それをお棺に入れてあげたのです。
 

人を大事にすれば
人からも大事にされる

芳恵 ビジネスの話に戻りますが、創業当初の顧客開拓はどうされていたのですか。

金成 経営についてわからないことだらけだったので、みなさんが助けてくれたというお話をしましたが、そうした伝手もあって、初めから大手企業の仕事ばかりいただくことができました。というか、信用調査や取り立てをしないですむ大手としか取引ができなかったんです。

芳恵 でも、ふつうだったら大手企業は創業したばかりのベンチャーとはなかなか取引してくれないですよね。

金成 そうですね。だから、創業時から「技術だけはナンバーワンであれ」ということをモットーにしてきました。現在も、発注メーカーのエンジニアと少なくとも対等かそれ以上の実力を持ち、顧客にアドバイスできる会社でなければならないというスタンスで仕事をしています。

芳恵 そういう姿勢で仕事にあたっていたからこそ、金融機関も金成さんのことを認めて、お金を貸してくれたのかもしれませんね。

 ところで、技術力以外で経営者として大事にしていることはありますか。

金成 論理的に問題を整理して素早く決断し、行動に移すことですね。昔から「下手の考え休むに似たり」と言いますが、同じことをグズグズと考えてもいいことはありませんから。

 ただ、私は人が好きなので、人の意見を聞くことも大事にしています。でも、周囲の人に言わせると、心配だから何かと手を差し伸べたくなるんだそうです(笑)。

芳恵 だから、金成さんの周りには人が集まってくるのですね。

金成 人を大事にすれば、人からも大事にされるのだと思いますね。あと、私の心に残っているのが「トップの凄い頭脳だけで会社がもつわけではなく、いろいろな人がいるなかでバランスをとり、そういう人たちを賄ってこそ会社である」という松下幸之助さんの言葉です。

 私は、会社は「村」だと思っています。一生懸命働きたいと思う人が生きていける構造をつくることが、私にとっての会社経営の基本だと考えているのです。

芳恵 そういうところは、金成さんが実際に生まれ育った「村」と「村長」という存在がオーバーラップするのでしょうか。

金成 そうですね。そういう場で、みんなで助け合ってやっていくというところは共通していると思います。だから創業1年目から、私は1年間の育児休業制度をつくりました。でも、当時は子どもができたら辞めていく人のほうが多く、その点は残念でしたが……。

芳恵 70年代に育児休業を実現させるというのは、とても画期的ですね。最近、ようやく育児休業をとることが当たり前になってきたことを考えると、まさに先見の明があったのですね。

 ところで、創業して半世紀の区切りが近づいていますが、今後、金成さんはどんな活動に力を入れていかれるのでしょうか。

金成 50年近くやってきても、ベンチャーの精神を失うことなくやっていきたいと考えています。具体的には、グローバル・サポート・サービスのプロ集団になりたいですね。

 また、NPO活動や地域貢献の側面からは、「U-16山梨プログラミングコンテスト」や「セキュリティ・ミニキャンプin山梨」から、次代を担う優秀な技術者が出てくることを期待しています。それから農業分野でも、たとえば無農薬ワイン農家を支援する「モールド・アイ」というシステムを開発しており、農業DXの推進にも寄与していきたいと考えています。

芳恵 やることは、まだまだたくさんありますね。これからもご活躍される姿を見て、いろいろと勉強させていただきます。
 

こぼれ話

 5年ほど前、初めてシー・シー・ダブルに金成葉子さんを訪ねた。エネルギッシュに未来を語る金成さんに、少し圧倒された記憶がある。「きっとこれからも勉強になると思うよ」とBCN創業者の奥田喜久男は帰り道、私に言った。あれから、私は社長という立場になり、一人娘の親となり、金成さんと似た環境に身を置くことになった。同時に、日本コンピュータシステム販売店協会で理事を務めることになり、お会いする機会がずいぶんと増えた。そのたびに、声をかけていただき、仕事と育児の両立を応援してくださっている。「バッグはどんなの使ってるの? 荷物が多くて重いわよね」。そんな他愛もない会話でも心が温かくなり、嬉しい。この「こぼれ話」でもたびたび吐露しているが、仕事と育児の両立は、日々試行錯誤である。もう1人の自分を何度登場させたいと思ったことか…。訪れる先々で「女性経営者」と見られるシーンには、よく遭遇する。ただし、業界には金成さんのような先駆者が存在する。それだけで、本当に心強く、活力になっている。

 メーカー勤務をしていた当時は、女性が残業することはできなかったそうだが、金成さんは、男性社員と同じように残業したのだそう。帰る際は、男性たちが金成さんを囲んで守衛さんに見つからないように隠してくれたのだとか。そんなエピソードからもわかるように、一生懸命でひたむきな金成さんの姿を見ていると、ついつい手を差し伸べたくなる。大胆にもやりたいことにひょいっとチャレンジしてしまう、ちょっと危なっかしさのようなところがありつつも、強い思いと仕事に取り組む真っすぐな姿勢は、金融機関の方々の信用を獲得するにも十分だっただろう。創業間もない金成さんをそう想像する。

 シー・シー・ダブルの歴史を教えてもらいながら、いくつか金成さんのお写真を拝見することができた。どれも仲間との素敵な笑顔の写真だ。1枚の米国研修の写真を見ながら、「この時、大変だったけど、お金をかき集めて行ったの」と笑いながらおっしゃった。どんな状況にあっても学び、そして尽きることのない探求心と行動力にまた驚かされるのであった。「グローバル・サポート・サービスのプロ集団になる」と宣言された金成さん。一つの村を構成するように、志を同じくした仲間とともに歩む姿を、まだまだたくさん拝見し、学んでいけたらと思う。
(奥田芳恵)


心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第347回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

金成葉子

(かなり ようこ)
 1952年、山梨県山梨市生まれ。大学卒業後、メーカー勤務を経て、78年11月、株式会社シー・シー・ダブルを設立。代表取締役社長に就任。NPO法人山梨ICT&コンタクト支援センター理事長、日本コンピュータシステム販売店協会(JCSSA)理事などを務める。