日米の文化や環境を往来する中で、普通でいることの心地よさを得た京都の地――第305回(下)

千人回峰(対談連載)

2022/05/13 08:05

藤田 亮

藤田 亮

Rist 代表取締役社長

構成・文/浅井美江
撮影/長谷川博一

週刊BCN 2022年5月16日付 vol.1922掲載

【京都市発】藤田亮さんは3歳から22歳まで日本とアメリカを幾度も行き来して育ったそうだ。澄んで尖った感性をもつ年頃に得たさまざまな経験から、独自のOSが培われたように思う。両国を通じて京都が一番しっくりくるという藤田さんのOSは、“はんなり”と“Radical”の見事な融合だ。人に会うことでその哲学や行動の深淵に触れたいとの想いから続けている『千人回峰』だが、藤田さんの話は本欄に新しい風を吹き込んでくれた。
(創刊編集長・奥田喜久男)

2022.3.11/Rist京都事業所にて

透明な建築物を一分のスキもなく
組み立てているような数学の美しさ

奥田 藤田さんは大学院で数学・数理解析を専攻されていますが、数学そのものに興味を抱いたのはいつ頃からですか。

藤田 小学校の頃になります。あのー、もはや会社を離れて個人の話になってしまうんですが。

奥田 はい、どうぞ。むしろそれがメインの取材ですから(笑)。

藤田 では、まず生い立ちからお話すると、大阪生まれでアメリカ育ちなんです。父の仕事の関係で3歳から22歳まで、日本とアメリカを行ったり来たりしていました。

奥田 学校の区切りでいうと?

藤田 小学校は転校に次ぐ転校で、日米合わせて5校。中学校が日本で、高校・大学がアメリカです。

奥田 相当せわしないですね。アメリカはどのあたりに?

藤田 ペンシルバニア州が少しと、あとはずっとフロリダ州です。

奥田 そんな暮らしぶりでは、どんな精神構造になるんですか。

藤田 (大笑いして)いやあ、どうなんでしょう。

奥田 ものごとを考えるアルゴリズムはどちらですか。

藤田 えーと……。今はもう日本語ですね。

奥田 日米両国の言語や文化の往来のなかで、数学に出会われた。

藤田 はい。国語や社会は国によって違いますが、数学だけはどこに行ってもほぼ同じ。安定感がありました(笑)。特に好きになったのは高校の時です。

奥田 その理由は?

藤田 「Mu Alpha Theta」という数学クラブに入ったことです。全米の高校や一部の大学にあって、地区大会、州大会、全国大会が開催されるんです。

奥田 いわば「数学の甲子園」ですね。

藤田 そうです。私が通っていた高校は地区大会にも勝てないレベルだったのが、ある時期に優秀な先生が赴任されてめきめき力がつき、地区で優勝、州で優勝するようになり、私が卒業した年には全国2位まで行きました。

奥田 おお、すごい! 感動的ですね。その経験もあって数学がますます好きになった。藤田さんは数学のどこが好きなんでしょう。

藤田 どこが好き、ですか。うーん(しばし黙考)。

奥田 理論性ですか。それとも曖昧な中間部分を解析することが面白い?

藤田 (さらに考えて)美しいんです。純粋数学において言うと、数学は美しい。アートに近いというか、何かこう透明な建築物を一分のスキもなく組み立てているような……。

奥田 「数学が美しい」ことについて、もう少し説明していただけますか。

藤田 数学はある意味、現実世界から切り離された、純粋な理屈の世界のものなんです。一度証明された理論は、後からもっといい理論ができたということが基本的にない。真実であることの安定感があります。

奥田 そういうものですか。

藤田 そして数学の世界では、教授も生徒もみんな対等です。地位や立場に関係なく議論ができて、あるのは理屈上どちらが正しいかだけ。

奥田 うん、うん。

藤田 正しいのであれば、そこには一分のスキもありません。見方を変えれば理論が破綻するとかはなく、どこからどう見ても合っているものが証明として正しい。一切のスキがなくて完璧なんです。

奥田 ありがとうございます。藤田さんがいかに数学が好きか、よく伝わってきました(笑)。

高校でアメリカに戻ったら
耳がアメリカ人で口が日本人だった

奥田 それにしても、藤田さんほどの学歴があれば就職先は引く手あまただったでしょう。

藤田 いえ、とんでもない。今でこそ、データ分析などで数学は重要視されていますが、私の頃は「数学では就職できない」と言われていました。

奥田 あれ、そんな時代でしたか。

藤田 そのうえ、就活のタイミングが悪くて2010年。

奥田 あ! リーマンショックの直後ですね。大手でも従前の一割も募集していなかったという……。そうしたなか、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)に入社された。配属は?

藤田 応募はSE枠で、採用の際「研究部はどうですか」という打診もあったんですが、最終的には経営企画でした。

奥田 ふむ。経営企画ね。

藤田 後日談として、当時の社長から聞いたのですが「藤田の経歴を見たんだが、どの部署に置いたらいいかわからなかった」と(笑)。

奥田 ああ、わかりますねえ(笑)。藤田さんは持っているスペックが高度すぎるんですよ。どう使えばよいかが難しい。

藤田 いやいや……。まあ、でも今、自分が採用する立場になって、気持ちがわかります。

奥田 わかりますか。

藤田 はい。何というか採用はマッチなんですね。スペックが高ければいいものではない。今ほしいレベルというのがあるんだと。改めて自分がなぜこうなったのか、わかるようになってきました。

奥田 アメリカで就職するという選択肢は?

