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「伊勢から世界」を合言葉にビールはひとりで楽しむものじゃないからさ――第329回(下)

千人回峰(対談連載)

2023/06/09 08:10

鈴木成宗

鈴木成宗

伊勢角屋麦酒(有限会社二軒茶屋餅角屋本店) 代表取締役社長

構成・文/浅井美江
撮影/笠間 直
2023.2.22 /伊勢角屋麦酒本社にて

週刊BCN 2023年6月12日付 vol.1972掲載

 【伊勢市発】鈴木さんの執務室には大きな世界地図がある。グリニッジ天文台が中心にあるスタンダードな世界地図だ。日本がいかに極東にあるかがよくわかる。伊勢に根っこをしっかり張りながら、鈴木さんはもの造りの基準を世界に置いて、日本のビールを面白くすることに挑み続けている。ジャンルや攻守の方法は異なれど、鈴木さんの仕事に対する姿勢には、400年を超えて連綿と続く餅屋の魂(たましい)が、しっかりと受け継がれているように思う。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2023.2.22 /伊勢角屋麦酒本社にて

最短ルートで勝つために
ビールの国際審査資格を取得

奥田 伊勢角屋麦酒は、2016年頃からいろいろな大会で優勝するようになったというお話がありました。世の中やお客様に対して真摯に向き合う、妥協をしない姿勢以外に、何か講じられた手立てはありますか。

鈴木 実は私、創業した年にビールの国際審査資格を取得したんです。5年で世界大会に優勝するための最短ルートは、審査する側に立つことかと考えて。

奥田 審査員になるにはどうすれば?

鈴木 当時は、日本地ビール協会が開催する講習を受けて、実技と筆記試験に合格すると資格が得られました。そこから国内の審査会で経験を積みました。

奥田 ふむ。鈴木さんは勝ち方を知っていらっしゃいますね。実際の審査はどんなふうに行われるんですか。

鈴木 大会によりますが、例えばビール界のオスカーと呼ばれるThe International BrewingAwards(IBA)では、毎回50人の審査員が5~6人ずつ一つのテーブルを囲み、番号だけが振られている容器のビールを飲みます。各自審査をした後、テーブル全員でディスカッションして順位を決めるんです。

奥田 審査の着眼点がわかってきますね。

鈴木 はい。長く務めていると「あの審査員なら、このビールをこう評価するな」ということがだいたいわかるようになります。

奥田 印象に残っている大会はありますか。

鈴木 あります!すごい経験でした。こんなことがあるのかと本当に驚きました。1999年に初めての国際大会でアメリカに行った時のことです。

奥田 何やらワクワクしてきました(笑)。

鈴木 宿泊するホテルでルームシェアすると無料になるというルールがあって、当時は困窮していた最中でしたから、もちろんシェアを選んだら、なんとルームメイトがフレッド・エクハード氏! 自家醸造のバイブルと呼ばれる『世界ビール大百科』の著者で、クラフトビール界のレジェンドです。

奥田 え!? そんなレジェンドとルームシェアですか。

鈴木 ですよね。私もびっくりして理由を尋ねたら、返ってきた答えが「ビールは1人で楽しむものじゃないからさ」でした。

奥田 おお。かっこいい…。

鈴木 いやもう本当に感動しました。大会期間中、審査が終わると部屋に戻って、彼と議論を交わして。絶対に忘れられない経験でした。

奥田 そういう巡り合わせみたいなことは、鈴木さんが呼ぶのでしょうかね。

鈴木 どうなんでしょう。ただ、ありがたいことに人に対する運みたいなものはすごく強いと思います。これまでにもいろいろな方に目をかけていただきました。創業後、長く窮地にいた私に「あなたは必ず成功する人だ。今は自信が持てないかもしれないが、必要なのは“過信”だよ」と励ましていただいたこともあります。

