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「男たちのピアノパーティ」は池に投じた石のような波紋を起こした――第308回(下)

千人回峰(対談連載)

2022/06/24 08:10

大石修治

大石修治

アートマネジメント 総合プロデューサー

構成・文/高谷治美
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2022年6月27日付 vol.1928掲載

【東京・世田谷区発】大石さんは、ヤマハで広報部副部長、ヤマハミュージック横浜社長を歴任した後、2006年、プロオーケストラである神奈川フィルハーモニー管弦楽団の専務理事として改革を断行し再建に成功された。これは、音楽文化創造の理念を信念として、感動の種をまくことを考案し推進してきたヤマハ時代が功を奏している。組織の軋轢、自社の社長交代劇などに翻弄されながらも、音楽の楽しさを伝えてこられた。その代表的なイベントが『男たちのピアノパーティ』だ。さまざまなシーンで改革を成し遂げてきた大石さんが今目指すことは、地域に根ざした芸術文化活動とそれを担う人材を発掘すること。その思いをうかがった。
(創刊編集長・奥田喜久男)

音楽は感動を届け
人の心を一つにする力がある

奥田 前編で大石さんがヤマハで成功された音楽普及活動『男たちのピアノパーティ』の話が出ましたが、詳しく聞かせてください。

大石 ヤマハの企業理念は「世界の人々の豊かな人生に貢献する」です。その理念を裏付ける具体的な活動でした。

 ピアノを格好良く弾く中高年の男性が主役の企画です。仕事一筋という男たちのグレーなイメージを一新させ、多くのマスコミが報道しました。

奥田 いいですね。

大石 300人から多いときには900人くらいのオーディエンスがいる中で、お父さんが汗びっしょりで緊張してピアノを弾く姿は微笑ましく、家族は祈るように観ていましたね。

 ピアノのアドバイザーは、日本を代表する作曲家宮川泰さんとピアニストの西村由紀江さんでした。始まった当時300人の生徒の数は、5年後には3万人に増えたんです。ピアノは売れましたし夜中にヘッドホンをつけて弾けるサイレントピアノを作ったら、それもまたヒットしました。大人の音楽文化創造の向上に役立ったと思っています。

奥田 皆さんどんな曲を弾くのですか?

大石 自分が好きな曲を選んでいます。『ゴッドファーザー 愛のテーマ』や『戦場のメリークリスマス』など、まったくピアノを触ったこともないお父さんが3~4カ月の練習で完成させます。

奥田 それはすごい。

大石 演奏する方も聴衆も感動します。お父さんたちはステージを降りると満足げで、やりとげた顔ですしね。緊張がとけたあとのビールは、「これほどうまいと感じたことはない」と言ってもらえます。

奥田 わかりますねえ。大石さんも、皆さんの喜ぶ顔を見て、やり甲斐を感じたのではないですか。

大石 そうですね。アドバイザーの宮川泰さんは私に、「人を楽しませるには、まず自分が楽しくならないと……」とおっしゃったことが染み入りましたね。組織の中では翻弄されることが多かったので、この企画は心がなごみ、一緒に楽しむ時間となりました。

奥田 大石さんのように周りを動かし、渦を起こせる人は限られていますよ。今こそ、ヤマハはピアノパーティをやるといいですね。

大石 ある人にも言われました。「あなたは池に石を投げ、石が波紋を作りムーブメントを起こした」と。苦悩の中での企画は自信につながり、今の原点です。奥田 そうですね。組織の中の問題を抱えてご苦労が多かったでしょうから。

 ところで、大石さんはここまで芸術文化活動に命をかけてこられただけに、感受性が強い音楽少年だったのでしょう?

大石 実は私は音楽というよりスポーツマンでした。

奥田 それは意外ですね。では音楽に目覚めたのは、前編でお聞きした『カヴァレリア・ルスティカーナ』っていうことでしょうか。失恋のときに出会ったという……。

大石 そうかもしれません。とにかく、音楽に助けられ、音楽の素晴らしさを感じたわけですから、なんとか音楽で人の役に立つことをやっていこうと思っていました。

 ヤマハに入って30年は子どもから大人まで音楽の普及と向き合っていましたが、特に人間の声、それも子どもの声ほど素晴しいものはなく、こういった感動を多くの方に伝えたいと思いました。

奥田 実は、私も小学校の3~4年のときに学年で2番目に高いキーが出るというので、ウィーン少年合唱団に入ることを夢見たことがあります。でも、あれは変声期が来ると退団しなければならないというのでパッタリとやめましたがね。

