10年も経てば、日本人が中国へ出稼ぎに行く――第52回

千人回峰(対談連載)

2011/05/27 00:00

中原 秀樹

中原 秀樹

経営塾 副会長

構成・文/谷口一

やっぱり、松下幸之助さん

 奥田 松下幸之助さんの訪中から30年。中原さんは、当時からずっと日本の経営者をみてこられているわけですけど、どんな変化があったのでしょうか。

 中原 日本の経営者っていうのをこの20年、30年でみると、やっぱり、みんな経営者そのものが目先のことしか考えなくなったってことかなぁ。

 奥田 そうですか。

 中原 私は『財界』の記者になってから、電機業界・流通業界・マスコミなんかも担当したけど、経営者としていちばん印象に残ってるのは、やっぱり松下幸之助さんだね。松下電器で山下俊彦さんのいわゆる三段跳びの大抜擢があったのが、昭和51年の1月だったと記憶しているんだけど、その時、『財界』の創業者の三鬼陽之助と編集長の針木康雄と私の三人で大阪へ行って、松下幸之助さんと会長だった高橋荒太郎と社長就任前の山下俊彦さんの三人にインタビューしたわけ。それが幸之助さんに会った最初かな。それから『財界』に12年ほどおりましたけど、10回以上は松下幸之助さんにインタビューや対談や座談会や写真撮影やらでお会いしましたね。

 奥田 それはかなりの頻度ですね。

 中原 幸之助さんは本当に真面目で律儀な方だから、どんなチンピラ記者が行っても丁寧に応対してくれる。2回目に会った時も、どうせ覚えてもらっていないだろうと考えて名刺を出すわけ、すると必ず名刺をくれます。

 奥田 そういう人なんだ。

 中原 だから、私は松下幸之助さんの名刺を束になるくらい持っているのが自慢なの。今でもちゃんとあります。まあ、そうやっていろいろ話を聞いていると、やっぱり優れた経営者だと思いますね。最初に話した中国の話もそうだけど。そのあと『財界』で高橋荒太郎さんに連載を書いてもらったんですよ。「高橋荒太郎の松下幸之助に学んだもの」っていう。20回くらい連載したかなぁ。単行本にしましたけど。結構あれはよく売れましたね。松下幸之助本は売れるんですよ。『一冊まるごと松下幸之助』ってのもやって、これもよく売れた。

 奥田 ほう!?

 中原 もっと売れたのが、『一冊まるごと本田宗一郎』ってやつね。

 奥田 本で売れた理由って何なんですかね。

 中原 タイミングだと思うね。それとやっぱり、松下幸之助と本田宗一郎に尽きるんじゃないですかね。

 奥田 今はそういう人物がいないんですか。

 中原 『一冊まるごと~』となると難しいね。その人に対して20なり30の企画がすぐ浮かべばいいけど、浮かばないんだよ。人間そのもの、人物そのものに相当な奥行きがないとね。いろんなシーンをもっている人でないと無理で、経営だけの人だと『一冊まるごと~』は出来ない。今の経営者は経営のことは語るけど、それだけなんだね。

 奥田 確かにビジネスモデルは語れるけれど…。ここ30年で、日本の経営者のタイプもずいぶんと変わったということですね。示唆に富むお話をありがとうございました。 

「ここ30年で、日本の経営者のタイプもずいぶんと変わりましたね」(奥田)

(文/谷口 一)

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Profile

中原 秀樹

(なかはら ひでき) 昭和19年6月生まれ、45年中央大学文学部哲学科卒。同年4月、日刊工業新聞社入社、編集局記者を経て昭和51年、経営評論家の三鬼陽之助が創立した財界研究所に編集部記者として入社。臨時増刊号副編集長を経て昭和62年、経済評論家の針木康雄が手がけた『月刊経営塾』(現在の『月刊BOSS』)の創刊に参画し、初代編集長。常務、専務を経て平成8年10月、社長に就任。同19年6月から副会長・論説委員長として現在に至る。