奥田 ああ、いい言葉をいただきましたねえ。

鈴木 その方からはロールスロイスをいただいたんです。「あなたにツキをあげよう。僕のクルマでツキのいいのがあるから取りにいらっしゃい」と。

奥田 ええ!? そんなことが現実に…。

鈴木 はい。「こういうクルマに乗る人が何を考えているのか、わかるようにならないといけない。1日も早くこのクルマに似合う人になりなさい」とも言われました。
 

おいしいビールは
人種も言語も宗教も越える

奥田 最近の動きについて教えていただけますか。

鈴木 インドのバラナシというヒンドゥー教の聖地で、当社ブランドのビールを製造・販売することになりました。今春からテストマーケティングが始まります。

奥田 バラナシ? インドのどのあたりですか。

鈴木 (立ち上がり、壁に貼ってある大きな世界地図でバラナシを示して)こちらです。ガンジス川のすぐ近く。
 

奥田 現地の会社と組まれるんですか。

鈴木 はい。建築会社の4代目でいろいろな事業をバラナシで営まれている会社です。ご子息がクラフトビールの製造をされるので「力を貸してほしい」と、社長ご自身がここにおいでになりました。

奥田 どなたかのご紹介だったんでしょうか。

鈴木 テキスタイル事業で日本の企業とも30年以上仕事をされているそうなんですが、その方々に「日本のクラフトビール業界で一番信頼できる会社はどこ?」と尋ねたら、うちの名前が挙がったと…。

奥田 それはすごいことです。

鈴木 日本人の気質や、ものづくりに対する丁寧さが大好きだとおっしゃって、「鈴木さんには初めてお会いするが、無条件で信頼します」と言われました。

奥田 それもまたすごい言葉ですね。鈴木さんもインドにいらしたんですか。

鈴木 行きました。昨年の暮れです。社長の自宅に泊めていただいたんですが、ある朝2人で小舟をチャーターしてガンジス川の夜明けを見に行ったんです。

奥田 ほう。なかなかできない経験です。

鈴木 バラナシと伊勢、それぞれの神様の聖地で育ったことや、家業を継承しつつ新しい事業も始めていることなど、彼とは共通項が多いんです。敬神家で神様に対する感覚も同じで。「僕たちの子どもの時代まで続くようないい仕事をしようね」と話し合いました。

奥田 いい出会いをされましたねえ。

鈴木 はい本当に。国境を越えて人に出会えました。

奥田 ほかにはどんな動きが?

鈴木 昨年、クラウドファンディングを活用して「幻のビール」と呼ばれるビールを造りました。ビールをタンクごと凍結させる非常に醸造難易度の高い製造方法で造るビールです。

奥田 どんな味わいになるんでしょう。

鈴木 凍結することで味や香りが凝縮され、芳醇で濃厚なウイスキーのような深い味になります。それをホワイトオークの樽でさらに時間をかけて熟成させていきます。

奥田 もはや通常のビールとは別次元のものですね。造りたいと思った理由は?

鈴木 私たち伊勢角屋麦酒の目指すところに「日本のビールをおもしろくする」というのがあります。そのために世界で通用する最高の本物を造り続けたいという思いと、6000年のビールの歴史の中で誰もやらなかったことに挑戦したいという思いがあります。今回の取り組みはその一つでした。

奥田 なるほど。そういうビジョンがあるんですね。

鈴木 おいしいビールがある場では、人種も民族も言葉も言語も宗教も越えて、人の環ができるのを見てきました。私たちは「伊勢から世界へ」を掲げて、日本のビールをもっと面白くすることに挑戦していきたいですね。

奥田 今日はたくさんの興味深いお話をありがとうございました。僕は大学が伊勢なので、身体のどこかに伊勢の刻印が押されているところがあります。鈴木さんのような方が、伊勢で頑張っておられるのは本当にうれしい。では、ご実家の二軒茶屋餅を食べて帰ります(笑)。
 