藤田 なかったです。日本が好きなので。日本にいると違和感がないんです。私がいた頃のフロリダは日本人がすごく少なくて、3000人くらいの高校だったんですが、日本人は私だけでした。

奥田 それはまた、少ないですね。

藤田 多少なりともの人種差別は経験しましたし、何かどこに行っても浮いている感じがあって。あと、自分自身の問題も。

奥田 どういうことでしょう。

藤田 小さい頃は問題なかったんですが、高校でアメリカに戻った時、英語が喋れなくなって。

奥田 言葉が出てこない?

藤田 発音がおかしいんです。困ったことに耳は良いままなので、自分の発音が変なことがわかってしまう。

奥田 言うなれば、耳がアメリカ人で口が日本人。うーん。初めて聞きましたね。

藤田 もう本当につらくて嫌で、1年間ほぼ喋りませんでした。まあ、徐々に良くなって友達もできてクラブにも入ったんですが。

奥田 そうでしたね。数学を愛する仲間に出会われた。

藤田 はい。ただ、合宿とかでいろんなことを長く話すと、文化や世界観の違いが見えることもあって……。

奥田 それで日本に帰ってこられた。

藤田 私、中学校が京都だったんです。帰国子女学級というのがあって、ドイツや南アフリカなど、いろんな国にいた同じような境遇の生徒ばかりが15人で。

奥田 何か特別な思い出があるとか?

藤田 いえ。むしろ特別なことは何もなくて、ごく普通にくだらない話をしてごく普通に笑い合って。それが本当に楽しくて居心地がよくて。

奥田 ああ、京都にはその時の記憶があるんですね。今日は非常に重要な「生き方」視点をいただきました。『千人回峰』の新たな課題として加わりました。実に新鮮です。

藤田 それは良かったです。

奥田 よくぞKCCSが藤田さんを採用してくれた(笑)。さすが稲盛イズム。ぜひまたお会いしたいです。どうもありがとうございました。

こぼれ話

 もし私が脳内図絵を描くことができるとしたら、藤田亮さんの絵はどうなるのだろうか。ピカソのゲルニカ風の複雑に交錯した絵柄になるのではないか。東洋的に言えば、放射線状に思考が多義に関連性を持ちながら拡大する曼荼羅かもしれない。胎蔵界にしても金剛界であっても珍紛漢紛だ。履歴に目を通すと、日米を行き来した数学好きのバイリンガルなエリートだ。大学院を24歳で修了して、KCCSに入社。33歳で会社が買収した京大ベンチャーのAI企業の社長に就任。実に整った人生の行路だ、と思いながら対談に臨んだ。

 『千人回峰』の対談前には、面談相手の方の事前情報はあまり入れないように心がけている。事前情報を多くすると、人物像を空想のなかで作り上げてしまうからだ。それでも基本的な履歴には目を通す必要がある。そうしないと質問の大筋が組み立てられないからだ。藤田さんの履歴を見た。読後感はすでに述べたとおりだ。いざ対談を進めると、やりとりが噛み合わないというか、ギクシャクしている感じがある。およそ60分で話を聞くわけだから、的確な質問を投げかけていく。『千人回峰』の場合は双方の気持ちのキャッチボールといった様相だ。話を聞き出すのではなく、あるいは出来事を聞くのではなく、気持ちから滲み出す話を引き出す。というか、松の葉から雫がしたたり落ちるような様相で会話が進む。こうした状況を二人で作り出すのだ。10分ぐらいすぎた頃から質問の方向を変えた。徐々に投げるボール、それをとって返すボールのテンポが速くなってきた。この状態でお互いの心がつながれば、クルマの自動運転と同じで、相槌を打ったり、半拍の呼吸を入れたりするだけでよい。

 結論から言おう。藤田さんは自分という“人”の居場所を求めていたように感じた。特に自我を持つ年齢になってから、その傾向が強くなり、居場所といっても「心の居場所」といっていいようにも感じた。3歳から家族と共に日米を行き来する。言語の違い、文化の違い、人種の違い、宗教の違い。こうして列挙するのはやさしいが、その年齢から22歳までを行き来しながら藤田さんは「私はいったい何者なんだ」といった自己問答を繰り返し、アメリカで数学仲間の友人たちと夜長に語らった“宗教”の会話から、違和感というか、まったくの異質さを確信した。この件の話は感情を交えない静かな話ぶりだが、「人とはなんぞや」の解を提示されたように思った。話は数学に及んだ。「僕が数学好きになったのは『数学は日米の共通言語だから』ではないでしょうか」という。そうかもしれない、と思った。転校すると教科の種類も進み具合も違う。国を跨ぐとなおさらだ。頭の回路が混線して、整理できた頃に転校だ。また言語が違う。この繰り返しが数年おきに続く。日本からアメリカに再び転校した。耳で英語は聞けるのだが、喋る英語がネイティブ英語になっていない。それもわかるので、1年ほど無口であったという。バイリンガルと気やすく前段で書いたが、そんな単純なものではないと思った。彼は、意思を伝える言葉の深さを幼児期から無意識に体得していたのだ。両親はアメリカに住んでいる。彼は京都を選んだ。なぜ? 「京都は居心地がいいんです」と。
 

心に響く人生の匠たち

 「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
 
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
 
<1000分の第305回(下)>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。

Profile

藤田 亮

(ふじた りょう)
 1986年大阪生まれ。京都大学大学院修了。3歳から22歳まで日本とアメリカを行き来して育つ。フロリダ大学卒業後、京都大学大学院にて数学・数理解析を専攻。2010年、京セラコミュニケーションシステム(KCCS)入社。M&A、ベンチャー企業とのアライアンスを担当。12年から機械学習のモデル作成を行うデータ分析業務に従事。15年から画像認識事業の立ち上げを行う。KCCSとRistの資本提携に伴い、19年1月からRistに出向。同年7月、二代目社長として就任。

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