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  • 【対談連載】東京理科大学 特任副学長 医師・医学博士 向井千秋(上)

人にとって大切なのは 誰も盗めない内面の美しさを磨くこと――第309回(上)

千人回峰(対談連載)

2022/07/01 08:02

向井千秋

向井千秋

東京理科大学 特任副学長/医師・医学博士

構成・文/小林茂樹
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2022年7月4日付 vol.1929掲載

【東京・神楽坂発】
ひょんなことで、気持ちのスイッチがオンになることがある。向井千秋さんにお会いし、対談前に型通りの名刺交換をした。すると私の名刺を見た向井さんが「亡くなった父の名前と同じです。懐かしいなぁ」とおっしゃった。漢字もまったく同じ「喜久男」なのだそうだ。私自身、取材の場で「喜久雄」さんにお会いしたことはあるが「喜久男」さんは初めて。実際にお父さまにお会いすることはかなわないが、何かこのご縁が対談をより充実したものにしてくれる気がした。そして、その予感は見事に的中した。
(創刊編集長・奥田喜久男)

弟の難病をきっかけに
医師になって人を助けたいと思う

奥田 向井さんのご経歴や業績については多くの人々が知るところですが、今日はそうした仕事を成し遂げるに至った、人生の分岐点での選択や決断といったことを中心にうかがいたいと思っています。まず、医師という職業を選んだきっかけについてお話しいただけますか。

向井 子どもの頃、弟が大腿骨壊死という病気になり、装具なしでは歩けなくなってしまったことがきっかけです。私たちは群馬県館林市に生まれ育ちましたが、地元の整形外科の先生からこの病気は東大病院で診てもらわないと治らないといわれ、私も荷物持ち役で一緒についていきました。このとき、自分も医師になって人を助けたいと思ったのです。

奥田 それは何歳くらいのときのことですか。

向井 7、8歳の頃ですね。

奥田 優しいお姉ちゃんだったのですね。

向井 優しいかどうかわかりませんが、遊び盛りの弟が、病気のために友達と一緒に遊べないのがかわいそうだと思ったことが、医師を志すことにつながりました。

奥田 なぜ、外科に進まれたのでしょうか。

向井 自分が医師になったとき、目の前で倒れている人を助けられなかったら後悔すると思ったからですね。当時は外科の仕事が最もハードで、研修医もいまのブラック企業並みに働いていました(笑)。でも私は、その一番ハードな外科で、知識だけでなく手術や麻酔、ケガの処置といった技術も身につけようと考えました。いわば手に職をつけようと思ったんです。

奥田 一番大変なところで修業すれば、どこに行っても困らないと。

向井 そうですね。それから、外科は私の性格に合っていたのかもしれません。

奥田 それはどんな性格ですか。

向井 たとえば救急車が病院に到着すると、真っ先に走っていくようなタイプです。

奥田 文字通り、フットワークがいいタイプなのですね。

向井 当時は同じ病院の医師でも、内科医と外科医を比べると、服装も歩く速度も違うんです。内科医の先生はスーツの上に白衣を着ていたりして、患者さんを落ち着かせるようなゆったりとした態度をとることが多いのですが、外科医は救急搬送されてきた患者さんへの対応や手術も頻繁にあるので、ベン・ケーシースタイルの白衣だけをまとい、常に速足で移動するような感じでした。

奥田 実に忙しそうですが、いきいきとした感じが伝わってきます。

向井 私はずっと競技スキーをやってきたのですが、同僚の外科医は私と同じような体育会系気質の人が多く、一緒に仕事をしていて楽しかったですね。

生きてさえいれば誰もが美しい

奥田 ところで、医師は人の生死に直接かかわる職業ですが、当時そうしたことについて何か思うところはありましたか。

向井 医学生の時代や医者になって間もない頃、自分と同じくらいの年齢の患者さんが亡くなったり、生まれてからずっと病院で過ごし、外の世界を知らずに死んでしまう子どもの姿を目の当たりにして、どうして自分は生きていて、その生きている自分の役割はなんだろうかと自問自答したことがありますね。

