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夫人からプレゼントされた8ビットマイコンが生涯を決めた――第37回

千人回峰(対談連載)

2009/03/23 00:00

襟川陽一

襟川陽一

コーエー ファウンダー 取締役 最高顧問

 奥田 足利からどうやって『月刊マイコン』に広告を出稿されたのですか。

 襟川 宣伝を出したいと東京の方にお願いしましたら、発行元の電波新聞の支局の人が、たしか前橋か高崎だったと思いますが、こちらに見えました。

 広告を打った当初は、1週間に1本か2本売れればいいと思っていたのですが、ある日郵便局の人が、段ボール箱いっぱいの現金封筒を届けてきてくれたのです。本当にびっくりしました。こんなに売れるのかって。100通から200通もありましたからね。

 奥田 へえ、そんなに。

 襟川 お客様からいただいた封筒の中には手紙も添えられていて、熱烈に褒めていただいたりして…。もちろん要望や厳しめのご指摘などもありましたが、それを参考に次はこうやっていこうというふうに。お客様とダイレクトにやりとりができますので、すごくやり甲斐を感じました。

 それまでは、染料を仕入れて販売するという仕事でしたから、それはそれで面白いのですが、自分で何か新しいものを作って、それをお客様に認めていただいて、さらに要望なども寄せてもらい次の作品に活かす。そういうビジネス上のサイクルに、やり甲斐や仕事の醍醐味も強く感じていましたし、それで生活も成り立つようになりましたから、コンピュータのほうに転業したわけです。

パソコン販売・ソフト開発からゲームソフト開発専業に

 奥田 転業されるに際しては設備投資などいくつかのデシジョンがあったと思いますが、特にハードルの高かったことはありますか。

 襟川 いえ、それは全然。マイコンだけが設備投資ですから。あと、当時はテープがメディアでしたから、ダビングするためにデータレコーダとかカセットテレコをずらっと並べてコピーして、ゴム印を押してラベルを貼って、そのパッケージを段ボール箱に詰めて運送屋さんに頼む、それらを最初は全部一人でやっていました。

 でもだんだん間に合わなくなってきまして、近所の奥様方にアルバイトをお願いしてやっていましたね。その辺が社員を徐々に採用していくきっかけになりました。そうだ、第一号商品が手元にあるので、ご覧になりますか?

 奥田 ぜひ。(パッケージを見ながら)ほう、これが貴重な第一号ですか。当時の『川中島の合戦』のラベルには、日吉店と入っていますが、この時には足利と日吉(横浜市港北区)にお店があったのでしょうか。

 襟川 ゲームの販売を始めて、パソコンの時代が来ているなと感じていまして、光栄マイコンシステムという名のショップを日吉と足利で開店して、ゲーム開発をしながらパソコンの販売も始めました。代表的なパソコンはすべて扱って、財務管理のようなビジネス用のソフトの開発も始めました。

 奥田 なぜ日吉だったのですか。

 襟川 日吉は家内の出身地でしたし、大学(慶応義塾)が日吉でしたので、4年間下宿していました。そんな縁ですね。

 奥田 どちらに下宿を。

 襟川 家内の実家に下宿していました。そこが最初のマイコンショップになったわけです。そうすると慶応や早稲田の学生の溜まり場になって、ゲームの話で盛り上がり、その時にいろんな人間関係もできましたね。

 奥田 お父様の仕事を継いで会社を再起され、それを2年間やられて、パソコンの販売やソフトの開発にシフトされ、その後、ゲーム開発を専業とされたという経緯ですね。

 襟川 そういうことですね。

お客様に喜ばれることが経営の本質

 奥田 それからは、「シブサワ・コウ」のペンネームで『信長の野望』や『三国志』や『決戦』など次々にヒット作を世に出されていますね。会社も大きく展開されて。そのあたりはもうすでに多くの人の知るところですので、ここでは、襟川さんが胸の内に大切になさっている経営者としての自分、その辺りのところをお話いただけますか。

 襟川 経営者としての自分というのは、自らがやってきたことそのままなのですが、実のところ、経営ってなんだろうとずっと考え続けてきました。父親があそこまで苦労して全財産を投げ打っても、うまくいかなかったわけですけれど、そこではっきりわかったのは、人と同じことをしていてはビジネス的には厳しいということです。

 何か社会的に役に立ち、存在感のある仕事をしていかないと、世の中からオミットされるというか、この会社はなくていいよというふうになる。それが倒産だなと、自分なりに結論づけていたのですね。だから、やる時には何とかお役に立ちたいという気持ちでスタートしたのですが、これも考えれば自分勝手ですから、なかなかうまくいきませんでしたね。相手から迷惑がられたり、と。

 奥田 苦労されたんだ。

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