こぼれ話

 「やんちゃ坊主の21代目経営者」、おんとし56歳。対談を終えて、工場を兼ねる本社オフィスを辞去する。改めて建物を見渡す。なるほど、個性的だ。一にも二にも経営姿勢を訪問客に情報発信する想いが伝わってくる。工場の壁面を透明ガラスにして、製造現場の工程を訪問客に披露し、ありのままを伝える。鈴木成宗(なりひろ)社長の話を聞いて、印象が濃厚に残っている今、「なるほど、なるほど…」とうなずいてしまう。それも細部にわたって成宗さんの経営の要素がぷんぷんと匂う。

 社長室は2階にあった。社長机にはパソコンと、読了されたのであろう本が無造作にうずたかく積み上げられている。多分、今年1月からの読了本であろう。このペースだと、年内にはさらに“ふた山”ほどできそうだ。壁面には世界地図。中央には応接セット。飾り気のない部屋だ。対談を終えてジャケットを脱いだら、着慣れたTシャツ姿が現れた。もう10年はおつき合いしている空気感が漂う。仕上がった写真を見ると、私のほうがお澄ましをしているように見える。緊張していたのかなぁ~。

 成宗さんは言う。「伊勢神宮の鎮座する『伊勢』はブランドです」。その伊勢を二軒茶屋餅の屋号の角屋につけて「伊勢角屋麦酒」を商品名にした。伊勢神宮の創建はざっと2000年前、角屋は戦国時代。いずれも歴史の風格を備えている。伊勢に餅屋は多い。それは参宮客が全国から集まるからだ。津、松阪方面から伊勢に向かう伊勢街道筋には「へんば餅」。内宮、外宮には「赤福」。両宮から夫婦岩で有名な二見興玉神社に向かう街道筋には「二軒茶屋餅」。いずれも美味しい。きな粉の好きな向きには二軒茶屋餅をお勧めします。

 さて、ここからは伊勢の思い出にふけるとしよう。伊勢との縁は18歳からだ。岐阜市で育った私は高校の頃から柳ヶ瀬に出向いては大人の真似事をしていた。今にして思えば、ほんの入り口だ。これを粋がるというのだろう。鈍行列車に乗って、岐阜駅から琵琶湖のある彦根まで遠征した。振り返ると、授業の風景よりも喫茶店や車窓の様子が目に浮かぶ。成宗さんのやんちゃは陽性、私のは真逆の感がある。伊勢での生活は寮だ。のちに津別神社の宮司になられた阿部賀延先輩との思い出が多い。寮生になって先輩から最初にご馳走になったのが、二軒茶屋餅だ。きな粉が好きだからお代わりをした。「授業にはちゃんと出ろ」と言われたが、出席日数はギリギリで、真面目な先輩とそうでない後輩の関係だった。先輩が50代で亡くなるまで、親しい関係が続いた。BCNの開所式には、東京までお祓いに来ていただいた。伊勢と阿部先輩と二軒茶屋餅はあの時の針に横並びにぶら下がっている。そんな二軒茶屋餅の21代目との対談が実現し、それを終えてのち、18歳の時に座った同じ場所で、二軒茶屋餅を食べた。うまかった。昔のままの風景だが、同席者は伊勢出身でライターの浅井美江さんだ。お互いに別の思いにふけっているようだった。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第329回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

鈴木成宗

(すずき なりひろ)
 1967年、伊勢市生まれ。天正3(1575)年創業の「二軒茶屋餅角屋本店」21代目。東北大学農学部食糧化学科卒業後、94年、伊勢に戻り家業を継承。97年より「伊勢角屋麦酒」として、地ビール製造販売とレストラン業に着手。自身の給料ゼロ円など暗黒時代を経た後、「ビール界のオスカー」といわれるイギリスのクラフト麦酒国際大会(IBA)で3大会連続の金賞受賞をはじめ、数々のコンテストで受賞。2017年3月、野生酵母の研究で博士号取得。東北大学時代は防具空手道部で主将を務める。著書に『発酵野郎!』(新潮社刊)。