大石 そうでしたか。本当に子どもの声には敵いませんよ。そういえば、そういった子どもたち5人を連れてラビン首相のところに招致されて行きました。

信念の人、ラビン首相と交わした
握手は忘れられない

奥田 ラビン首相といえば、イスラエルの。

大石 1995年に奥様のレア夫人が自閉症の子どものためのチャリティコンサートを開催するということで首相官邸の昼食会にゲストで呼んでくださったのです。当時パレスチナと和平交渉をしている最中で反対するデモなどがあり、厳戒態勢でしたが、ラビン首相は子どもたちの演奏を夫人と閣僚そろって聴かれ、平和なひとときを共に過ごしました。しかし、お会いして4日後に同じユダヤ人の原理主義者の若者に射殺されてしまったのです。

奥田 それはショックな出来事でしたね。その後も、イスラエルはいまだにパレスチナとの争いは続いています。もう一歩で和平の実現だったというのに、残念なことです。

大石 目の前で一国の首相が命をかけて和平に臨む勇気ある姿と、握手したぬくもりは忘れられません。日本にいると平和ボケしていますが、音楽普及活動で海外の厳しい環境を垣間見る経験は貴重でした。

奥田 様々な生き方の価値観を知ったのですね。

 前編では大石さんの人生における大きな分岐点をお聞きしました。その一つに洗礼を受けたことがあげられましたが何か変わったことはありましたか?

大石 そのころ、多くの書物を読み、学びましたので、徐々に真理や物事がわかってきました。  

 あるとき、教会でグレゴリア聖歌を聴いて、ふと気がついたのですが、音楽の究極は賛美歌ではないか、と。つまり、西洋の音楽の原点はグレゴリア聖歌にあります。当時の平民は自由もなく、権力に支配され絶望の中でどうやって生きていくかでした。その状況を救ったのが神とキリストによる救いである信仰です。中でも賛美歌は人々の心に希望を与えました。人間の声が、楽器のない時代に音楽を創造したと思います。私はそこにたどりつきました。

奥田 なるほど。音楽の原点ですね。

大石 音楽の原点を身をもって体感したことで、音楽芸術の力をあらためて理解したのです。音楽普及の理念を掲げて今は亡き中興の祖である方の撒かれた種を、不条理として対決していた自分が、この理念を現場で実践し実らせ花を咲かせました。これが皮肉なのか運命なのか不思議な気持ちでいます。

奥田 大石さんが会社を愛し、音楽を愛していたからの行動が理解できますね。

大石 理不尽なる権力との葛藤も今は結果的には素晴しい道を歩み、人生の道標となり、音楽の力を信じ歩んできたことが正しかったのだと確信できます。

奥田 その当時はお感じにならなかったんでしょう?

大石 そうですね。夢中で走ってきて振り返ったらつながっていたのです。

奥田 そういうものかもしれませんね。

大石 あの頃の日本は製造業の発展にともない、メーカー指向でした。本来なら音楽普及(ソフト)を通じ商品(ハード)と共にバランス良く成長できたはずです。「プロデュースと価値創造提案型」の営業スタイルを構築していくことが必要だったのです。現場最前線で感動の種まきをしてきたことが、まさに地域密着の音楽文化創造でした。

奥田 「感動の種まき」これもいい言葉ですね。こういったフレーズを生む人っていうのは特別な才能をもっていらっしゃるんです。それが独り歩きして人を動かして行ったということですから。

 さて、これからの10年はどうされますか?

大石 これまでやってきた経験を地域社会に生かすとともに執筆活動や「音楽文化創造」の研究をしていきます。音楽はわが人生、音楽の力と可能性を信じて全うしたいですね。

奥田 なんとか、大石さんのおっしゃる音楽文化創造活動の理念と芸術文化活動をこの国に根付かせたいですね。10年、20年かかってでも。

大石 特に、子どもたちの創造性を育む芸術教育の大切さを伝え、創造力のある人づくりにつなげ、芸術経営の担い手を育てていきたいと思います。

奥田 大石さんの今の肩書である「アートマネジメント 総合プロデューサー」のことですね。話は尽きませんが、第1ラウンドはこのへんにしておきましょう。その後の話を楽しみにしています。