奥田 医師になってからとはいえ、まだ感受性が豊かな時期ですものね。

向井 その後、「宇宙飛行士になって人生観が変わりましたか」という質問をよく受けましたが、人生観という意味では、医学生時代のほうが大きな影響を受けたように思います。私は物事にあまりこだわりを持たない人間なのですが、こだわるとすれば「生きていなければダメだ」ということに尽きますね。

奥田 宇宙に行ったことが、人生観が変わるきっかけではないと……。

向井 そうですね。私が医学生だったときは3年から本格的な医学教育が始まったのですが、そのなかで解剖の実習はとてもインパクトがあるものでした。

 6、7人の学生が一人のご遺体を担当して実習を行うのですが、なかには泣き出してしまう女子学生や自分には向いていないと医師の道をあきらめた男子学生もいました。

奥田 話には聞きますが、そうした実習は医師になるための大きな関門なのでしょうね。

向井 解剖実習は人体の部位ごとに行うのですが、顔の解剖をする際、皮膚を剥ぐと、どのご遺体の顔も私には同じように見えたのです。

 生前、どんな美男美女であっても、亡くなって眼の光が失われればその魅力も失われます。逆にいえば、生きてさえいれば、凛とした眼の光がそこに湛えられていれば、誰もが美しいんです。このときから私は外見にこだわらなくなりました。だから、着飾るようなことはありません。相手に不快感を与えなければ、それでいいと思っています。

奥田 それは、とても説得力のあるお話ですね。

向井 まさに「一皮剥くと」みんな同じなのかもしれませんが、外面を剥ぎ取られたとしても誰にも盗まれることのない内面の美しさや教養などを身につけることにお金をかけたほうがいい。どんなにきれいな服もやがて古くなって朽ちてしまうし、高価な宝石を身につけても盗まれたらおしまいです。だから、若い人たちには「人が盗めないものを身につけなさい」と話しています。

奥田 向井さんの人生観や価値観は、医学生時代に培われたのですね。でも、医学生がみんなそうした思いを抱くわけではないですよね。

向井 いいえ、口に出さないだけで、みんな何らかの思いを持っているはずです。医学生も高校を卒業して間もない若者ですが、そんな時期に人の生命に向き合う経験をすれば、人によりその内容は異なるとはいえ、内面に変化が起こるのではないかと思いますね。

奥田 解剖実習だけではないでしょうが、そうした特異な経験をすることで、自分の内面を見つめなおすことができたのでしょうね。

向井 医療従事者以外の方でも、たとえば病院でボランティアをしてみれば、自分にとっては些細なことでも、それを当たり前にできることが幸せであることに気づくはずです。

奥田 なるほど、それも一つの価値観の転換といえますね。(つづく)

愛用のファスナー付きの
保存袋

 画像は、着用する予定だったジャケットとスカーフを詰めた保存袋。世界中を飛び回る向井さんにとってこの保存袋は必須のアイテムだ。そして、日々やるべきことのチェックリストも、医師時代から関連資料とともにその日ごとにこの袋に入れて漏れを防いでいる。透明で中身が一目で確認でき、軽量なため、実はNASAでも使われているすぐれものなのだ。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第309回(上)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

向井千秋

(むかい ちあき)
 1952年、群馬県館林市出身。77年、慶應義塾大学医学部卒業。同年、医師免許取得。同大学医学部外科学教室医局員として大学およびその関連病院での診察に従事。85年、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構、JAXA)の第1次材料実験・搭乗科学技術者(科学宇宙飛行士)として選定され入社。94年、第2次国際微小重力実験室(IML-2/STS-65)計画でスペースシャトル・コロンビア号に搭乗。宇宙の微小重力環境の下、微小重力科学、生命科学、宇宙医学に関する82テーマの実験を遂行。98年、STS-95宇宙飛行計画でスペースシャトル・ディスカバリー号に搭乗。宇宙医学や生命科学分野の実験を実施。国際宇宙大学教授、JAXA宇宙医学研究センター長を経て、2015年、東京理科大学副学長に就任し、16年より同学特任副学長を務める。

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