簡単にわかったつもりになってはいけない。だから迷子になって探し続ける――第345回(下)

千人回峰(対談連載)

2024/03/15 08:00

広井王子

広井王子

マルチクリエーター

構成・文/小林茂樹
撮影/大星直輝
2024. 2.7/東京都千代田区のサードウェーブ本社会議室にて

週刊BCN 2024年3月18日付 vol.2006掲載

【秋葉原発】総合演出を手掛ける少女歌劇団ミモザーヌには、特待生1名、選抜7名がいる。その優秀なメンバーと広井さんは、毎週メッセージのやりとりをしているという。その多くが「この本を読みなさい。この映画を見なさい。この美術展を見てきなさい」という内容で、個別に感想を求めるという。「中高生とメッセージのやりとりができる幸せな70歳」と笑うが、「本物」を見聞することで俳優や歌手としての感性や思考を磨くという意味からは広井さんがたどってきた道と重なる。あくまで本物志向なのだ。(本紙主幹・奥田芳恵)

2024. 2.7/東京都千代田区のサードウェーブ本社会議室にて

修正や変更は「ダメ出し」とは違う

芳恵 広井さんのお話を聞いていると、いろいろなアイデアがどんどん湧いてきて、枯渇することがないように思えますが、その源泉は何なのでしょうか。

広井 常に、目の前のこと、身の回りのことが「面白い」かどうかをジャッジしているんですね。常にその「面白い」をいっぱいためている状態で、プロデューサーと話をすると、それに触発されてアイデアがどんどん出てくるんです。

芳恵 自然にアイデアが湧いてくるのではなく、外からの刺激によって「面白い」が動き出す感じなのですね。

広井 自分1人では、面白いことがあってもそれを作品にするということはありません。ところが、プロデューサーが突っつけば突っつくほど、それに呼応してアイデアが出てくる。だから修正や変更の要求にも「その手があったか!」と嬉々として応じます。だから、遊ばせてもらっているところも多分にありますね。

芳恵 修正や変更は、ダメ出しではないと。

広井 もちろんです。「ダメ」なんて誰も言いません。作品をよくしようとしているだけです。私がそれまで気づかなかった方法をプロデューサーが提示してくれて、それが自分にとって新しい発見になります。だから、とても楽しいんですよ。

芳恵 そうした作品は、個人ではなくチームでつくり上げていくわけですよね。広井さんにとっていいチームとは、どんなチームですか。

広井 やはり、チームの中核となるプロデューサーのタイプで決まりますね。

芳恵 いいプロデューサーというのは、どんなところが優れているのですか。

広井 雑談をするプロデューサーですね。たとえば「初恋はいつ?」と聞いて話題を転がしたり、「みんなで銭湯に行こうぜ!」というようなコミュニケーションがとれること。その雑談からスタッフのバックボーンを知り、それとともに目指すものづくりの方向が見えてきます。ダメなプロデューサーはすぐ仕事に入ろうとしますが、それは机上の仮想ゴールを目指しているだけで、実際には何も見えていないままものづくりをスタートさせようとしているにすぎません。それでは面白いものなどできないでしょう。

 雑談の中からこそ一つの方向性が生まれ、それを敷衍したり連鎖することで実際のものづくりにつながっていくものなのです。

芳恵 作品づくりの中で妥協されることはあるのですか。

広井 妥協することは、果てしなくあります。ただ、妥協というと作品をダメにしているイメージがありますが、そうではありません。芯は変えずに別の方法論を見つけていかなければならないので、実は大変なんです。だから私にとっては「妥協」ではなく、骨の折れる「柔軟な変更」ですね。

少女歌劇団の演出も
青春映画のプロデュースも

芳恵 広井さんは、少女歌劇団ミモザーヌの総合演出も務められていますが、どんな経緯で引き受けられたのですか。

広井 吉本興業前会長の大崎洋さんから打診されたものの、「できません」と答えました。かつて宝塚も松竹も「少女歌劇団」を名乗っていましたが、「少女」である20歳までの期間ではあまりに短く、その劇団名から「少女」を外しています。だから無理だと。そうしたことを長いレポートにまとめて大崎さんに渡したところ「面白い、やろう!」と(笑)。

芳恵 強引に押し切られてしまったのですね。

広井 まず、入団できるのは11歳からで、20歳で卒団と決めました。教育期間は3年間。そこで初めて舞台に立てるわけです。ロンドンの大学で演劇を学んだ知り合いにそのメソッドをまとめてもらったり、スポーツコーチングの本を取り寄せて食事や身体分析についても学んで、専門家の助言ももらいました。このメソッドは毎年アップデートしていますが、とにかく最低1年はケガをしない身体をつくるため、ひたすら体幹を鍛えることに費やします。

芳恵 その話をお聞きしただけで厳しさが伝わってきますが、辞めてしまう子はいないのですか。

広井 20人入団しても、6、7人しか残りません。友だちと遊んでいる時間もなければスマホをいじる時間もないストイックな生活に耐えられるのは、本当に歌やダンスが好きな子だけです。