こぼれ話

 もう何年前になるのだろうか。思い立って、ヘッドホンを購入した。以来、起きている間は歩道を歩いている時もブルートゥースでクラシックを聴き続けている。時折、「何を聴いているんですか」と聞かれる。その際は「演歌ではありません」と答えることにしている。大石修治さんは3年前まで神奈川フィルハーモニー管弦楽団の専務理事の職にあった。レベルの高い管弦楽団の評を聞いていたので、お会いするのが楽しみだった。名刺交換をすると、「平井さんがよろしくとおっしゃってましたよ」。日本フィルハーモニー交響楽団理事長の平井俊邦さんのことだ。2021年1月4日号の『千人回峰』に登場していただいた。お二人は共に音楽界出身の方ではなく、かつ団体が抱えていた負の資産の問題を解消した功労者だ。私はそうとも知らずに、お二人を勝手に頭の中の“お会いしたい方のリスト”に入れていた。願い続けていると、実現するものだな~と不思議に思った。

 「クラシックとの出会いはいつですか」とたずねた。われながら、ずいぶん初歩的な質問だなとは思ったが、ヤマハに長くおられたので、好きなジャンルを特定したかったのである。すると、高校で失恋した時に聴いたピエトロ・マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』とおっしゃった。「もう、まさにピッタリですね」と反応した。その理由はこうだ。20年3月2日のことだ。私は失恋ではなかったが、同じような気分に陥った。そこで出会ったのが“それ”だ。毎日聴き続け、頭の中はルスティカーナが充満している。それでも聴き続け、20年6月29日にビリーアイリッシュの『bad guy』を耳にして卒業した。大石さんが“それ”から抜け出たのはなんだったのだろうか、聞き忘れた。残念なことをした。社会人になってからの話は、ワーグナーばりの相当な力仕事の連続で、企業はもちろんのこと多大な社会貢献をしておられる。子どもはもちろんだが、多くの大人の男たちをピアノ弾きに育て上げたという。それはスゴイ。男女を問わずだが、特にピアノを弾く同性には羨望すら覚える。皆さんはいかがですか。

 音楽と人間の関係は深い。音楽に絞らないで、広義に音と言い換えてもよい。山あいの沢筋を歩いている時の、せせらぎの音は実に心地よい。心が体から抜け出るような気分になる。ところが豪雨の時の沢筋は怖いほどの音量で、恐怖すら覚える。繊細な音、激しい自然の音。私たちの心は音によって左右される。そういえば、私が常に音楽を聴き始めたのはいつ頃からなのか。Apple Musicのアプリを開いてみた。プレイリストの最初に登場するのは、15年5月25日/キースジャレット、ケルンコンサート(1.08)とある。そうなんだ、もう7年になるのだ。そういえば、ソニーのヘッドホンも4台目になる。2年ごとに買い替えているわけだが、新製品が出るから買い替えるのではない。スピーカー上部のアームが破損するからだ。つい最近も4台目にヒビが入った。困ったなと思ったら、具合よく新製品が発売になった。しかしなぁ、高いので購入を逡巡している。まあ、いいか。昨年夏にオンラインミーティング用に入手したAirPods Proで当分我慢しよう。ノイズキャンセリング効果もしっかりしている。片方を外しても音楽が聴け、外部音も聞こえるので街歩き用には安全だ。音楽も楽しいが、ギアを買い替えるのも楽しみの一つだ。もちろん音質も変わる。ではオーケストラが変わると音楽の味が変わるのか。変わるはずなのだが、今のところは、その域には至っていない。ああ、なんて音の世界は深いのだろうか……。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第308回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

大石修治

(おおいし しゅうじ)
 1946年2月、静岡県生まれ。ヤマハ広報部在任中から、大人の音楽文化向上を目指した『男たちのピアノパーティ』などの新しい音楽普及イベントをプロデュース。12年間にわたり、大人のピアノブームを演出して、当初は300人ほどだった生徒数を3万人規模へと全国に広める。仙台支店長、名古屋支店長を経てヤマハ横浜社長となり、各エリアで「地域密着の音楽文化創造」を展開して業績トップ。神奈川フィルハーモニー管弦楽団では12年間、専務理事として経営再建と演奏技術向上を実現。4億6000万円の基金を集め、最大5億円に達した債務超過と借入金を解消し、楽団を救う。子どもから大人まで「音楽文化創造」の現場最前線でプロデュース。日本オペラ振興会常務理事、横浜国立大学教育人間科学部講師、洗足学園音楽大学講師等を歴任。

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