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「誰もやらないのなら、自分で」と会計ソフトを開発――第39回

千人回峰(対談連載)

2009/04/20 00:00

和田成史

和田成史

オービックビジネスコンサルタント 代表取締役社長

 私と和田社長との出会いは、週刊BCNの創刊前夜であった。お互いに会社を立ち上げたばかりの頃だ。そして、1981年10月15日付創刊号の1面に掲載したのは、OBCのソフト開発のニュースだった。その後、取材先として、また広告クライアントとして30年近くのおつき合いが続いていることを考えると、いささか感慨深い。あらためて、草創期当時の思いから今後の展望に至るまでのお話をうかがった。【取材:2009年3月26日、オービックビジネスコンサルタント本社にて】

「30年間変わらず大切にしてきたものに経営理念があります。
それは、オープン・フェア・グローバル」という3つのコンセプトです、和田さん
 
 「千人回峰」は、比叡山の峰々を千日かけて歩き回り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借しました。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れることで悟りを開きたいと願い、この連載を始めました。

 「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
株式会社BCN 社長 奥田喜久男
 
<1000分の第39回>

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。
 

会計ソフトをもっと安いものにして普及させたい

 奥田 和田さんとはじめてお会いしたのは、オービックが新宿支店を開設したときのことだと記憶しています。

 和田 ええ、たしか1981年の6月か7月ですね。システムインテグレータのオービックが新宿支店をオープンしたときに、その隣りのオフィスでオービックビジネスコンサルタント(OBC)の事業を始めようと準備をしていたんです。そこで、第1号のソフトを出すという話を取材をしていただき、創刊号に載ったという経緯ですね。開発に着手したのが5月で完成したのが9月ですから、まさに開発真っ只中の時期だったわけです。

 奥田 ところで和田さんは公認会計士の資格をお持ちですが、なぜソフトウェアに着目されたのですか。

 和田 当時、オフコンの会計ソフトは1000万円以上するものがほとんどでした。安くても800万円程度。もっと安くなれば普及するだろうと思ったことが始まりですね。

 自分自身、公認会計士試験に受かって間もない頃ですから、そんなに大きな金額の投資はできません。そこで、150万~200万円程度のソフトがないかと探したのですが、残念ながらありませんでした。それならば、パソコン(PC)が出てきたときにこのPCで会計ソフトを作ろうと決心したというわけです。

 PC用の会計ソフトを出せば、自分自身の仕事に役立つし、大勢のお客様のニーズを満たすことができる。そして、実はこの段階でどれだけ必要とされているかというイメージが湧いていたんです。

 奥田 公認会計士の先生で、当時、そこまで考える人はいなかったんじゃないですか。

 和田 そうですね、そういう方がいないだけに自分がやらなければという気持ちでした。当時、他社の会計ソフトはすべて専用機のものでしたから、安価なPCに載せて普及させることに賭けて、挑戦を始めたんです。

 奥田 当時から起業家精神は旺盛だったのですね。

 和田 ええ、昔から会社を作って社会に貢献したいと考えていました。そして、人に喜ばれることをしたいという気持ちや、無から有を生み出すモノづくりの精神は旺盛でしたね。学生時代から、起業するというよりも、仕事を通じて社会に貢献するという意識が強かったです。

 奥田 そううかがうと、公認会計士も社会貢献の意味合いが強い仕事ですね。ところで、なぜ公認会計士になろうとお考えになったのですか。

 和田 もともと数字が好きだったということがあるでしょうね。大学は文系の学部に通っていたのですが、公認会計士の仕事が社会に根づきはじめた頃だったので、周囲にもこの資格を目指す人が増えていたのです。そこで私も興味を持ち、大学3年生の夏から専門学校に通い、2年半ほどで合格することができました。

 奥田 それは大変に優秀ですね。

 和田 いや、運がよかったのでしょう。でも、当時の受験生のなかでは最短レベルだったと思います。

 奥田 数字が好きということは、数学が得意だったということですか。

 和田 そうですね。高校時代、自分は理系の人間だと思っていました。学部の選択にあたっては、理系に進んで将来は製造業に携わろうと考えていたのですが、文系で公認会計士を目指す道もあると兄に教えられ、経済学部を選んだのです。

 奥田 すごい! 高校時代からしっかりとした目的意識を持っておられたのですね。

 和田 大学を卒業したのは1975年3月ですが、第1次オイルショックの直後で、昨今のような内定取り消しがもっと当たり前のように行なわれていた時代でした。そんな時期、私は卒業後1年で二次試験に合格し、その後は会計士補として2年間の実務と1年の研修期間を経て、公認会計士登録をしたというわけです。

 会計士補の時期は、ほとんどの人が監査法人に勤めるのですが、私は専門学校で二次試験の受験指導をしながらコンサルタントの仕事をし、さらに監査法人でアルバイトをするという三足のわらじを履いていました。教育・コンサル・監査と、まったく違う分野の仕事を同時にこなしていたんです。この3年間で得た収入が、OBCの開業資金になりました。

Profile

和田成史

(わだ しげふみ)  1952年8月、東京生まれ。75年3月、立教大学経済学部卒業。76年10月、大原簿記学校会計士課勤務。79年12月同校を退職。80年3月に公認会計士登録、6月に税理士登録。同年12月、オービックビジネスコンサルタント(OBC)を設立、代表取締役社長に就任。社団法人コンピュータソフトウェア協会(CSAJ)会長、経済産業省産業構造審議会ソフトウェア小委員会委員、社団法人日本コンピュータシステム販売店協会(JCSSA)理事、社団法人経済同友会幹事などを務める。