芳恵 本物の舞台をつくりあげるには、そうした原石を磨き上げることが求められるのですね。ところで、広井さんはついに、昔から大好きだった映画づくりにも携われたのですね。

広井 3月8日公開の『PLAY!』という青春映画です。eスポーツを扱った日本初の映画で、サードウェーブの尾崎健介社長からお話をいただいたのですが、当初はお断りしました。
 

芳恵 また断ったのですか。

広井 たいていの仕事は、一度お断りしているんです。その障害を乗り越えて、それでもやってくれという方だとやらざるを得ないというか(笑)。

 私はこの映画に企画・プロデュースという形で参加しましたが、メガホンをとった古厩智之監督の手腕には感服しました。古厩監督の編集のタイミングを見ていて、なぜそこで切るのかわからないのですが、後で見るとよくわかる。私は学生時代、映画監督に憧れて映画サークルに入りましたが、とてもかなわないと思いましたね。

芳恵 ここまでお話をうかがって、広井さんが多くの仕事を経験されてきたとともに、さまざまな人との出会いが人生の彩りを豊かにしてきたのだろうと感じます。

 実は、この対談企画のバックボーンには「人とは何ぞや」という大きなテーマがあるのですが、広井さんにとって「人」は、どのように表現されますか。

広井 迷子です。ずっと自分が何者であるか探し続けてきましたが、70歳になったいまもずっと迷子のままです。

 そして仕事でチームを組んでも、スタッフたちと一緒に迷子になって進むべき方向を探るのは毎度のことです。でも、もともと結論やゴールなど見えないものであり、簡単にわかったつもりになってはならないと思います。だから人は、むしろ迷子の状態にあることが、一番いいのではないでしょうか。

芳恵 迷子でいいんですね。とても腑に落ちるお話です。これからもお元気で、新しく面白いものをどんどんつくり続けていただきたいと思います。

こぼれ話

 「天外魔境は不朽の名作ですよ!」「すごいハマりました!」。広井王子さんとの対談を聞きつけた社員たちが、次々と自分の青春を語り出す。おかげで、広井さんが手掛けたゲームに関する事前情報はすっかり頭に入った。いや…むしろ入れ過ぎた感がある。そんなみんなの熱い思いを胸に、いよいよ広井さんと対面する。人々の心に強烈な印象と思い出を刻み込む作品を世に送り出した人物とは、いったいどんな方なのだろう。間合いをはかりながら、少しずつその深淵に迫ろうと思ったが、そんな猶予はない。話し始めると、たちまち広井さんの世界が広がる。広井劇場へようこそ!といった感じだ。長年ラジオパーソナリティーを務めてこられ、聞き手の心をつかむプロなのだ。もう、この世界観にはまって、自然な話の流れに身を委ねようと、自分の頭の中を早々にリセットしたのだった。

 実は、広井さんは今回の対談相手を男性だと思っていて、内容もゲームや映画の話が中心だと思っていたようだ。そんなところに私がやってきて、「『人とは何ぞや』という壮大なテーマがあって、その解を探っています」なんて言うものだから、抱いていたイメージが崩れて、頭の中はぐちゃぐちゃになったそう。しかし、そんな変化や意外性が、むしろとてもワクワクするのだとか。相手からの刺激で自分は何を思うか、何が出てくるのかを時に客観視しながら、その時その人との偶然性を楽しんでおられるように見える。

 「本当は家から出たくないんです。1人でいたいんです。」とおっしゃる広井さん。さまざまな「面白い」をコツコツ自分の中にためながら、必要とされたときに、チームでその「面白い」を探り集めながら具現化していく。作品づくりに対しては、少ししつこいくらいの情熱が垣間見える。一度断って引き下がるような依頼者とは、きっとこの情熱を共有できないだろうなと、広井さんがオファーを一度断るのにも少し納得できる。

 70歳にして迷子――。それはきっと、広井さんがずっと未来を見ているから言えるのだと思う。さて自分がその年齢になった時、迷子になって何かを探し続けていられるだろうか。たどり着いたゴールに満足して、歩みを止めていないだろうか。「人とは何ぞや」の解に近づきたくて行脚しているのに、また一つお題をもらって帰ってきてしまったような気がする。「自分は何者か」と。
(奥田芳恵)
 
 
心に響く人生の匠たち
 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第345回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

広井王子

(ひろい おうじ)
 1954年2月、東京生まれ。立教大学法学部中退。76年、レッドカンパニー(現レッド・エンタテインメント)を設立。ゲーム『天外魔境』シリーズ、『サクラ大戦』シリーズなど、数多くの作品を生み出した。ゲームやアニメーションのプロデュース、原作にとどまらず、小説家、作詞家、舞台演出など、幅広いフィールドで活躍している。